人の心は解らない
城主であるヴァルクに滞在の許可を経てから、数日が経った。
「何か足りないものはあるか。必要なものがあれば、用意する」
「ありがとうございます。でも、今のままで充分です」
(というか、充分すぎるくらいで……)
ココが更に手を加えて模様替えをした部屋は、完全にリリィ専用にあつらえられた。ツィーの手作りでもある、売り物としても差し支えがないほど豪奢な家具もいくつか設置されて。
リリィはいわば居候の身だ。それはもう身に余るほどの待遇に、初めの頃はたいそう戸惑った。いや、今もそれなりに戸惑っている。
寝泊まりできる場所の提供どころか、衣食にも困らないほど様々なものが取り揃えられてしまっては。
服はココが作ったものもあるが、そうでないものもあった。わざわざ、どこかから手に入れたものなのだろう。食材だってそうだ。
(でも、どこから……?)
食料や服を作るための布も、全ては魔王城では手に入らない。
ヴァルクが用意してくれているのだとは思うが、彼が外を出歩く姿を想像できない。魔王であるヴァルクの容姿を知らない者でも、異質な雰囲気を纒う大男が訪れれば、買い物どころの話ではなくなるだろう。
色々と気になって尋ねたことはあったが、ツィーとココには曖昧にはぐらかされ、ヴァルクに至っては「気にするな」の一言で片付けられた。
(今度、一緒にお買い物に行きたいと言ってみようかな)
なにか手伝えることがあるかもしれないし、ヴァルクのことをもっと知ることができるいい機会になる。彼が本当に、買い出しに行っているのならの話だけれど。
そもそも同じ城に住んでいるのに、ヴァルクをほとんど知ることができないまま数日が過ぎてしまった。
その間、城の中は自由にさせてもらえたので、リリィはひとまず城内を探索することにした。
ただし、ヴァルク不在の場合は書庫のある地下への立ち入りは禁止されていた。けれど、それについてリリィは特に異論はなかった。
なにしろ、魔王城ほどの大きな建物を目にするのが初めてで、しかもその中を見て回れるのは心躍るものがあった。
魔王城は、もとからヴァルクのものだったというわけではない。
もとは栄えていた頃の王国が、都の近くに築いた城だった。その後、国が滅ぼされたことにより自然と荒廃した結果、何百年もかけて鬱蒼とした森に囲まれてしまい、今の魔王城となった。
それがリリィが伝え聞いた話だ。
一見すると立派な城だが、内側から見れば結構な損傷があちこち目についた。ココに理由を尋ねると、侵入者が壊してしまったり、ヴァルクとの戦闘時に受けた攻撃の跡らしい。
ヴァルクは修繕を必要とは思っていないようで、そのままにしているところが多かった。
ただ、雨水が吹き込んで困るところはツィーが自主的に修繕しているという。時々、修繕に必要な資材を城へ運ぶ彼を見かけた。
その際に一度、リリィは手伝いを申し出たのだが「危険なことはさせられない」と断られた。のちに、現城主であるヴァルクにも相談してみたが「必要ない」と一刀両断された。
けれどリリィは時々、目についた城内の壊れている箇所や小物を、魔法でこっそり直していた。
多分、ヴァルクには気付かれている。いつの日か、リリィが直した小さな銅像をじっと眺めていたのを、偶然見かけたことがあった。
「この窓、枠しか残っていませんね」
「うん。でも、困らない」
ある日、城の西側にある一番高い塔をココと探索をしていたところ、魔王城を囲う森を上から見渡せる場所を見つけた。
天井には大きな穴が空いている。ステンドグラスが嵌め込まれていたのか、すぐ下にある風通しのよくなった窓枠には、色の付いたガラスが少し残っていた。
この窓はリリィが余裕でくぐれるほど大きい。しかも、割れたガラスがこの場にあまり残っていない。
