第7話 翡翠の瞳に、からかわれている(ただし、守られている)
終焉のドラゴンを二度も消した――本来なら、世間が放っておくはずがない。
だが今のところ、取材も調査も来ていない。
リアーネとレオンに、「黙っていてくれ」と頼んだからだ。どこまで義理を通してくれるかは分からない。それでも、今は静かだ。
……ありがたい。だが、平穏は長く続かない。
深層フロアは閉鎖され、入口には「国家案件」と書かれた札が下がっている。光の勇者が調査に乗り出す――そんな噂で、探索者たちは騒いでいるらしい。
俺には関係ない。立入禁止なのは深層だけだ。
くーちゃんと一緒に、今日もダンジョンを清掃する。壁の汚れを拭い、整える。
終わったあとの空気が、すっと軽くなる。その瞬間だけは、嫌いじゃない。
「キャン」
清掃カートの上で丸くなったくーちゃんが鳴く。オヤツを求めている顔だ。
「終わったらな」
ひと区切りつけ、ギルドへ戻る。入口をくぐると、いつもの匂いがする。古い木と、金属と、人の気配。変わらない。
……そのはずだった。
何人かの探索者と目が合った。だが、すぐに逸らされる。
受付前では、職員が小声で何かを話していた。俺が近づくと、会話が止まる。
気のせいかもしれない。だが、少しだけ空気が硬い。
受付へ向かいかけて、足が止まる。
カウンターの向こうに、見慣れない顔がある。銀の髪、翡翠の瞳。整いすぎた笑顔。
ギルドの制服を着ているのに、妙に浮いている。増員? そんな話は聞いていない。
「あ、透真さん。お疲れ様です」
名指しに一瞬、思考が止まる。
「あ、はい。お疲れ様です」
と返してから、我に返る。……誰だ。
くーちゃんが、低く「きゅ」と鳴いた。
俺は管理票を取り出し、作業内容を書き込む。こういう時は手を動かすに限る。
「今日は大丈夫でしたか?」
“今日は”という言い回しが、わずかに引っかかる。
「ええ、まあ」
書き終えて、横を見る。清掃カートの上。……いない。
背中に、冷たい汗が流れた。
「くーちゃん?」
応じるように、カウンターの下からクリーム色の毛玉がぴょこんと現れる。
「きゅーん」
受付の足元に張りつき、尻尾を振っている。その頭を、銀髪の受付の女性が自然な手つきで撫でていた。
「はいはい、くーちゃんも元気ですね」
その声は、聞き覚えがある。俺は、まじまじと顔を見る。
――リアーネだった。
***
ギルド併設のカフェで、俺は人を待っている。
……落ち着かない。三十代の男がこんな状態なのはどうかと思うが、どうにもならない。
まさか。二回ピンチを救った清掃員に、感謝の延長で――
いや、やめろ。期待するな。浮かれては落ちるのを、この一週間で嫌というほど学んだ。
「約束のオヤツだ」
くーちゃんをなで、ビスケットを差し出す。
「ワン!」
尻尾ぶんぶん。ぱくり。一瞬で消えた。
「……消去スキル持ちか?」
くーちゃんが前足で、ちょんちょん、と腕を叩く。
「なんだ、まだ欲しいのか」
もう一枚出そうか悩んでいると。
「本当に仲がよいですよね。お二人は」
向かいから、静かな声。
びくりと顔を上げる。
そこに座っていたのは、上品な女性。銀の髪が光を受け、翡翠の瞳がこちらを見ている。
脳が、一瞬止まる。
「ええ、そうなんですよね」
口が勝手に動いた。俺は何を言っているんだ。
「……いや、違う。リアーネ、いつからそこに?」
さっきまでいなかったはずだ。入口も、カウンターも見ていた。
「ついさっきですよ」
にこり。
「風の魔法で、少しだけ気配を消していました」
さらっと、とんでもないことを言う。
「……そんな奥義みたいなの、カフェで使わなくても」
「透真さん、気づいてくれなさそうだったので」
くす、と笑う。
「驚きました?」
楽しそうだった。
最初から、驚かせるつもりだったのか。
「透真さん、リアクションが素直で面白いです」
その声に反応するように、くーちゃんがぴょんと跳ねる。次の瞬間には、リアーネの膝の上だった。
「じゃあ、くーちゃんには」
リアーネが指先をひらりと動かす。ポーチの口が、ふわりと開いた。
やわらかな風が生まれる。その風に乗って、ボーロが一粒、くーちゃんの鼻先へ運ばれた。
「きゅ?」
ぱくり。
次の瞬間、くーちゃんの毛並みが、ふわっと持ち上がる。耳の先から尻尾まで、さらさらと撫でられるように。
「きゅーん!」
目を細め、尻尾ぶんぶん。完全にご満悦だ。
俺は固まる。なんだその技。もふもふ特化型魔法か?
「風を少しだけ当てています。毛並みが絡まりにくくなるんです」
当たり前のように言う。
くーちゃんの毛が、ふわふわと軽く揺れている。さっきより、明らかに整っている。
「きゅーん」
「気持ちいいみたいですね」
リアーネが笑う。
「……裏切り者」
「きゃん?」
リアーネが楽しそうに笑う。
「本当に仲がいいですね」
くーちゃんを撫でる手つきが、優しい。そして自然だ。
俺はカップを持ち上げる。落ち着け。これはモテ期じゃない。違う。たぶん違う。
「そういえば、この前の怪我……大丈夫でしたか?」
リアーネは一瞬きょとんとし、それから柔らかく微笑んだ。
「はい。透真さんの応急処置のおかげで、傷も残りませんでした」
……よし。
内心で、静かにガッツポーズ。こんな美人に傷が残ったら大変だろ。俺、わりといい仕事したんじゃないか。練習していたのも、無駄じゃなかった。
だが顔には出さない。カップを静かに置く。
「それは、よかったです」
自然。落ち着いた声。……完璧だ。
――と思った、その直後。
翡翠の瞳が、じっとこちらを覗き込む。
そして。
「いや、俺、かなりいい仕事したんじゃね? 練習しといてよかったわ」
――自分の声が、向かいから聞こえた。
しかも、微妙に低め。間の取り方まで、そっくりだ。
脳が止まる。
「……え」
リアーネは、楽しそうに口元を押さえる。
「って、思ってませんでした?」
にこりと優雅に微笑む。
「……そんなに、わかりやすいですか?」
「はい。とても」
俺がわかりやすいのか。この人が察し良すぎるのか。
いや、それより。
今の口真似。完璧だった。声まで似ていた。
からかわれているのに、悪い気がしない。
「……やめてください。恥ずかしい」
「ふふ。すみません」
全然反省していない笑い方だ。
「でも、本当に助かりました」
今度は、きちんと真面目な声だった。
くーちゃんが「きゅう」とあくびをする。
――口真似、可愛かったな。
そんなことを思ってしまった時点で、もう、たぶん手遅れだ。
くーちゃんが、俺を見上げた。
知ってた、という顔だった。
だがその裏で、終焉ドラゴンを消した者を王都が追い始めていたことを、このときの俺はまだ知らない。
そして、その動きを先に察していた人が、すでにそばにいたことも。




