魔王城に住まう者たち
ふたりの少女が互いに見つめ合う。
セピア色の髪の少女は、顔の大半を布で覆われている。おそらく眼帯だろう。
その目は覆われてはいるが、確かにリリィを見ていた。
「きらきら……」
(きらきら?)
謎めいた呟きを耳にしたリリィは、それを考えるより先に気付いたことに意識を持っていかれた。
丸太小屋に近付くにつれて、芳しい香りがしていた。
確認せずとも分かる、パンを作ったのは彼女だ。今もつくっているのか、手には白い粉が付いている。
「昨日と今朝、パンをいただきました。焼いたのはあなただったのですね! とってもおいしかったです」
駆け寄ったリリィは粉まみれの手を両手でぎゅっと握る。花が咲いたような笑顔で「ありがとうございます!」と心からの感謝を告げた。
ここまでついてきてくれたヴァルクにもお礼を言おうと振り返ったところで、後ろからぎゅむっと抱きしめられる。
「ヴァルク様、連れてきて、くれた。嬉しい」
(ヴァルク……さま? そういえば、初めて彼の名を知った)
近くの大木に背を預け、それまで沈黙していたヴァルクと呼ばれた男が、ふたりの様子を見て不意に口を開く。
「ココ、加減をしろ」
「わかった」
リリィより落ち着いた雰囲気を纏っている眼帯の少女は、声も大人しい印象を受けたが、意外にも感情表現は豊かに見えた。
ココと呼ばれた眼帯の少女は、リリィからすぐに体を離すと、怒涛のように言葉を紡いだ。
「来てくれて、嬉しい。ふわふわ。かわいい」
(ふわふわ?)
出会い頭から独特な表現をするココの言葉を反芻していると、今度は小屋の裏から少年が現れた。
「ヴァルク様、客人ですか」
「あっち、弟のツィー」
彼もココと同様、目元を布で覆っている。それを抜きにしても、二人はとても似ていた。
ココは腰まで、ツィーは肩の辺りで切りっぱなしで揃えられているセピア色の髪の長さ以外は、外見も纏う雰囲気も双子のようにそっくりだ。
声も揃って中性的で、唯一、髪の長さだけがぱっと見てわかる二人の大きな違いだった。
「初めまして、リリィ・アストローネです」
斧を手にしたままヴァルクの隣に立つツィーは、こくりと控えめに頷き返してくれた。
どうやら小屋の裏で木を切っていたらしい。斧や服に木屑が付いている。
作業の邪魔をしてしまっただろうかと気にしていたところ、そわそわと待ちきれない様子のココが、リリィの手をそっと引っ張った。
「部屋、気に入った? なにか足りないもの、ある?」
リリィはそれを聞いて、途端に目を瞬かせる。
「もしかして、お部屋を素敵に変えてくださったのはあなたですか?」
こくりとココが頷く。それを見たリリィは、満面の笑顔で手を握り返した。
「もっと長く堪能できないのが残念ですが……とても可愛らしい素敵なお部屋を、ありがとうございます。どうしてもお礼を伝えたかったので、ここへ来られてよかったです」
「——えっ」
そこで急にココが、衝撃を受けたように固まってしまう。眼帯で顔の大部分が隠されているせいで表情を読み取るのは難しいが、唯一見える口元が微かに震えていた。
姉の異変に気付いたツィーが、近くに来て顔を覗き込む。
「ココ、どうかしたのか」
「リリィ、いなくなる? 出ていく?」
「ここにはまた伺おうと思っているので、お城の近くに宿があればそこに……とは思っていたのですが」
「魔王城の近くに宿はない。人里もない。人はここに寄りつかない」
既に知った事実を改めて告げられて、リリィは肩を落とすしかなかった。
城を出たらまた宿を探す腹積りでいたところ、ココが情でヴァルクに訴え始めた。
「ヴァルク様、リリィ、追い出す? いなくならないで。寂しい。ここに、いてほしい」
「ヴァルク様を煩わせるな、ココ」
「あの、わたしのことは気にしないでください。昨晩こちらに滞在を許してくださって、それだけでも大変ありがたいことだったのですから」
二人のやりとりを聞いて、リリィは慌てて事情を話す。
事実、宿代が浮いて本当に助かったのだ。少ない資金をなんとかやりくりしていたリリィにとっては、特に。
姉を気にかけてはいるが、ツィーにとってはヴァルクの方針が最優先事項らしい。
対して自身の気持ちを主張するココは、弟をなんとか説き伏せようとしていた。
