第8話 翡翠色の急降下と、急接近の理由
ふと気づくと、周囲の探索者たちの視線が刺さっていた。
わかる。俺だって逆なら見る。
だが今日は、その中心にいるのが俺だ。
三十代。独身、ダンジョン清掃員。
人生、何が起こるかわからない。
「どうしました?」
リアーネが首を傾げる。
「い、いえ。なんでも」
落ち着け。平常心だ。
しかしやけに距離が近い気がする。
くーちゃんは完全にリアーネの膝に定住していた。
ボーロをもらうたびに尻尾をぶんぶん振る。
裏切り者め。
「ふふ、くーちゃん、本当に可愛いですね」
「まあ、そこは否定しません」
自然に会話が続く。ぎこちなさが、ない。
もしかして。
このまま距離縮まりルートとかあるのか?
いや、あるだろ。どう見てもあるだろこれ。
ワンパン二回。美人受付とカフェ。くーちゃん膝乗せ。
運気どころか、人生の歯車が噛み合い始めてないか。
三十代独身清掃員が、ここから逆転する物語。
悪くない。悪くなさすぎる。
よし、ここは丁寧に、しかし確実に、好感度を積み上げていく。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「はい?」
「どうして、受付なんてやってるんですか?」
Aランク相当の実力。レオンのパーティーの中核。
正直、ギルド受付という立場とは、少し噛み合わない。
リアーネは、ほんの一瞬だけ視線を落とした。
「……レオンさん率いるパーティーは、解散したんです」
静かな声だった。
「すっかり、自信を失ってしまったみたいで」
あの戦いのあとだ。責める気にはなれない。
「それで?」
「うちの会社のツテもあって、このダンジョンの受付を任されることになりました」
会社。その言い方が、少しだけ引っかかった。
「受付、向いてると思いますよ」
リアーネが小さく笑う。
「ありがとうございます」
そして。
「ああ、そういえば」
カップを静かに置く。
空気の温度がわずかに下がった。
「言い忘れていたんですけど」
妙に静かだ。
「私、透真さんの観察役も兼ねているんです」
時間が止まった。
「……はい?」
「父からの命令で」
追撃はいらない。今ので十分だ。
観察役。父。命令。
終焉ドラゴンが二回消えたダンジョンで、居合わせたのが俺。
そりゃ調べるよな。
ラブコメルート? あるわけない。
何を浮かれていたんだ、俺は。
「キャン!」
くーちゃんが鳴く。
しっかりしろってことだな、と思ったら、前足で腕をちょんちょん叩いている。
「ボーロ要求かよ」
「ワン!」
元気よく肯定するな。
リアーネがくすっと笑う。
「安心してください。捕まえたりはしませんよ」
余計に怖い。
「ですが」
リアーネは、そこで少しだけ声を落とした。
「王都の動きが、早いんです」
「……え?」
「だから、先に来ました」
翡翠の瞳が、静かにこちらを捉える。
「透真さんが、面倒なところに目をつけられる前に」
そういえば。
ギルドの空気は、妙に硬かった。
光の勇者が来る、なんて噂もあった。
……だからか。
リアーネはくす、と小さく笑った。カップをゆっくり傾けながら。
「あと、一つ教えてください。あなたのことを」
翡翠の瞳が、まっすぐ俺を射抜く。
観察対象として、なのか。
それとも。
……今は、考えるのをやめておく。
「どうして、あんな力が手に入ったのか」
周囲のざわめきが遠くなる。
カップの液面が、わずかに揺れた。
「もちろん、他には言いません」
静かな声で。
「話したくないなら、それでも構いません」
逃げ道は、ある。
だがこうして平穏に過ごせているのは、彼女が黙っているからだ。
くーちゃんを見る。
「きゅーん」
つぶらな瞳が、まっすぐ俺を見返す。
いいよ、と言っているみたいに。
俺は、ゆっくり息を吐いた。
あの力が手に入ったタイミング。答えは、一つしかない。
「十年前の話になりますけど」
「魔王が光の勇者に倒されたことは、ご存じですよね?」
リアーネの瞳がわずかに揺れる。
「光の勇者、リュシオン様。王都決戦は今も語られる英雄譚です」
「英雄譚、ね……」
俺は小さく笑う。
「そんなに綺麗な話じゃなかったんだけどな」
「……現場に、いたんですか?」
少しだけ迷う。
でも、この人には言っておかないといけない気がした。
くーちゃんを撫でながら、俺を待っている。
急かさない。
ただ、静かに。
「……いました。清掃員として、ね」
「光の勇者は、確かに強かった」
あの光は本物だった。未熟と噂されていたのに、魔王を正面から斬り伏せた。
街は守られ、人々は歓声を上げ、英雄は称えられた。
「だけど、後片付けをしなかった」
リアーネの呼吸が、わずかに止まる。
「だから、俺がやったんです」
少しだけ笑う。
「決戦後の。王都の"裏の清掃"を」
翡翠の瞳がはっきりと見開かれる。
「その日に出会ったんですよ。この、くーちゃんと」
リアーネの膝の上で、くーちゃんが小さく尻尾を振る。
あの日から、ずっと相棒だ。
その日の匂いは、今でも覚えている。
王都は、勝ったはずだった。
勇者の光は眩しかった。けれど、眩しすぎる光は影を濃くする。
魔王の死体から溢れた瘴気が、街をゆっくりと侵していた。
歓声の裏で、空気は黒く濁っていた。
放っておけば、三日で死の街になっていた。
勇者は知らない。
だから、俺が片付けた。




