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六十歳、追放されましたが遅すぎることはありません 〜家族に捨てられた私を覚えていたのは、あの子だけでした〜  作者: snow☆rabbit


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第7話 この手は、まだ誰かのために動く

次に厨房へ呼ばれたとき、ほんの少しだけ、足取りが軽かった。


 理由ははっきりしている。


 前回のあの感覚を、もう一度確かめたかったからだ。


 胸の奥に残っている、あのあたたかさ。


 あれが偶然だったのか、それとも本物だったのか。


 確かめずにはいられなかった。


 「慶子さん、今日はこれお願いできますか?」


 渡されたのは、かぼちゃだった。


 少し大きめのもの。


 手に持った瞬間、自然と指が形を覚える。


 「はい」


 短く答える。


 まな板に置く。


 包丁を入れる。


 固い感触。


 でも、嫌ではない。


 むしろ、その感覚がどこか懐かしい。


 ゆっくりと、丁寧に切り分ける。


 形を揃える。


 崩れないように、少しだけ角を落とす。


 そんな細かい作業が、自然にできていることに気づく。


 ——ずっと、やってきたこと。


 ただそれだけなのに、


 今は少しだけ意味があるように思えた。


 鍋に入れる。


 火にかける。


 砂糖と、醤油と、少しの塩。


 分量は、目分量。


 それでも、手が覚えている。


 ふつふつと、静かに煮える音。


 その音に耳を澄ませる。


 焦らない。


 急がない。


 ゆっくりと、味を含ませる。


 途中で一度、味を見る。


 舌の上に広がる甘さ。


 少しだけ、懐かしい。


 そして——


 少しだけ、違う。


 それはきっと、


 今は“誰かにやらされている”わけではないからだ。


 自分で選んで、自分の意思で作っている。


 その違いが、わずかに味を変えている気がした。


 火を止める。


 器に盛る。


 形が崩れていないことを、少しだけ確認する。


 それを見て、ふと気づく。


 ——こんなふうに、気にしたことがあっただろうか。


 今までは、ただ“出す”ことだけを考えていた。


 でも今は、


 “どう届くか”を考えている。


 それが、少しだけ違った。


 食堂に運ばれる。


 他の料理と一緒に並ぶ。


 特別なものではない。


 ただの一品。


 それでも、目が離せなかった。


 一人の女性が、箸を伸ばす。


 かぼちゃを一つ取る。


 ゆっくりと口に運ぶ。


 噛む。


 その瞬間、ほんの少しだけ、目元がゆるむ。


 わずかな変化。


 でも、はっきりとわかる。


 もう一口。


 今度は少し自然に。


 そして、そのまま食べ進める。


 最後まで。


 残さずに。


 その様子を見ていると、


 胸の奥がじんわりと熱くなる。


 理由はわからない。


 でも、確かに何かが満たされていく。


 「これ、あなたが作ったの?」


 声に振り向く。


 先ほどの女性が、こちらを見ていた。


 少しだけ驚く。


 直接話しかけられるとは思っていなかった。


 「はい……」


 小さく答える。


 女性は、少しだけうなずく。


 「やさしい味ね」


 それだけ言って、また食事に戻る。


 特別な言葉ではない。


 大げさな褒め方でもない。


 でも——


 その一言が、まっすぐに胸に届いた。


 「……やさしい味」


 小さく、繰り返す。


 その言葉の意味を、ゆっくりと噛みしめる。


 今まで、そんなふうに言われたことがあっただろうか。


 思い出そうとする。


 でも、はっきりとは浮かばない。


 ただ、


 今、この瞬間に言われたことだけが、確かだった。


 厨房に戻る。


 少しだけ、手が震えている。


 でも、それは嫌な震えではなかった。


 「どうだった?」


 佐伯の声。


 振り向く。


 少しだけ間を置いて、答える。


 「……届いた気がします」


 自分でも驚くくらい、素直な言葉だった。


 佐伯は、静かに微笑む。


 「そうね」


 それだけ言う。


 でも、それで十分だった。


 もう一度、自分の手を見る。


 同じ手。


 変わらない手。


 でも——


 この手で、誰かの心を少しだけ動かせる。


 その実感が、確かにそこにあった。


 「……私でも」


 小さくつぶやく。


 言葉は最後まで続かなかった。


 でも、意味ははっきりしている。


 ——私でも、誰かの役に立てる。


 その事実が、静かに心に根を張る。


 厨房を出る。


 廊下を歩く。


 窓の外を見る。


 風で木が揺れている。


 その動きが、少しだけやわらかく見えた。


 部屋に戻る。


 机の上に、あの手紙がある。


 そっと手に取る。


 開く。


 ——またたべたいです


 その一行を見て、少しだけ笑う。


 「……今なら、作れるわ」


 小さくつぶやく。


 前よりも、ほんの少しだけ自信がある。


 それが、自分でもわかる。


 ペンを手に取る。


 紙を引き寄せる。


 まだ、うまく書ける気はしない。


 でも——


 前のように、逃げたいとは思わなかった。


 ゆっくりと息を吸う。


 そして、最初の一文字を書く。


 手の震えは、さっきより少しだけ小さくなっていた。


 ——この手は、まだ誰かのために動く。


 そう思えたことが、


 何よりの変化だった。

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