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第9話 「Essay」と「エッセイ」は別物だった

英検1級のライティングテストにおける指示文では、

「Write an essay on the given TOPIC.」

と、「essayエッセイ」の執筆を求めている。


英語学習界隈において「英作文=エッセイ」という概念は、ごく当たり前に連呼される。


しかし、日本人が頭の中で思い浮かべる「エッセイ」と、英語圏や英語学習業界で扱われる「Essay」の間には、全く異なる使われ方と歴史的なねじれが存在する。


■ 「エセー」のはじまり

そもそも語源は、16世紀のフランスの哲学者、ミシェル・ド・モンテーニュが著した『エセー = Essais』にさかのぼる。


フランス語の「essayer = 試みる、試しにやってみる」という動詞の名詞形だ。


モンテーニュにとっての文章とは、完成された論理を読者に押し付けるものではなく、筆者の思考の揺らぎや迷いを含めて「試しに書き綴ってみる」行為だった。行間や余韻こそが命だった。


しかし、フランス生まれの自由なエセーがドーバー海峡を渡ると、全く別の運命が待っていた。


17世紀のイギリスの哲学者、フランシス・ベーコンが英語で『Essaysエッセイズ』を出版した際、中身の書き方を全く別次元へ変化させた。

ベーコンが重視したのは、個人的な感情の吐露ではなく、「特定のトピックをいかに効率的かつ論理的に説明するか」という実用性と説得力だった。

流れは後の教育へ受け継がれ、「序論・本論・結論」に代表される論理的な指導へと発展していった。


学校教育やテストにおいて主役の座を獲得していったのは、ベーコンタイプの「論理的・学術的なEssay」の系譜だった。


教育が広がる中で、段落ごとに役割を持たせて論理を組み立てる技術として発達したのがパラグラフ・ライティングだ。

その結果、英語圏で、「エッセイ=型に則って論理を展開する文章」という枠組みが、がっちりと出来上がった。


ただ、見落としてはならないのは、「パラグラフ・ライティング」形式の学習が単に「学術論文の基礎体力づくり」にとどまらないという点だ。


むしろ、実社会や研究の現場で必須となる「知的生産・コミュニケーションの総合的な基礎体力」と位置づける方が正確である。


パラグラフ・ライティングやエッセイの型を通じて養われる能力は、研究レポートの執筆だけでなく、広範な実務や思考活動の土台として強固に機能する。


・ あらゆる文書の最小単位となる

英文のビジネスメール、企画書、政策提言、さらには本格的なリサーチペーパーに至るまで、すべての文章は「1つの段落に1つの主張 (トピックセンテンス)」というパラグラフの集合体で構成されている。

英語圏では、エッセイの型を学ぶことは、あらゆるジャンルの文章を書くための共通のモジュールを手に入れることを意味する。


・ 思考のフリーズを防ぐ

白紙の画面を前にして何を書けばいいか分からなくなる現象は、思考が構造化されていないことが原因である。

「導入→理由→証明→結論」という型が体に染みついていれば、どれほど複雑なテーマに直面しても、情報を整理して高速でアウトプットする処理能力 (思考の体力)を発揮できる。


・ 批判的思考 (クリティカル・シンキング)の定着

「自分の主張に対してどのような反論が想定されるか」「その反論をどう論破・補強するか」をエッセイの枠組みの中で考える訓練は、論文のデータ分析だけでなく、日々の意思決定やトラブルシューティングにおける客観的な検証力を高める。


・学術論文へのステップアップという側面

学術論文へのステップアップという側面はもちろん存在する。

しかし、「言語化されたロジックで他者を説得し、知的に協働するためのプロトコル(作法)」を体に定着させるというプロセスが、グローバルスタンダードなっている。

英語圏で、エッセイを学ぶことが課され続けている本質的な理由である。


■ 外来語「エッセイ」の取捨選択

明治以降、日本に外来語として「エッセイ」が輸入された時、一つの興味深い現象が起きた。


西洋からは、「論理的な小論文としての側面」と、「文学的な試みとしての側面」の、両方の「Essay」の概念がアメリカ経由で一緒に流れ込んできた。


日本ではすでに、平安時代の『枕草子』や鎌倉時代の『徒然草』など、心に浮かんだよしなしごとを自由に書き綴る「随筆」のDNAが深く根付いていた。


そのため、日本人の知識人や読者たちは、「エッセイ」という外来語を定着させていく過程で、自分たちの感性に馴染む「文学的なエッセイ(随筆的なもの)」の方を自然に選び取っていった。



■ 「エッセイ」を巡る歴史的な背景のズレ

言葉を巡る歴史的な背景のズレこそが、不協和音の正体だ。


日本語話者は、モンテーニュ的あるいは日本随筆的な「心の機微を綴るエッセイ」を期待してAIに、プロンプトを入力する。


ところが、大規模言語モデルは、英語圏での学校教育や学術分野で大量に蓄積されたアカデミック・ライティングの方法をすでに学習している。


日本人が、随筆的な「もっと余韻を!」「もっと起承転結の『転』を!」と願っても、AIは小論文の型を優先してしまう。


AIは、英語圏の学校教育や学術分野で大量に蓄積された文章を学習している。そのため、結果として英語型のエッセイ文化の影響を強く受けているように見える。

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