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六十歳、追放されましたが遅すぎることはありません 〜家族に捨てられた私を覚えていたのは、あの子だけでした〜  作者: snow☆rabbit


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第9話 会えたはずなのに、会えなかった

昼下がりの光が、やわらかく店の前に落ちていた。


 まだ準備中の時間。


 看板は出していない。


 扉には、小さな紙を貼ってある。


 「すぐ戻ります」


 たったそれだけの言葉。


 ほんの数分、買い足しに出ただけだった。


 必要なものは、すぐ近くで手に入る。


 それでも、今日は少しだけ足取りが急いでいた。


 理由はわからない。


 ただ、早く戻りたいと思った。


 角を曲がる。


 視界に、自分の店が入る。


 小さな扉。


 控えめな看板。


 そして——


 その前に、ひとつの影。


 小さな背中。


 細い肩。


 見覚えのある立ち方。


 心臓が、大きく鳴る。


 足が止まる。


 息が浅くなる。


 ——まさか。


 そう思った瞬間、


 その影が、ゆっくりと扉に手をかけた。


 開かない。


 当然だ。


 まだ準備中なのだから。


 小さな手が、少しだけ力を込める。


 でも、動かない。


 そのまま、扉に貼られた紙を見上げる。


 「すぐ戻ります」


 その文字を、じっと見つめている。


 動かない。


 その場から離れない。


 まるで——


 信じているように。


 待っていれば、戻ってくると。


 胸の奥が、強く締めつけられる。


 今なら、間に合う。


 声をかければいい。


 走れば、届く距離。


 「……」


 喉が、動かない。


 声が出ない。


 足も、動かない。


 怖かった。


 もし違ったら。


 もし、本当に小春だったとしても。


 そのあと、どうすればいいのか。


 うまく言葉にできなかったら。


 期待を裏切ってしまったら。


 せっかく繋がったものが、


 また壊れてしまう気がした。


 ほんの一瞬の迷い。


 ほんの少しの躊躇。


 それだけだった。


 その間に、


 小さな背中は、ゆっくりと振り返る。


 顔が、見える。


 ——小春だった。


 間違いない。


 その瞬間、体がようやく動く。


 「小春——」


 呼びかけようとした声が、


 かすれて、途中で途切れる。


 足を踏み出す。


 でも——


 遅かった。


 小春は、静かに歩き出す。


 振り返らない。


 呼び止めることもできないまま、


 その背中は、ゆっくりと角を曲がる。


 消える。


 何もなかったかのように。


 風が、少しだけ吹く。


 その場に立ち尽くす。


 手の中の袋が、かすかに揺れる。


 何もできなかった。


 あと一歩で、届いたはずなのに。


 「……どうして」


 小さくつぶやく。


 自分に向けた言葉。


 答えはわかっている。


 ——怖かったからだ。


 それだけ。


 それだけなのに、


 その代償はあまりにも大きい。


 店に戻る。


 扉の前に立つ。


 貼ってある紙を、ゆっくりとはがす。


 「すぐ戻ります」


 その文字が、ひどく空しく見える。


 扉を開ける。


 中は、何も変わっていない。


 同じ空気。


 同じ静けさ。


 でも——


 ほんの少しだけ、違う。


 そこに“誰かがいた気配”だけが残っている。


 カウンターの中に立つ。


 手を置く。


 さっきまであったはずのあたたかさが、


 もう残っていない。


 「……来てくれていたのに」


 声が、震える。


 涙が落ちる。


 ぽたり、とカウンターに落ちる。


 拭うこともできずに、


 ただ、その場に立っているしかなかった。


 ——確かに、ここまで来てくれていたのに。

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