リリィの魔力量は膨大だが、星持ちだからといって万能なわけではない。魔法を正しく学び、鍛えなければ、ただの宝の持ち腐れになってしまう。
魔法を学びきれていないリリィにとっては、繊細で規模の大きい修繕は難しい。
元のステンドグラスがどれほど美しいか想像しながら、夕陽が反射して煌めく割れたガラスを、眩しそうに眺めた。
「静かでいいところですね」
風に煽られるクリーム色の長い髪を耳に掛けたリリィは、そばの階段の手すりで器用にバランスを取りながら歩くココに、さりげなく気になっていたことを尋ねてみた。
「ココさんは、ヴァルクさまと出会われてから長いのですか?」
「うん。ツィーとココ、助けてくれた。それから、ずっと一緒」
「助けられたのですか? ヴァルクさまに」
「そう」
魔力反応に敏感なリリィは、ココとツィーに関して気付いていることがあった。
両目を遮る眼帯をしているのに、まるで全て見えているように過ごすふたりから感じる魔力はとても強く、人の姿はしているけれど、人間のものとは全く違う。
それはヴァルクにも言えることだが、彼らが本当は何者であっても、今のリリィには些細なことだった。
だからこそ、いまだに彼らのことを深掘りはせずにいる。
「ヴァルク様、優しい。ココにも、ツィーにも」
「そうですね、わかります。とっても優しいひとです」
ヴァルクの人物像がもっと鮮明になればと思いながら魔王城で過ごしてきたが、ココやツィーがあれほど慕っているのを見ると、世間の魔王像とはかけ離れていくばかりだ。
それはリリィへの接し方にも言えることだった。
ヴァルクが近寄りがたい独特の雰囲気を纏っているのは、リリィにもわかる。けれど普段のヴァルクは口数が少なく、ただ物静かなだけだ。話しかければ、それなりに応えてくれる。
初めて対面した時はさすがに緊張したが、リリィはまだ一度も、彼を恐ろしいと思ったことはなかった。
闘ってる姿など想像がつかない。
「リリィ、ヴァルク様のこと、好き?」
「えっ?」
ココがリリィのそばに歩み寄り、ぎゅっと手を握る。それはきっと、家族に訊ねるような純粋な質問。そう思い至ったリリィは、ふわりと華やぐような笑みを浮かべた。
「——はい、大好きです。もちろん、ココさんも、ツィーさんも」
「よかった。ヴァルクさま、ずっとひとり。だから、リリィが来てくれて、嬉しい」
「そんなことはありません。だって、お二人がいるじゃないですか」
そう言うと、ココは嬉しそうに笑ってくれた。彼女といると、リリィの心はいつも和む。
「下へ戻りましょうか」
ココと手を繋いで、所々欠けた階段をゆっくりと下りていく。
もっと彼らを知りたい。それがどんな事実でも、きっとリリィは受け入れられる。
その後のことは、いずれ考えていけばいい。
「そういえば、ヴァルクさまのお部屋はないのですか?」
「ある。でも、あんまり、いない」
「書庫にいることが多いからでしょうか」
「そう」
ココに案内してもらい訪れたヴァルクの部屋は、城の一階の最奥に位置する場所にあった。
一応ノックはしたが、反応が返ってこないのはわかっていた。部屋の主人は今、地下の書庫にいる。
初めて訪れたヴァルクの部屋に無断で入るのは気が引け、リリィは少し覗き込むだけに留めた。
まだ陽は沈みきっていないというのに、森の木々に遮られて、窓からの明かりはほとんどない。きっと昼夜関係なく明かりが乏しいのだろう。
家具も最低限のものしかなく、本当にヴァルクの部屋なのだろうかと首を傾げるほどだった。
しかし、ベッドのそばにあるサイドテーブルに積まれたいくつかの本を見つけて、ようやくここが彼の部屋だと確信する。
「中、入らない? リリィが入っても、ヴァルク様、気にしない」
「はい。今日は遠慮しておこうかと……案内してくださって、ありがとうございました」
