第2話 ワンパンしたのにFランク
ダンジョンから戻った翌朝。
同時接続数は、五百万を超えていた。
清掃員が終焉のドラゴンをモップで消した夜として。
ギルドは、朝から騒がしかった。
「終焉のドラゴンが消えたってマジかよ!」
「ブレス止まったよな!?」
「巻き戻ったみたいになってた!」
受付カウンター前に人だかりができている。
大型モニターには昨夜の配信アーカイブが映されていた。
――炎が止まった、あの瞬間。
映像はそこで止まったままだ。
再生しても進まない。
同時接続数だけが、異様な数字を示している。
俺は少し離れた壁際で、モップを立てかけた。
……あー。
面倒な流れだな。
こういう騒ぎは、大抵ろくなことにならない。
「すいません、ちょっといいですか?」
声をかけられて振り向く。
「昨日の配信に映っていた清掃員の方ですよね?」
マイクを持った女性が立っていた。
整った顔立ち。笑顔は仕事用。目は真剣だ。
「昨日の“光”の件で、少しお話を――」
「あー……俺、ただの清掃員なんですけど」
「終焉のドラゴンを消し去ったのは、貴方なんですね?」
即断。
いや、そこ確定なんだ。
「消したっていうか……モップ振っただけっていうか……」
自分でも説明できない。
正直、俺にもよく分からない。
「でも配信に映ってましたよね!?」
「犬が光って、炎が止まって――」
「カメラも固まったし、あれ絶対おかしいって!」
背後から声が押し寄せる。
気づけば、俺の周りに人の輪ができていた。
近い近い近い。
「あ、ちょ――」
肩に、やわらかい感触が触れる。
思考が一瞬だけ止まった。
……事故だ。
ラッキーとか思ってない。
たぶん。
「す、すみません!」
慌てて離れた相手の顔が赤い。
俺もたぶん赤い。
「キャン!」
腕の中で、くーちゃんが抗議するように鳴いた。
「ああ、すまん。俺のせいじゃない」
抱え直して距離を取る。
三十代前半だぞ。
ここで浮かれたら痛い。
「マジでワンパンだったんすか!?」
若い冒険者が身を乗り出す。
「今夜、特集組みますんで!」
テレビ局らしきスタッフも割り込んできた。
落ち着け。
人には三回モテ期があるという。
俺はまだ来ていない。
ということはだ。
今まとめて来る可能性はある。
理論上は。
「ワン」
くーちゃんがじっと見上げてくる。
……はいはい。調子に乗るなって顔だな。
「まあ、俺は清掃員だからな」
モップの柄を握ると、少しだけ現実に戻る。
だが、正直に言えば。
ほんの少しだけ、ヒーロー気分だったのは否定しない。
――その数分後。
騒ぎを聞きつけたギルド長に連れられて、俺はなぜか、ランク測定室に立っていた。
「比良坂くんは、真面目で、信念があって、そして――強い清掃員です!」
ギルド長が熱を込めて言う。
「我がギルドの誇りと言ってもいい!」
ざわ、と周囲が沸いた。
「終焉ワンパンは伝説だろ……」
「裏スキル持ち確定だな」
「もしかしてSランク?」
やめろ。
期待値を上げるな。
俺は清掃員だ。
でも。
悪い気はしない。
「ぜひとも正式な能力測定を!」
嫌な予感がする。
「いや、その……」
「謙遜しなくていい!」
逃げ道が塞がれた。
……まあ、いいか。
もしかしたら。
何か変わっているかもしれない。
測定水晶に手をかざす。
淡い光が広がる。
室内が静まる。
――Sランク確定の空気だった。
文字が浮かび上がる。
――総合評価。
F。
しん、と空気が止まった。
「……え?」
「F?」
「測定ミスだろ」
「もう一回やれ」
二度目。
F。
三度目。
F。
変わらない。
さっきまでの熱気が、ゆっくりと冷えていく。
期待の視線が、困惑に変わる。
困惑が、疑念に変わる。
「特集枠、差し替えます?」
「ワンパンって勘違いだった可能性……」
さっきまで肩を叩いていた若手が、そっと距離を取る。
わかりやすい。
熱は冷めると早い。
ギルド長がこちらを見る。
「……比良坂くん?」
その視線が、さっきとは違う。
俺が一番聞きたい。
なんでFなんだよ。
……いや、知ってるけど。
それから半日。
騒ぎはなかったことになった。
特集の話も、都市伝説の熱も、消えた。
残ったのは、いつも通りの依頼書と雑音だけだ。
休憩室。
くーちゃんがテーブルにちょこんと座っている。
「キャン」
つぶらな瞳がこちらを見上げる。
「まあ、FはFだ」
紙コップのお茶をすする。
「俺は清掃員だしな」
くーちゃんが、ぺろりと指を舐めた。
こういうときも、当たり前みたいに俺の側にいる。
世界が騒ごうが、冷えようが、こいつには関係ないらしい。
「きゅーん」
大丈夫だと言うみたいに、尻尾が揺れる。
「はいはい。調子乗った俺が悪いですよ」
頭を撫でる。もふもふ。
冷えた気持ちが、少しだけ和らぐ。
くーちゃんが、ふいに耳を立てた。
朝から何十人もの声を聞いた。全部、うるさかった。
その声だけが、違った。
「……昨日の件、あなたですよね?」
振り向くと。
――息が、止まりかけた。
長い銀髪が、休憩室の薄明かりを受けて揺れている。
淡い翡翠の瞳。凛とした立ち姿。
軽装の鎧に、翠色の紋章。
白銀レオンのパーティーに所属していた魔法剣士――リアーネ・アークレイン。
「違いますけど」
リアーネの表情は変わらない。
「私は、あの場にいました」
リアーネが一歩、距離を詰める。
翡翠の瞳が、まっすぐ俺を見ていた。
「皆さん、笑っていましたね」
リアーネの視線が、休憩室をゆっくりと流れた。
「……私は、笑えません。あなたに命を救われたので」
飾りのない声だった。
ただ、まっすぐに届いてくる。
俺は何も言えなかった。
「きゅーん」
くーちゃんが腕からひょいと降りた。
そのまま、まっすぐリアーネの足元へ向かう。
ブーツに鼻を押しつけ、すり、と頬を寄せた。
尻尾が、ぶんぶん揺れている。
……どうやら、合格らしい。
こいつが懐くのは、めったにない。
「……かわいいですね」
リアーネがそっと手を伸ばす。
細い指が、くーちゃんの頭を撫でた。
そこで俺は、ようやく気づいた。
……めちゃくちゃ美人だ。
しかも、タイプである。
「ワン」
くーちゃんが低く鳴いた。
……はいはい、わかってる。
「命を救った覚えはない」
視線をそらす。
「散らかったのを片付けただけだ」
リアーネはしばらく黙っていた。それから、ほんのわずかに微笑んだ。
「……そうですか。では、散らかりを片付けた人に、命を救われました」
くすり、と笑う。
「不思議な人ですね」
意味がわからない。
でも。
冷えていた世界が、その一言で、少しだけ温度を取り戻した気がした。




