第12話 清掃員の悪魔の提案
俺たちは、ダンジョン深層の入り口に到着した。
閉鎖用のゲートを開け、中へ入る。湿った石壁。血の匂いは、もうない。
リュシオンが静かに先頭を歩く。鎧の擦れる音すら抑えられている。
その半歩後ろをルミリア。淡い水の魔力が、常に彼女の周囲を流れていた。
……プロだ。
高位の魔力。普通に強い。なんで俺、ここにいるんだろう。
「ここです」
広場を指さす。終焉のドラゴンが出現した場所。今は、ただ静まり返っている。
リュシオンがしゃがみ、地面に手をかざす。
「……魔力残滓、ゼロか」
ルミリアが目を閉じる。水の粒子が空中に浮かび、ゆらりと揺れた。
「戦闘の痕跡が消失しています。……削除に近いかもしれません」
リュシオンの瞳が細くなる。
「削除、か。一体ここで何が起こった?」
ぞくり、と背筋が冷える。視線が、こちらに向いた気がした。
やめろ。俺を見るな。
その瞬間だった。
背後で石が鳴る。黒い影が跳んだ。ブラッドウルフ。
「うわっ!?」
牙が喉元に迫る。
バシャッ!!
透明な壁が立ち上がり、牙を弾いた。水の結界魔法、アクアウォール。
「危ないですよ、透真さん」
ルミリアの指先から流れる水が、結界を保っている。
涼しい顔だった。心臓が止まりかけた俺と、完全に温度差がある。
次の瞬間、リュシオンの鞘から光が走った。音もなく閃く斬撃。
「ふん、たわいもない」
狼は崩れ落ちていた。血も、残滓も残らない。
……想像以上に強い。
「足手まといは下がっていろ」
「案内役なんですけど俺」
「なら案内だけしていろ」
ぐうの音も出ない。
「ウゥー……」
くーちゃんが低く唸る。視線は広場の奥へ。何もないはずの空間。
だが、わかる。空気が、ほんのわずかに歪んでいる。
リュシオンもルミリアも気づいていない。くーちゃんだけが見ている。
「……面白い犬だな」
リュシオンが呟く。
「ただのポメラニアンですよ」
「そうは見えんな」
……その瞬間、くーちゃんがリュシオンを真っ直ぐ見た。
唸らない。吠えない。ただ、じっと。
リュシオンの視線が、くーちゃんに落ちる。二秒ほど、見つめ合った。
「……覚えておこう」
リュシオンは、ゆっくり視線を外した。
奥へ移動しようとした、その瞬間。
空間が裂けた。黒い亀裂が走り、そこから巨大な影が這い出す。
上級種、ブラックドラゴン。深層とはいえ、入り口で出るはずのない存在。
咆哮が轟く。黒いブレスが吐き出された。
狙いは、俺と、その隣のルミリア。
それが、まずかった。
妹への攻撃は、リュシオンの逆鱗に触れた。目の色が変わる。
「ルミナス・ジャッジメント!」
世界が震えた。
収束した光が一直線に放たれる。まばゆい閃光と轟音が広場を塗り潰し、空気そのものが焼き払われた。
静寂。
ブラックドラゴンは、存在していなかった。
焼け跡も残滓もない。ただ、空間だけがわずかに揺れている。
その中心に、一瞬だけ黒い核のような影が脈打った気がした。鼓動のように震え、すぐに光に呑まれて蒸発する。
これが、魔王を一撃で沈めた光。
「深層の入り口に上級種とはな。我が妹にブレスを放つとは、万死に値する」
ゆっくりとルミリアが兄を見る。
「……お兄様」
声が、わずかに低い。
「なんだ?」
「……全力で消し飛ばしましたね」
「当然だ。ルミリアに攻撃した。排除するに決まっているだろう」
迷いのない即答。
ルミリアは目を伏せ、小さく息を吐く。
「助かりました。ですが……あのドラゴン、魔力の流れが歪んでいました。原因調査に必要な個体だったかもしれません」
短い沈黙。リュシオンの眉が、わずかに動く。
「……その可能性はあるな」