「でも、ツィー。リリィがいたら、すること増える。きっと、これから楽しいこと、いっぱい」
「——ヴァルク様。彼女には是非、ここにいていただきましょう」
ココの言い分で、ツィーの意見が一瞬にしてひっくり返った。
魔王城に住むふたりは、事情により外すことができない目立つ眼帯のせいで、異質な外見を強いられてきた。
そのため城の敷地から安易には出られず、日常的に目新しい刺激を欲していた。
時間を持て余すことを苦に思わず不満もなかったが、そんな中でヴァルクが魔王城に滞在を許した珍しい存在には、大いに興味を持った。
くわえて素直な感情を露わにするリリィを、ココが気に入ってしまったのだ。
そして姉が喜ぶことは、弟であるツィーにとっての最大の喜びでもあった。
「ヴァルク様の手は煩わせません。もちろん、ヴァルク様のことは僕の命よりも最優先です。そうだろ、ココ」
ツィーは同意を求めたが、ココはうんうんと頷くだけで、リリィしか見ていない。だが、ツィーも特に気にする様子はなかった。
ココが喜ぶと本当に嬉しいらしい。口元に笑みが浮かんでいる。
「リリィ、こっち。来て、こっち」
ココに手を引かれて小屋の中へ誘わたリリィだったが、本当にいいのだろうかと思いとどまる。
すでに足を踏み入れていた玄関から外を見ると、ツィーに何かを話すヴァルクは、リリィが声をかける間もなくどこかへ行ってしまった。
そうしてあっという間に姿が見えなくなってしまう。
会ったばかりの相手だというのに、とても親切にしてくれるココを無碍にはしたくなくて、リリィはありがたく思いながら小屋の中へお邪魔することにした。
中はパンと木の香りでいっぱいで、もれなく人を幸せにするような素敵な空間が広がっていた。
小屋に戻ってきたツィーも、リリィを歓迎ムードで招いてくれる。
一見、ココより大人しいように思えたがツィーだが、興味があることや趣味についてはよく話してくれた。
そしてココをとても大切に想っていることも、言動の節々から感じ取れた。
小屋はふたりで建てたらしい。中の家具も手作りばかりで、特にツィーは、木を加工して何かを作るのが好きだと話してくれた。
ちなみにココがパンを焼く石窯も、ツィーの手作りだった。実際にその様子を見せてくれた時には、あまりに本格的で感動した。
そしてリリィはまた、贅沢にも焼きたてのパンをいただいてしまった。
一方でココも細かい手作業が得意で、ファンシーなぬいぐるみや服など、ツィーとはまた違ったものをたくさん作り上げていた。
特に可愛らしいものが好みのようで、リリィが借りていた部屋が次の日には変貌を遂げた際の装飾が、フリルでいっぱいなのも納得だった。
それらの殆どが、ココの手作りだったからだ。
二人が作ったものは飾られたり実際に使われているものも確かにあったが、それ以上に、後から増築したという部屋に丁寧に仕舞い込まれているものも多くあった。
話を聞いていると、どうやら二人とも何かを作ること自体に楽しみを見出しているだけで、出来上がったものにそこまで執着がないらしい。
世に出しても遜色ないハイレベルな作品ばかりなのに、日の目を見ないものが多くあるのは、少し寂しく思えた。
◇
魔王ヴァルクは東方を支配しているといわれてはいるが、大昔に王が存在していた時ように、国全体を統治しているわけではなかった。
過去に多くを失った東方の国は、統治する者を失ったままのため、壊された道は整備されていない。そうなると必然的に行き交う人々や街も少なくなり、現在では民家もまばらに点在しているような状況が長く続いていた。
衰退はせずとも、発展することもないため、人が多く集まる都のようなものも、当然ながらあるはずがなかった。
リリィ自身、覚悟を決めた上での魔王城までの旅路ではあったものの、孤独な時間は想像していたよりも遥かに多かった。
出会える人々は数えられるほどしかおらず、魔王城へ近付くにつれ、出会える人は分かりやすく減っていった。
そのため、今日ほど誰かと時間を忘れて話すのは久しぶりで、本当に楽しかったのだ。
「——リリィ、ヴァルク様が迎えに来た」
談笑するココとリリィの会話をそばで聞いていたツィーが、不意に顔を上げると唐突にそう告げた。
彼につられて窓を見ると、外は暗闇に支配されていた。過ぎた時間の早さに驚きつつ、首を傾げる。
(迎え……?)
