第4話 言語学習あるあるの壁
2026年9月14日に加筆修正いたしました。
話は少し脇道に逸れる。
自分は、言語学習そのものには興味がない。ただの資格ハンターだ。
「資格ほしいだけ」「持ってることでチヤホヤされると嬉しい」「履歴書を飾れるとハッピー」という程度の動機で、ちょっとだけ努力したら何とかなる系の資格を集めてきた。動機が資格取得だけだから、過去問を分析して、必要な箇所だけピックアップして覚えて、最短距離で駆け抜けたいという、あまり褒められたものではない手段でコレクションしてきた。
ところが、3か月程度で我慢できる範囲の努力でなんとかなる資格は取り尽くしてしまい、次のステップに進まざるを得なくなった。
英語に関しては、いろいろとご縁があって、ダラダラ続けていた。
高校の頃にECC外語学院に2年、社会人になってからECCジュニアの高校生以上・社会人向けコースに何度か中断しつつも5年ほど通った。
なんだかんだで、英検準1級とTOEIC750がGETできたのは、「ECC」と単語アプリ「でた単」のおかげだ。
ストックフレーズはあるので、「たぶん、これじゃなかなぁ」で4択を引き当てることはできたし、知ってる単語は聞こえてくるし、スピーキングは無理やり絞り出すことができた。
英検準1級の試験対策そのものは、ホームティーチャーである師匠に伝授されたコツと、でた単の暗記に全振りで、3か月で突破できた。
しかし、「英語を好き」で勉強しているわけではないので、「英語がわかっている」状態ではなかった。今もわかっているかと言えば、どうかなぁ程度だ(^_^;)。
けれど、「なぜわからないか」が克服できれば「わかるようになるんじゃないか」と妄想してしまったのが運の尽きだった。
鉄板の英文法参考書は、相当数「読んだ」。
取説を読んでから家電を使うタイプなので、文字を読むことは苦にならない。自宅の本棚には、いろいろ「通読した英文法参考書」が飾ってある。
中学英文法はどうにか把握していたような気はする。しかし、英文法の全体像は全然見えていなかった。
英検準1級やTOEIC750は取得できた。4択を引き当てることはできた。単語も覚えはていた。
しかし、その語彙は紙のように薄かった。
意味は知っている。テストでは正解できる。
けれども、その単語を自分の言葉として使いこなせる状態ではなかった。(それは、いまでもかわらないけど)
英作文とスピーキングは、冷や汗もので、どうして通過できたのか今でもわからない。
そして、「なぜその英文になるのか」「それぞれの文法項目が全体の中でどんな役割を持っているのか」は説明できなかった。
当時の自分は、英検準1級に合格していたにもかかわらず、「分詞が形容詞として働く」という感覚さえ、実感を伴って定着していなかった。
つまり、点数をかき集めることはできていても、英語の仕組みは見えていなかった。
「頭が良いわけではないが、仕組みがわかるまで努力したら理解できるタイプの人間のハズだ」という思い込みもあった。
「なぜ、英語の仕組みがわからないんだろう。どうして英文法が頭に入ってこないんだろう。何が原因なんだろう」
自分はバカだ、で終わらせたくはなかった。
AIと対話を深める中で、さまざまな気づきがあった。
おかげで、いくつかのブレークスルーがあり、英検1級を取った暁にYouTubeで動画にしたいと思えるくらいにネタはたまった。(取れてない現時点で、言語化しているのでお笑いではあるが、そこは、ご笑納いただきたい。)
たまったネタ中で、大きかった気づきがある。
■ 言語教育の対象者は2種類
言語学習や言語教育には、そもそも根本的にアプローチが異なる「2つのフェーズ」が存在するということだ。