「……消し飛ばしてしまった今となっては、ですが」
あー……。勇者、ヒント吹き飛ばした感じか。
強すぎる力ってのも、困ったもんだ。
「きゅーん」
くーちゃんがじっと俺を見る。お前も同じだろ、って顔だ。
まあ、人のことは言えない。
リュシオンは消失地点をくまなく調査する。
だが何も残っていない。黒い核も、歪みも、痕跡すら。
「今日はここまでにしましょう」
ルミリアの提案に、リュシオンは頷いた。
「そうだな。一旦は引く。だが……まだ終わっていない」
鋭い視線が広場を走る。
「終焉ドラゴンの消失は異常だ。原因を突き止めるまでは絶対に動かん」
そして、ゆっくりこちらを見る。
「……特に、そこの清掃員だ」
やめろ。
「お前の正体は、必ず暴く」
背筋が冷える。
「しばらく監視させてもらう」
リュシオンは踵を返す前に、一度だけこちらを振り返った。
何も言わない。ただ、見た。それだけで十分だった。
勇者に監視される清掃員。
やばい。やばすぎる。
整理しろ。状況を整理しろ。
このまま調査が続けば、王都決戦の夜まで辿り着く。
……詰んでる。どう考えても詰んでる。
「最後に、もう一度だけ奥まで見てくる。しばし待っていろ」
そう言ってリュシオンは、深層の奥へと消えていった。
どうする俺。
そのとき。
「きゅ」
膝を、ちょんちょんとつつかれた。くーちゃんだ。
「……なんだ?」
くーちゃんはくるりと振り向き、てくてく歩き出す。向かった先は、ルミリアの隣だった。
「きゅーん」
満面の笑みで尻尾を振る。
こっちだよ、と言っているみたいに。
……考えてみれば。
今、リュシオンはいない。
ルミリアと二人で話せる、数少ないタイミングだ。
他に手はない。俺は小さく息を吐き、歩き出す。ルミリアの隣へ。
「あ、あのルミリアさん?」
「ん? どうしましたか?」
ブラックドラゴンが消失した付近を調べていたルミリアが振り向く。
そういう、ちょっとした仕草も可愛いのが困る。
「いや、その……お兄さん、かなりシスコンじゃない?」
思っていたことが、そのまま口から出た。実にしょうもない。
「……はあ。やっぱり分かります?」
食いついた。
「困ってるんですよね、実は」
「やっぱり?」
「ええ。毎日過保護で、離れるなって言うし。ご飯の時間とか、就寝時間とか……」
少し間を置いて。
「服にまで口出ししてきます。この前なんて、母が呆れて口を出して、ようやくやめてくれましたけど」
あの勇者、思ったより重症だった。
「それは……大変そうですね」
「でしょう?」
そこだけ、年相応の顔になった。
「私のことは、放っておいてほしいんですが……」
なるほど。これはいける。
「この状況、もしかしてお兄さんのためにもならないのでは?」
ルミリアの笑顔が、一瞬だけ止まった。
「……ええ。初対面の方にそれをいわれるとは思いませんでした」
そう言って肩を落とす。
「……なんとか、しないといけないんですが」
ルミリアは、困ったように呟いた。
……自分の自由だけじゃなく、勇者のことも、ずっと前から気にしていたんだろうか。
「きゅーん」
くーちゃんが、労わるようにルミリアのブーツをぺろぺろする。
「ふふ、ありがとう」
ルミリアが優しく撫でる。
その光景を見ていたとき。
……ひらめいた。
あの目は、「自分のせいで勇者が使えなくなっている」ことを、ずっと前から知っていた目だ。
我ながら、最低な発想だ。でも、これを利用するしかない。
「一つ、提案があります」
ルミリアが首をかしげる。
「提案?」
「きっと、貴女にとっても悪くない話です」
俺は少し身を乗り出した。
「……お兄様を、王都に帰す方法があるんですが」