先に外へ出たツィーを追いかけると、リリィに木の籠いっぱいに入ったパンを持たせたココも一緒に小屋を出る。
そこには外套を纏ったヴァルクが、夜に溶け込むように立っていた。
名残惜しく思いながらも二人に別れを告げ、手を振ってくれるふたりの姿が見えなくなるまでリリィも手を振りかえした。
ふたりが見えなくなった頃に前を向くと、ヴァルクの後ろを歩きながら質問を投げかける。
「あの二人は、お城にはいらっしゃらないのですか?」
「基本的にはあそこを棲み家にしている。今日はもう来ないだろう」
それだけ答えて、ヴァルクは再び沈黙した。
歩幅の大きい彼に小走りで追いつくと、隣に並び歩いたリリィは珍しく遠慮がちに口を開く。
「あの……ヴァルクさま」
少し躊躇いながらも、初めて魔王の名を呼んでみた。
およそ想像していた魔王像とは大きくかけ離れた男の名を。
「わたし、本当にここにいてもよいのでしょうか」
ヴァルクが僅かに目を見開く。
それは初めてリリィに名を呼ばれたことに気付いたからだったが、彼女にとってはそれどころではなかった。
ずっと気にしていたことを確認しておきたかった。
ツィーとココは歓迎してくれているようだったが、ヴァルクには具体的なことはなにも言われていない。
リリィはそれがずっと気になっていた。
「気の済むまで居ればいい」
再び前を見据えたヴァルクがそう答えると、リリィは安心して笑みを浮かべる。
「だが、条件がある」
気付かないうちにリリィに合わせて歩みを遅くしたヴァルクは、話を続ける。
「俺の許可なく城から出るな」
「わかりました」
間を置くことなくあっさり了承したリリィに、彼女の思考が相変わらず読めないでいるヴァルクは、肩透かしを食らった。
さすがに訳くらいは訊かれるだろうと考えていたからだ。
「……いいのか」
「はい。でも、ヴァルクさまはよろしいのですか?」
目前に現れた傾斜に立ち止まると、リリィはきちんと相手に向き直って問いかける。
暗い中でも不思議と煌めく宝石のような瞳を見つめ返して、ヴァルクは静かに答えた。
「ああ、構わない」
傾斜のきつい段差を難なく降りたヴァルクが、その下からリリィへと手を差し伸べる。
昼間は纏められていた髪が、今はまた解かれている。
辺りを木の葉が舞うほどざっと風が吹き上げた瞬間、濡羽色の髪が頬を撫でた。
病的に白い肌とのコントラストが、リリィの目に美しく映る。
(とっても……きれいなひと)
ほんのいっとき、そうとは本人も気付かないままヴァルクに見惚れていたリリィは、なんの躊躇いもなく、差し出されている優しい手を握りしめた。