① 母語として育つ子供に、言語を身につけさせるフェーズ
② 別の言語を母語とする人間に、後天的に言語を教えるフェーズ
そこで起こる最大の問題点は、「①の対象者 (ネイティブ)」向けの指導に使うツールや感覚を、そのまま「②の対象者(他言語を母語とする人)」に流用して教えようとしてしまうことにある。
母語として育っている人々は、根底にあるルールを「感覚」としてすでにインストールしている。そのため、他言語話者に自国の言葉を教えようとする時、「母語話者にとってあまりにも当然すぎる前提条件」を、説明する必要性を認知できずに、無意識にスルーしてしまう。
悪気はない。
「息をするように当たり前のこと」は、そもそも言語化する発想に至らないからだ。
英語であれ日本語であれ、すべての教育現場で、この「見えない前提条件のすれ違い」は起きているはずだ。
少なくとも英語と日本語で、それを母語としない学習者に向けて炸裂している事実は知っている。
■「前提条件の説明の欠落」は、存在している。
AIさんたちとの、対話を通して確信できた。
市販の鉄板の英文法書を何冊読んでも仕組みが頭に入ってこなかった理由は、頭が悪いからだけではなかった。
日本語という全く別のOSで動いている脳内に、英語の「前提条件(基礎OS)」をインストールしないまま、表面的な文法という「アプリ」だけを無理やり詰め込もうとしていたからだ。
エラーが出て当然である。
AIが「共通知識は省け」と迫ってきたのも、英文法書が「根本の理屈」をすっ飛ばしてルールだけを解説しているのも、根っこは全く同じだったのだ。
■ 母語話者には当たり前すぎて説明の必要性を感じていないこと。
AIさんたちは、「共通知識の周辺知識の説明は不要」という英語圏の文章文化を強く前提にしているように見えた。
だから、英作文の指導の前に、英語圏の小学生レベルまで戻るような説明が必要だとは気づいていなかった。
AIとやりあっているつもりだったが、実際には、AIが当然の前提としていた英語圏の文章文化と衝突していただけだったのだ。
■ 中等教育の壁に敗れ去った者のひとり言
AIの使用が当然という環境がどんどん広がっている。好むと好まざるとに関わらず、AIが紡ぐ文章に触れていく。解説として読む分には良いだろう。簡潔で適切な記述だ。
しかし、AIを使って文を書いてもらうとき、思っていたものと違うものが出てくることがある。その時に、AIの作る日本語の文章の奥に隠れている、英語の文の構成方法のルールを知っていると知っていないとでは、受けるストレスも、修正する作業効率も変わると思う。
つまり、英語の本質を知る必要があるのだ。
自分は、その人の地頭の持ちポイントは、中学生のころの標準的な模試等で渡される偏差値が一つの判断基準になると思っている。
受験するしないに関わらず、全員が受けるからだ。
そして、持ちポイントが、偏差値70オーバーの人は、「抽象化」できる能力を持っている人たちが多い。
いろいろな、矛盾を抽象化でヒョイと乗り越えて、中等教育 (中学校と高校で学ぶ全教科)とカテゴライズされている、近代の科学技術の基礎をマスターしてしまえる人たちだ。
こういった地頭を持った人たちの出現率は、調べた範囲では、世界中で一定らしい。
地頭ポイントが高い人は、英文法を抽象化と地頭パワーで乗り越え、大量の受験英語や大学等での論文を読むことなどから、AIの書く日本語の文の背景にあるクセを見抜いて、
「あぁ、英語のノリで書いてるわけね、だったら修正ポイントは………」と、
サクサクと処理してしまえるだろう。
しかし、自分を含む圧倒的、中間ゾーンの人間は、「抽象化力」が足りない。では、どうすればいいか?