夜は基本的に、ココは森にある小屋へ戻っていく。彼女を迎えに来たツィーに挨拶をして、二人の姿が見えなくなるまで見送った。
その後、踵を返したリリィは地下の書庫へと向かう。最近のルーティンになり始めた、ヴァルクとの時間。
「こんばんは、ヴァルクさま」
広い書庫の一角。ランタンの傍で、いつもと同じ場所に置いてある椅子に腰掛けているヴァルクを見つけた。ちらりとリリィを見やって、再び読んでいた本へ視線を戻す。
いつからか、書庫の椅子が一脚増えた。
もとから置いていたヴァルクの椅子があれば充分なのに、更に椅子が増えたのは、リリィが頻繁に訪れるようになってからだった。
「今日はお城の西側にある一番高い塔まで、ココさんと行ってみたんです。西陽が欠けたステンドグラスに反射して、とっても綺麗でした」
ヴァルクから話してくれることは少ない。代わりにリリィは、その日あったことを話すようになった。
一日のほとんどを書庫で過ごしているヴァルクだか、何度か彼が読んでいる本の背表紙をのぞいてみたことがあった。けれどリリィには読めない言語だったり、何かの専門書のようなものだったりと、難しい本を読んでいることが多い。
自分にも読める本がないかと近くにある棚を眺めていたリリィは、くるりと振り返って無邪気に誘ってみる。
「ヴァルクさまも、お時間があれば一緒に行きませんか?」
それを聞いて顔を上げたヴァルクは、なんとも言えない表情を浮かべた。
彼はこの城の主だ。今更、見知った場所を見たところで思うことはないのかもしれない。
「お城を探索しながら、ココさんとお話したんです。ヴァルクさまのこと……とっても優しい方だとおっしゃっていました。わたしも、そう思っています」
ヴァルクは再び手元の本へ視線を落とす。
ランタンの明かりが彼の肌を更に白く際立たせ、彫りの深い顔立ちは、陰影を強く目立たせる。頬に影を落とす長い睫毛が時折揺れるのを見て、リリィの内にじわりと湧き上がるものがあった。
(……触れてみたい)
ふと、森の中でヴァルクに名を呼ばれた時のことを思い出した。あれ以来、ヴァルクはリリィの名を口にしていない。
彼女の身に起きた不思議な現象も謎のままだ。
もっと彼のことを知りたいのに、わからないことばかりが増えていく。
それがとても、もどかしかった。
「魔王城には魔物がたくさんいて、それらを従えていると聞いていましたが、それは事実ではありませんでした」
リリィの知る限りでは、ここには四人しかいない。ヴァルクとツィーとココ、そしてリリィだ。
魔王城へ来てから魔物を目にしたことがない。森は鬱蒼としているけれど、魔獣の気配すらない。
「ヴァルクさまが悪い方とは、とても思えないのです……どうして、本当のことを伝えないのでしょうか」
少なくとも、リリィにはそう思えて仕方がなかった。ヴァルクを恐れる理由は、皆が彼のことを知らないからだ。
彼女を魔王城へ送り出した剣士の推測は、きっと間違いではない。
「俺は善良とは真逆の存在だ。目に見えているものだけが全てだと思うな。お前の目に、どう見えていようとも」
「わたしは自分の目で見て、自分が感じたものを信じます。ヴァルクさまがどのように仰ったとしても」
静かに本を閉じたヴァルクは、どこか遠い目をする。リリィの言葉はまるで響いていないように見えた。
到底推し量ることのできない何かが、赤い瞳の奥に昏い影を落としている。
「誰にどう思われようと、俺は構わない。どれだけの悪評が広まり、それによって酷く疎まれたとしても」
「どうして、そんな……」
リリィはそれ以上、なにも言えなくなってしまった。彼が本気でそう思っているのだと感じてしまったから。
不意に立ち上がったヴァルクは、リリィと目を合わせることもなく「今夜はもう部屋に戻れ」とだけ告げ、書庫の奥へと姿を消した。




