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第9話 勇者が倒したはずだった

 王都は、浮かれていた。

 新しい勇者の誕生。まだ若く、名を継いだばかりの少年。高い資質を持つと、神殿が認めた存在。

 勇者就任祭の余韻が、街に残っていた。旗はまだ掲げられ、酔い潰れた客が路地で寝ている。


 俺は清掃員として、その後始末を任されていた。

 酒樽の破片。食べ残し。踏み荒らされた花壇。一日かけて片付ける予定だった。


 予定、だった。


 空が裂けた。音ではない。圧だった。空間そのものが押し潰される感覚。

 次の瞬間、城壁が吹き飛ぶ。黒い影が王都中央広場へ降り立った。


 魔王アルケウス。そして、その幹部たち。狙いは一つ。


 "光の勇者リュシオン"。


 王都の結界が砕ける。炎が屋根を舐める。悲鳴が幾重にも重なる。

 祝祭は一瞬で地獄へ変わった。


 そのとき。


「ルミナス・ジャッジメント!」


 若い声。だが、揺るがない。

 極大の光が夜を塗り潰す。閃光ではなく、裁きだった。

 一直線に放たれた光が、魔王を貫く。眩い衝撃。魔王の身体が、王都裏の広場へ叩き落とされた。


 未熟と噂された勇者が、一撃で魔王を討ち滅ぼした。


 人々は泣き、兵は剣を掲げ、急きょ祝宴の準備が始まる。

 炎はまだ消えていないのに。血は乾いていないのに。

 勝利の歌が夜を塗り替えていく。


 その喧騒の裏側で。


 魔王の遺体が落ちた"裏の広場"に、誰も近づこうとはしなかった。

 勝ったからだ。もう終わったからだ。終わったはずだった。


 俺は清掃用具を抱え、裏の広場へ向かった。


 胸騒ぎがした。


 広場は、静まり返っていた。

 魔王の遺体があった。巨大で、黒く、裂けている。裂け目から、ゆっくりと"何か"が滲み出していた。

 触れた石が音もなく崩れる。空気が重く、粘つく。


 向こうでは、まだ歓声が上がっている。

 誰も気づいていない。


 英雄は称えられた。だが、後始末をする者はいない。

 だから、俺がやるしかない。


 魔王の遺体の前に立つ。黒く裂けた肉体はまだ熱を帯び、地面に触れた部分から瘴気を滲ませている。

 戦闘は終わったはずなのに、ここだけが終わっていない。

 むしろ、ここからが始まりだった。


 俺はモップを握り、残留魔力を拭き取り始める。柄越しに痺れる痛みが走る。だが止めない。

 拭き取っても、黒い滲みは消えない。別の裂け目からまた溢れ出す。


 子どもが咳き込み、母親が支えきれず崩れ落ちる。

 魔王は倒されたはずだった。

 なのに、まだ人が倒れる。


「応援を呼べ! 浄化ができる者を!」

「勇者にも伝えろ! まだ終わっていない!」


 数人が走っていく。だが聞こえるのは歓声だけだ。時間がない。


 表面を拭いても追いつかない。根源を断つしかない。


 覚悟を決め、魔王の遺体へ近づく。瘴気が濃くなる。肺が焼ける。視界が揺れる。

 遺体に手を伸ばした瞬間、咳が止まらなくなった。膝が崩れ、石畳に手をつく。


 瘴気を、吸い込んだ。


 ……ここまでか。


 意識が沈みかけた、そのとき。


 魔王の胸元から、小さな光が転がり落ちた。

 黒い肉の隙間から現れたのは、澄んだ宝石。

 召喚石。そんな言葉が、かすめる。

 

 ほとんど無意識で、それに触れた。


 光が、爆ぜた。


 閃光ではない。熱もない。だが、瘴気を押し返す純白の衝撃。

 濁った空気が波のように退き、黒い霧が裂ける。視界が真っ白に染まった。

 音が消える。歓声も、悲鳴も、風の音も。


 すべてが止まった世界で、小さな足音だけが鳴った。


 光が収まる。


 そこにいたのは、一匹のクリーム色のもふもふだった。


「きゅーん」


 青い首輪をつけたポメラニアン。

 首輪には「くーちゃん」と書かれている。

 足元には砕けた宝石。さきほどまで脈打っていた光は、もうない。代わりに、この小さな命がそこにいる。


 くーちゃんは俺を見上げ、前足で胸ポケットをちょんと叩いた。

 ……オヤツがほしいのか?


