記録No.31『どうにかしたくて』
天音白湯事件について話す前に、まずはこの話をするべきだろう。
今から百年ほど前、この地は一度、焼け野原になった。
きっかけは、国と国との小さな諍いだったと教わった。領土だったか、資源だったか。今となっては理由すら曖昧だが、始まりは確かに些細なものだったらしい。それが報復を呼び、報復がまた報復を呼んだ。怒りは怒りを燃料にして膨れ上がり、十年近くにわたって続いた戦争は、街という街を瓦礫に変えた。
「今から百年ほど前に起きた、戦争後の出来事ですよね」
「あー、なんだったか、歴史の授業にあったな。もう昔のことすぎて覚えてねぇ」
「タツヤは昔の本を読まなすぎだ」
教科書は、その戦争を「大断絶」と呼んでいた。国同士の摩耗から、なんとか戦争の終わりを締結したものの、全ては遅すぎた。終わった時、残っていたのは焼けた土地と、互いへの憎しみだけだった。
曰く、生き残った人々は、ある程度の土地を分割し、国同士の建て直しを選んだ。これを『再建期』と呼ぶ。まず、国同士の分割を行なった。今ではコア地区だのセミ地区だのと呼ばれているが、昔はそんな通称がなかったらしい。この国の先には、他の国もあるらしいが、詳細は今はわかっていない。不毛な更地の奥の奥に進めば、同じような国があるそうだが、そこに向かうには莫大な費用がかかるそうだ。
国は急いで復興を目指した。道を敷き、電気を通し、水を引き、情報を行き渡らせるための網を張った。目に見えるもの、測れるもの、形になるものを一つずつ積み上げていくことで、たった数十年で焼け野原になる前以上の発展を遂げた。
「で、その再建期もただただ良い所では終わらなかったと」
タツヤの呟きに、ユウトは深く首を縦に振る。
何も国は栄光だけを掴み取ったわけではない。その再建の途中で起きたのが、モルヒネを使用した『天音白湯事件』だった。
瓦礫の街を建て直すために、各地から集められた労働者たち。彼らの多くは戦争の傷を抱えていた。昼夜を問わず瓦礫を運び、鉄骨を組む。眠れず、痛みに苛まれ、夜ごと焼ける街の夢にうなされていたという。
それを見かねた当時の復興局が、ある政策を打ち出した。労働者の宿舎に「安眠薬」を配ったのだ。
夕食の後に一人一包、白い粉末を白湯に溶かして飲む。痛みが引き、嘘のように深く眠れたそれは重宝され、国の発展の一端を担った。翌朝には疲れが抜け、作業の効率も目に見えて上がる。復興局はこれを急ぎ文明の発展に役立つと提示し、配給は各地へと広がっていった。
だが、一年が経つ頃には異変が出始めた。配給が一日でも遅れると、労働者たちは震えや吐き気を催し、宿舎の壁を掻きむしるようになった。配給所には安眠薬を求めて人が押し寄せ、奪い合いが起きた。
「あぁ、そうか。思い出した。死傷者を出したっつー事件の話。暴行とかザラにあって、政府側が止めに入ったんだろ?」
「ええ、仰るとおりです。すぐに生産は中止されましたが、被害者がどうなったかは……人によりますが、酷い結果だったとは記されていますね」
被害は甚大だった。何より厄介だったのは、誰も安眠薬の正体を知らなかったことだ。ある植物の実から採った汁を乾かし、粉にしたそれは、眠りにつきやすくなるし、痛みも引くと強いメリットばかりに目が向けられていた。その効き目だけが確かで、中に何が含まれているのかについて、配った側ですら把握していなかった。把握する暇もないほどに、追い詰められていたのだ。
これは後にモルヒネと名付けられるようになった。これを元にした薬の配給は厳しく禁じられることとなる。医療の発展は火急となり、その物質を見分けるための方法も生まれた。人というのは被害からの復興には目まぐるしい力を発揮するらしい。僅か数年でその方法は解明された。試薬を垂らし、色の変化で有無を確かめる。
「……それが呈色反応ってやつか」
「はい」
この検査は、事件を境に医療の場で義務づけられ、今も使われている。心に作用する薬を見分ける手段もなく、このモルヒネと呼ばれる代物に含まれる成分の解明には今も尚時間を要す。
近年の医学書では、鎮痛薬としての効果が見込まれるとされているが、それが出来るのにもまた、歳月を要するのだろう。
このモルヒネを研究、配給の提示を行なった代表者の名を冠して、天音白湯事件とされた。
——楽にしてやろうとして、壊してしまった。
授業の最後に、天音という男の発言を引用して、教師が授業を締めくくったのを覚えている。
「置かれてる状況は当時の事件と酷似してる。だというのに」
カイが指先で、陰性の二文字を軽く弾いた。その歴史すら無力であると称するような二文字。紙の上の几帳面な筆跡が余計にその事実を浮き彫りにさせている。
「ここから推察するなら、新しい成分を含んだものが利用されている可能性がある。もしそうなら危険物として取り締まられるだろうが……何よりやべぇのは事実上の取引が行われている点だな」
「これ、警察組織とかは知ってるんですか?」
「さぁな? ただ噂になるレベルだからな。いずれ明かされるとは思う。今は混乱を招くだけだからとかそういう魂胆があるんじゃねぇか。もしくは、機構の奴ら自身がこの事件の首謀者かもってところだ」
タツヤが背もたれに体重を預けた。椅子の脚が軋む。あり得なくはない推理に、ユウトも上手い返事が思いつかない。