「仕組みがわかれば理解できる」ゾーンに所属しているのだ。
この「仕組みが分かれば理解できる」人たちは、かみ砕けば何とかなる人が大勢いる。しかし、中等教育でインプットされる知識は膨大だ。
かみ砕いて理解するための時間の確保や、ばっちり説明されているツールに出会えるかどうかで、それぞれが分岐点でどうするかぶつかることになる。
もちろん自分はその壁にぶち当たって、壁の前で敗れ去った。
しかし、AIとの対話で、「英語を学ぶ前に知っていると理解がはかどるポイント」をいくつか見つけたと思う。
「仕組みが分かれば理解できる」ゾーンの人たちに役立つかもと思ったので
最終的には、気が付いた英語を学ぶ前に知っているとトクをする「説明されていない前提条件」を、いくつかのコラムシリーズに編纂してご紹介していきたい。
余禄 (^_^;)
■ 正規分布曲線という「中心極限定理」
中心極限定理とは、サンプルをたくさん集めて平均をとる作業を繰り返すと、元のデータがどんな偏った形であっても、その分布は必ず「正規分布(釣鐘型の曲線)」に近づくという法則。上で述べた、偏差値は、この理論で取り扱う。
■ 今の高校生は、必殺技のような「中心極限定理」を知っている
「中心極限定理」。
なんだかアニメやマンガの必殺技のような、カッコいい響きを持つこの言葉。
実は今、全国の高校生たちが数学の授業で当たり前のように学んでいる「常識」になりつつある。
14年前(2012年度 / 平成24年度)に、基礎的な統計である数学Ⅰの「データの分析」(平均、分散、標準偏差など)が全員必修として導入され、長らく高校数学から消えかけていた統計分野が本格的に復活した。
4年前(2022年度 / 令和4年度)には、「中心極限定理」や「正規分布」を含む、数学Bの「統計的な推測」が事実上の必修化へと舵を切った。
そして、2022年度に入学した高校生が受験を迎えた2025年(昨年)の大学入学共通テストから、統計が本格的に入試の必須範囲となった。
だから、必殺技のような「中心極限定理」という言葉を、今の高校生は知っている。
では、その上の年代の大人たちはどうだっただろう?
日本の統計教育の歴史を振り返ると、世代ごとに驚くほどのギャップが存在している。
■ 30代〜50代:「テストに出ないから飛ばす」統計の空白世代
現在、社会の中核を担っている30代〜50代の多くは、高校で統計を習った記憶がほとんどない。
教科書には載っていたものの、当時の大学受験(センター試験など)では「数列・ベクトル」との選択制になっていたため、多くの高校で「統計は点が取りにくいから飛ばすぞ」と授業をスキップされてきた。
いわば、「統計の空白世代」。
今、多くのビジネスパーソンが仕事で「標準偏差」や「データ分析」に直面し、慌ててビジネス書やYouTubeで学び直しているのは、まさにこの教育カリキュラムの歴史が原因。
■ 60代以上:実は手計算でガッツリ学んでいた世代
さらに上の60代以上(1970年代以前に高校生だった世代)になると、状況は一変する。実はこの世代、統計をガッツリ学んでいた可能性が高い。
当時は米ソの宇宙開発競争などを背景に「高度な数学を教え込む」ブームがあり、確率・統計が逃げられないメイン科目として組み込まれていた。
受験での「抜け道」もなかったため、避けて通ることはできなかった。
ただし、当時はパソコンも関数電卓もなかった。膨大なデータの手計算や、教科書の巻末にある「数表」をめくりながらゴリゴリと計算させられていた、過酷なアナログ統計世代でもある。
■ 職場の「世代ギャップ」の正体のまとめ
日本の統計教育は、「昔はやっていて、途中で消え、最近復活した」という綺麗なU字カーブを描いている。
・10代〜20代前半:デジタル前提で「中心極限定理」まで学びこなす最新世代
・30代〜50代:受験の都合でごっそり抜け落ちた空白世代
・60代以上:手計算でゴリゴリ鍛えられたスパルタ世代
職場や日常でデータの扱い方をめぐって会話がかみ合わないことがあっても、受けた教育の変遷によるもの。
世代間の知識の前提条件のすりあわせも、言語を学ぶ時の前提条件のすりあわせのように、当事者にとって負荷がおおきいと思う。




