第3話 翡翠の瞳と横取り配信
ギルドの休憩室に、昼下がりの陽が差し込んでいた。
木のテーブル。安い茶葉の匂い。壁の依頼ボード。
いつもと何も変わらない景色。
ただ一つだけ、違う。
目の前に、めちゃくちゃ美人が座っていることだ。
「……」
リアーネは静かにカップを持ち上げる。
銀色の髪が、光を受けて揺れる。
翡翠の瞳が、まっすぐこちらを見る。
戦場では風のように動いていた人間が、
今はただ、穏やかに座っている。
「昨日は……ありがとうございました」
ぺこり、と頭を下げる。
そして顔を上げる。
……やめろ。
上目遣いは条約違反だろ。
終焉ドラゴンより破壊力あるぞ、これ。
「い、いや。俺はその……掃除しただけだから」
声が少し裏返ったのは、茶のせいだ。
乾燥しているだけだ。そういうことにしておく。
「でも、あの光がなければ、私たちは……」
言葉が途切れる。
血と、瓦礫と、崩れた天井。
俺は「散らかり」しか見ていなかったが、
彼女はきっと「終わり」を見ていた。
……やめてくれ。
そんな顔で見られると、三十代の心臓がもたない。
テーブルの上に、くーちゃんが前足を乗せる。
「きゅーん」
ぺろぺろ。
……おい。行儀悪いぞ。
「ふふ。くーちゃんも、ありがとう」
リアーネが優しく撫でる。
戦闘のときと同じ、無駄のない手つき。
くーちゃんは完全にとろけている。
……待て。それ、俺のポジションじゃないのか。
ギルドの茶菓子は、固いクッキーだ。
普段は口の水分をすべて奪う凶悪兵器だが、
今日はなぜか、甘い。
いや。
甘く感じているのは、俺の脳だ。
こんな美人と向かい合って普通にお茶を飲む人生が、俺にあっただろうか?
ない。断言できる。
もしかすると、これは圧縮されたモテ期が一括払いで解放される前兆では?
理論上は、ある。
「キャン!」
くーちゃんが強めに鳴く。
……はいはい。浮かれるなってことだな。
「そ、そういえば」
落ち着け。自然にいけ。
「リアーネさんは……その、レオンのパーティーで、何を?」
我ながらぎこちない。
だがリアーネは、わずかに目を細めた。
「リアーネでいいですよ」
――。
今、なんて?
「さん付けだと、少し距離を感じてしまいます」
柔らかく、微笑む。
心臓が一拍飛んだ。
名前呼びイベント発生。
人生初。唐突すぎる。
脳内でファンファーレが鳴る。
落ち着け。三十代だぞ。
「り、リアーネ……」
言えた。言えてしまった。
これ、今日のノルマ達成では?
「私は、風属性の魔法剣士です」
「ま、魔法剣士?」
「ええ。前線も出ますよ?」
さらっと言う。
だがその言葉の裏には、昨日の死線がある。
終焉ドラゴンの咆哮の前で、彼女は逃げなかった。
強い。そして、綺麗。
反則だろ。
「それと」
カップを静かに置く。
「私は、アークレイン財閥の者です」
固いクッキーが、喉に詰まった。
「ざ、財閥?」
「はい」
さらりと。
「現在、ダンジョン関連事業の拡大を検討しています。レオンのパーティーには、市場調査の一環で同行しているんです」
市場調査。スポンサー側。超上流。
待て待て待て。
俺いま何してる?
財閥令嬢と向かい合って、
ギルドの固いクッキー食べてる?
「……じゃあ、リアーネは」
名前呼び、二回目成功。少しだけ誇らしい。
「かなり偉い人、なのか?」
「ふふ。どうでしょう?」
はぐらかす。だが否定はしない。
身分が高いのに、こんなにも静かで、優しい。
……いるんだな、こういう人も。
「ワン」
くーちゃんが、じっと俺を見る。
……はい。調子乗るなって顔ですね。わかってます。
でも。ちょっとくらい、いいだろ。
昨日、終焉ドラゴンを“掃除”したんだぞ?
財閥令嬢に名前で呼ばれてるんだぞ?
人生で初めて、主人公ムーブしてる気がする。
廊下の向こうから、ざわめきが広がった。
「緊急配信!」
「守護者レオンだ!」
大型モニターが点灯する。
白銀の鎧。整えられた髪。完璧な笑顔の男。
「昨日の件について説明します」
穏やかな声。カメラに向けた、仕事用の顔だ。
「清掃員の方が前に出たのは、事故のようなものです」
困ったような、優しい顔。
「あの光は、僕の裏スキルによるものです。……少し、驚かせすぎましたね。演出のつもりだったんですが」
さらに間をおいて。
「彼は悪くありません。混乱しているだけでしょう。一般の方ですから」
コメント欄が一斉に流れる。
《さすレオン》
《演出だったのか!》
《清掃員かわいそうw》
《ただの巻き込まれで草》
《でもあの犬、なんで光ったんだろ》
怒りは、ない。
怒る気力が、もうないのかもしれない。
こういうことは、慣れている。
ただ。ああ、そう来るか。と、妙に納得してしまっただけだ。
――だが、隣が違った。
リアーネのカップを握る手が、震えていた。
「……違います」
小さな声だった。でも確かに、言った。
俺の代わりに、怒っていた。
モニターの中では、レオンが微笑む。
「明日、改めて深層へ潜ります。僕の裏スキルを証明します」
《再挑戦きた!》
《守護者しか勝たん》
《清掃員は掃除しとけw》
配信が終わる。モニターが暗くなる。休憩室に静寂が落ちる。
「……透真さん」
リアーネがこちらを見る。
「今のは」
言葉が続かない。
俺は肩をすくめた。
「まあ、よくある話だろ」
軽く言う。本当は軽くない。
「別にいい」
笑ってみせる。うまく笑えていないのはわかる。
「俺は、掃除ができればそれでいい」
少しだけ、本音が混ざる。
リアーネはじっと俺を見つめた。
「……私は、よくないです」
静かだが、はっきりと。
「あれは、あなたの光でした」
揺れない声だった。さっき俺に礼を言ったときと、同じ温度。
俺は立ち上がり、モップを肩に担ぐ。
「明日の深層、俺は行かない」
「散らかすなよ、って言っといてくれ」
行かない、と決めた。
それが、間違いだった。
翌日、俺の代わりに怒ってくれた翡翠の瞳が、血に染まった。