「で、カイ。お前の方で、実際に見た奴の話はあるのか。カルテじゃなくて、生きて動いてる方のやつだ」
「ある」
即答だった。思わずタツヤの重心も変わる。
「つっても、知り合いの知り合いだ。得られる情報なんてたかが知れてるんだけどな」
カイはカップに手を伸ばしたが、口はつけなかった。中身はもう冷めきっているのだろう。指先で縁をなぞるだけで、またテーブルに戻す。
「そいつが利用した病院に勤務してる奴の一人が、俺に頭が上がらないらしくってな」
カイは、カルテの束の中から一枚を引き抜いた。名前の欄は黒く塗り潰されている。
「こいつだ」
ユウトはその紙を受け取った。書かれている内容は、当然、睡眠不足や食欲不振。支離滅裂な言動に加え暴力行為などだ。時々脱力感に襲われているようで、人が変わったかのような姿には戦々恐々とたと言った話が綴られている。
また、紙の一点に他とは違う筆跡の書き込みがあることに気づく。走り書きに近い、崩れた字だった。
『発症前、周囲より「改善」の評あり』
「改善……? これは一体、どういう」
「これはそいつの周りからの話を聞いたうえで、書き殴られたメモ見たいなもんだ」
「つーことは、症例前の話か」
「まぁ書いてある通りな。で、最初はな、天音白湯事件みたく、良くなるんだよ」
カイは、少しだけ言葉を探すような間を置いた。
「そいつは、愚痴ばっか言ってる男だった。仕事が続かねえ、金がねえ、親が死んでから何もかもうまくいかねえってな。絵に描いたような、フリーでの失敗した奴の姿さ」
「フリーだと全て自己責任……となると、そういう人が出るのは当然ですが……」
昔は生活保護という制度があったと何かの文献で見た気がする。しかし、この制度になるより更に前か、そう言った制度は撤廃されており、フリーの人間は言葉通り足掻く必要が生まれた。
「それがある日、妙に明るくなったって話でな。宝くじやら博打やらが当たったのかと思えば、んな事もない。ただ真っ当に過ごして、仕事なんかも見つかりそうだとか、そんな話がよく上がっていたらしい」
「……。それは良いことでは。純粋に立ち直った、ということで、それが認められて社会復帰したように聞こえます」
「周りはそう思った。俺も、半分はそう思ってた」
カイはようやくカップを持ち上げて、冷めたコーヒーに口をつけた。すっかり冷え切ったコーヒーに何を思ったのか、顔を顰めることもなく、ただ喉に通していく。
「立ち直るってのは、もっと汚ねえもんだろ。愚痴は残るし、たまに戻るし、酒も抜けきらねえ。上がり下がりがあってこその人間だ。だがな、そいつのテンションっつーか、話し方も雰囲気も、別人みたいになってたらしいんだ」
「——ッ。あ、す、すみません」
ユウトの手の中で、小さくガサリと音が鳴った。どうやら紙を握る力が強くなっていたらしい。指を緩めて、膝の上に置き直した。
右下がくしゃくしゃになった紙は、自身の心模様と同じように映り、気味が悪い。
「おい……いや。まぁいいか。元々はどっちかっつーと生真面目な性格で、丁寧って感じの仕事が好まれてたらしい。仕事がなくなったのはまぁ、代わりがいたからだろうな。そんな人間が、人が変わったように快活になってた。豪快とか豪胆とかって性格に変わるのに、たった数週間でなると思うか?」
「まぁ、ないだろうな。それこそ転機があったくらいじゃあないとあり得ねぇが、そう言った話もなかったんだろ?」
「なかった。そして二週間。たった二週間後で、そいつは暴れるようになった。看板を蹴り倒して、止めに入った近所の奴に殴りかかった。何しても無駄だと、バールなんかで頭ぶん殴られたらしくってな。そのまま病院送りだ」
一区切りついたかのように、カイがユウトの方に目をやる。が、ユウトとしては未知の話ばかりで何も返すことができない。ただ、ここでユウト側の方に視線を向けるということは
「聞く限りですと、やはり過去の薬に似た症例に聞こえます。担当のお医者さんはなんと?」
「お前と同じ、薬じゃねえかって言ってたよ。だが、色が出ねえ。だから何もわからねえ。いわゆる成分表なんてもんも調べりゃ出るのかもしれないが、肝心のモルヒネ周りが出ねーんならどうしようもない。わからねえまま、寝かせとくしかねえってことだ」
「カイ。そういうのの管理って機構……っつーか、政府側の管理だよな。お前さんは国絡みの事件と睨んでるのか?」
「わかんねぇよ。機構側となるとより手が出しにくいが、どうだろうな」
カイの言葉を、ユウトは口の中で転がす。苦味と独特のトゲのあるそれを、飲み込めないままひたすらに転がしている。
几帳面な筆跡で埋め尽くされた所見の中にある、疑問の言葉。百年前にも同じことがあって。確かにその時の事件には似ているかもしれない。だが、やはり引っかかる。この事件は、人為的に引き起こされたものだとしても、対象者を上げて落としているのだ。
「……あの。これ、変な気がします」
声が出ていた。まとまる前に口が動く癖は、最近になって増えた気がする。
「あ?」
そうして一度口を開いて、ここからはユウトの推理の時間だ。
「私が元々調べていた、コア地区での出来事とは、真逆の事象が起きていると思うんです」
そう、ユウトは言いようのない気持ち悪さを口にしたのだ。