 持っていたビスケットを一つ差し出すと、嬉しそうに頬張る。

 シャクシャク、と小さな音。


 その瞬間、空気が澄んだ。

 胸を焼いていた痛みが引いていく。

 濃かった瘴気が、ゆっくりと押し返される。


 ……生き延びた。

 そんな実感が、遅れて込み上げた。


 くーちゃんが、もう一度胸ポケットをちょんと叩く。

 ……おかわりか?


 さっき、ビスケットを食べた瞬間。

 瘴気が退いた。あれは、偶然じゃない気がする。

 この犬の力なのか?


 そう思った、その時。


 魔王の遺体が、蠢いた。


 黒く裂けた肉が内側から泡立ち、崩れていた骨が音もなく噛み合う。

 抉れていた胸が盛り上がり、広場を覆う黒い霧が逆流するように吸い込まれていく。

 

 音が、戻ってきた。

 低く、重い、呼吸の音。


 そして、声が来た。


「……リュシオン」


 名前だけだった。

 ただそれだけなのに、空気が凍る。


「許さぬ……ぞ……」


 石畳にひびが入る。黒い霧が渦を巻く。


 ……復活するのか?


 気づいたら、くーちゃんを抱きしめていた。

 小さな体が、ぴたりと俺の胸に収まる。


「きゅーん……」


 震えているのは、くーちゃんか。俺か。

 たぶん、両方だ。


 近くの兵士が膝をつき、子どもを抱えた母親が悲鳴を上げた。


「離れろ! 広場から離れろ!」


 モップを振るが、拭き取った先からまた黒い霧が滲み出す。

 くーちゃんの白い光が瘴気を押し返すが、中心へ近づくほど押し潰されていく。


「きゅ……」


 苦しそうな声に、慌ててビスケットを差し出す。ぱくり、と噛み砕いた瞬間、光が強まる。だが。


 魔王の胸が、大きく脈打った。


 ドクン。


 肉体が完全な形を取り戻そうとする。くーちゃんの足がよろめいた。


「くーちゃん!」


 抱き上げると、小さな体が熱を奪われていくのがわかる。


 背後でまた一人倒れる。瘴気は止まらない。

 このままじゃ、魔王は蘇る。

 ここにいるのは、俺と、くーちゃんだけだ。


 額をそっと合わせる。


「みんなを守りたいよな」


「きゅーん」


 弱い。でも、確かな返事だった。


 ポケットを探る。祭りで配られていた、たまごボーロが一粒だけ残っていた。

 くーちゃんと、目が合う。

 こいつは、怖くないのだろうか。それとも、俺と同じなのか。


「頼む。これで最後だ」


 くーちゃんが噛み砕いた瞬間、その瞳が虹色に染まる。

 内側から眩い光が噴き出し、俺とくーちゃんの間に白い糸のような輝きが走った。


 視界が変わる。

 魔王の肉体も、瘴気も、石畳も、すべてが"歪み"として見える。

 散らかり、広がり続ける汚れのように。


 だったら、整える。


 俺はモップを横に払った。


 音はない。世界が、止まる。

 

 蘇ろうとしていた魔王の肉体が静止する。

 黒い肉が内側から崩れ、白い粒子へと変わっていく。


 焼却でも浄化でもない。


 ――消去。


 存在そのものが、削り取られていく。

 広場を覆っていた瘴気が、一瞬で晴れた。

 倒れていた兵士がゆっくりと息を取り戻し、母親が子どもを抱きしめ直す。石畳の軋みが止まり、空気が澄む。


 魔王は、完全に消えた。


 勇者の剣ではなく。


 清掃員と、一匹のもふもふによって。


 俺はくーちゃんを抱きしめる。弱っているが、生きている。温かい。


 掃除は、終わった。


 掃除とは、汚れを拭くことじゃない。

 命が戻れる場所を、取り戻すことだ。

 理不尽は放っておけば広がる。なら、元から消せばいい。


 それが――俺の掃除だ。

ここまで読んでくれてありがとうございます。


今回は、透真とくーちゃんが出会った日の話でした。


勇者が魔王を倒し、街が勝利に沸く中で。

誰にも見えない場所に残った「後始末」を、ひとりの清掃員が片付けていた。


そして、くーちゃんは最初から、

ちょっと食いしん坊で、でも誰かを守ろうとする子でした


この先も、透真とくーちゃんの掃除が、

少しずつ世界を整えていきます。


続きも見守ってみたいと思ってもらえたら、

★やブックマークで応援してもらえると、とても励みになります。


くーちゃん「見えないところも、ちゃんと見てくれてありがとワン」

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