第10話 AI小説がツルツルする理由 ~起承転結との衝突~
小説を読む時、起承転結の「転」で物語が急旋回し、空気が一変する瞬間は、読書の醍醐味だ。
「転」の飛躍や、行間に漂う余韻の中に、物語の魅力が詰まっている。
日本人は長い文章を書こうとする時に、無意識に「起承転結」を盛り込む。
・ 起 = 話の導入
・ 承 = 内容を膨らませる
・ 転 = 空気をガラリと変える
・ 結 = 物語を回収する
物語の味わい深さは、承の膨らみと、転のサプライズにある。
「承」は、背景説明や細かな描写によって人物や状況への理解が深まり、物語に厚みが生まれる。
「転」は、「しかし」「一方で」「実は」といった接続詞をよく使い、想定を崩し、空気を一変させる。
ドラマチックな展開や余韻は、「起承転結」の構造から生み出されている。
人がAIに文書の作成を依頼する時、報告書や論文作成は快調にこなすが、小説になったとたんに平坦で味気なくなる。
AIが物語を書く時に、「転」が弱くなることが多い。
正確には、「転」を生み出すための寄り道や回り道が、自動的に削ぎ落とされやすいのだ。
文を書く時に何を重要視するかは、ご紹介してきた。
結果的に、英語圏の文の書き方の基本と、日本語の小説の書き方がぶつかる。
英語圏の「パラグラフ・ライティング」の世界では、「承」と「転」の扱いが日本人の感覚から大きく外れる。
文章作成の前提条件になると、日本語的な「承 (細かな背景や補足説明)」は、徹底的に削られる運命になる。
長々と寄り道をして状況を説明すると判断されてしまい、論点へ一直線に向かうことが正しいとされるルールから外れるからだ。
さらに大きな問題となるのが、「転」である。
「ただし、別の見方もある」「一方で、懸念が存在する」という表現は、日本では読者に思考の広がりや誠実さを感じさせる。
しかし、英語圏のルールでは、「理由を証明する段落を書いている時」に「別の要素をいれる」と、「論点が混ざった」=論理のバグと判断されることがある。
日本語での「転」や補足は、「別視点や脇道の挿入」とみなされてしまう。
結果的に、英語圏の論文社会の発想のAIは、論理の脱線や冗長なノイズとして「承」や「転」の排除が働いてしまう。
AIは「転」を理解できないわけではない。
想像力や記述力が欠落しているわけでもない。
「承」や「転」を生み出すための「寄り道」=「補足説明・背景・別視点」を削る方向へ、自動的に最適化されてしまっている。
AIの脳内=「学習データとプログラム」では、数百年前にイギリスの哲学者たちが作り上げた「論理のコンクリートブロック」を隙間なく組み立てるのが正義だと、徹底的に叩き込まれている。
日本語の小説で求められる「起承転結の『転』」や、行間に漂うドラマチックな余韻は、デフォルト機能では「論理の脱線」と判定され、結果的に、回答する前に自発的に削ぎ落とされてしまう。
欧米でも文学的名作の数々はあるじゃないかと思われる方は多いだろう。
AIを作っている技術者は、文学者や小説家ではない。
AIを支えている技術や評価の世界には、英語圏の学術文化の影響が色濃く存在する。
そのため、文学的な余韻よりも、論理的に整理された文章が優先されやすいのではないかと思う。




