剣士の思惑
リリィが五つめのパンを食べ始める頃には、外はもうとっぷりと日が暮れていた。
いくつものパンを平らげてしまう華奢な体のどこにそこまで収まるのかと不思議に思いながら、壁に背を預けたままの魔王は口を開く。
「何故、今なんだ」
窓の外を眺める魔王に視線を移したリリィは、こてんと軽く首を傾げた。どういう意味なのだろうと疑問に思う。
「わざわざ夜に出向くことはないだろう」
夜——暗闇が支配する時間帯に通常、魔王と対峙しようと考える者はそういない。その理由は明らかで、彼の正体やその能力も完全には知られていないからだ。それゆえに、魔王城へ夜襲をかけるなどもってのほかだった。
そんな魔王の懐へ、新米の魔女ひとりで飛び込むなど正気の沙汰ではない。
何が言いたいのか気付いたリリィは、口の中のものを飲み込みつつ、何故か少し恥ずかしそうに話し始めた。
「こんなに大きくて立派なお城を見るのは初めてだったので、気持ちが昂ってしまって……その勢いのまま、ここに来てしまったというか、なんというか……」
彼女は口を開くと突拍子もないことばかり話す。だが確かに、農村出身という理由をのぞいても、この国では城自体が珍しい。
その昔、魔物や魔獣が人々を襲い始めた頃。各地に点在する、王家に近しい貴族が住まう城もことごとく襲われ、それらは無惨に壊された。
城と呼べるような立派な建物は、今では各地に片手で数えるほどしか残っていない。
「もしかして、勝手にお城へ入ったことを怒っていらっしゃるのでしょうか……それはもちろん当然のことですよね、本当にごめんなさい!」
ちなみに数時間前のことではあるが——城門の前で、リリィは律儀に声を掛けてはいた。しかし当然、呼び鈴もなければ反応などあるはずもない。大きな城だ。声を張り上げたところで、中にまで届くか疑問ではある。
けれども中から確実に魔力を感じてはいたため、初めて目にする巨大な建造物への興味と好奇心にかられて、罪悪感に苛まれながらも城へと足を踏み入れたのだった。
心から申し訳なさそうに謝るリリィに「それはいい」と魔王は手を掲げて遮る。
「話がしたいと言っていたな」
リリィがぱあっと花が咲いたような笑顔を見せた。特徴的な碧眼がきらきらと煌めく。
正直なところ、魔王と対話できるとは思っていなかった。
ここまでの道中、魔王のことをリリィなりに調べたりもしたのだが、誰に聞いても彼の姿すら目にしたことがなく、詳しいことは殆どわからずじまいだった。
だがリリィを魔王城へ送った剣士は、とある疑問を口にしていた。
魔王と対峙した剣士は武器を破壊されたのだが、明らかな力の差にそれ以上戦闘を続けるのは賢明ではないと悟って、やむなく敗走を選んだ。
短い時間の戦闘ではあったが、剣士が出会った誰よりも魔王の攻撃は正確で隙もなかった。武器だけを破壊するよりも、戦闘技術や魔力量でも明らかに格下の相手であれば、武器を扱う本人を狙った方が早いと思えるほどには。
仮にできなかったとしても、逃げる剣士の背中を狙えたはずだ。だが、魔王は剣士を追おうともしなかった。追う価値もないと思われていればそれまでだが。
『魔王は命を奪う気がなかったのではないか』
確証はないが、そう考える剣士にもそれなりの理由はあった。
星持ちは数が少ない。数年に一人産まれるかどうかというなかで、剣士は過去に魔王に挑んだ者たちを探して話を聞こうとした。
リリィと同様、情報が少ない魔王のことを事前に調べておきたかったからだ。
だが、剣士が出会えた星持ちは皆揃って魔力をほぼ失っていた。おそらく魔王と対峙した際に何かがあったのだろうが、その詳細が聞き出せなかった。
魔王と戦った記憶まで失っていたから。
それもおそらく、魔王の仕業なのだろう。
しかし皆、無事に生き延びている。大きな怪我もせず助かっていたのだ。圧倒的な強さの魔王への恐怖心だけを植え付けられて。
確かに魔王は恐ろしかった。
魔王と対峙した剣士だが、その戦い方を説明しろと言われてもできないと答えるしかなかった。魔王を阻む障壁、剣士の武器を破壊した攻撃、それらがどのようにして繰り出されていたのか、実際に目で見たところで理解できなかったほどに。
目の前で起きたことが解らないというのが、なによりも恐怖心を煽った。
しかしそこまでできるのなら、なぜ手早く相手の命を奪わないのか。
王都を滅ぼした過去の戦乱の世を伝え聞いていた剣士には、それはあまりにも矛盾しているように思えた。そうしてひとつの可能性に行き着く。
東方の人々の印象ほど、魔王は凶悪でないのでは?
そんな剣士の話を踏まえた上で、リリィは全てを承知した。
それにリリィは自分が魔女だとは知らないまま今まで生きてきた。仮にここで魔王に魔力を奪われたとしても、また今まで通り、ただの人として生きていけばいいのだから。
そもそも戦闘能力もその意思もなければ、あるいは対話できるのではないだろうかと考えた剣士の思惑ではあったが、確かに魔王とは話ができる。戦闘の意思も感じられない。
本当に悪いことをするような人なのだろうかと、リリィ自身も彼とのやり取りで既に疑問を抱き始めていた。
「俺と話すつもりなら、明日にしろ」
「わかりました。では、今夜は失礼します。色々とありがとうございました」
明日またここに来てもいいんだ、とリリィは嬉しく思いながら素直に席を立つ。
他に方法が思いつかなかったとはいえ、魔王城へ強引に無断侵入したせいでリリィへの印象が最悪になってしまったのではと考えていたから、明日改めて話の場を設けてもらえて心からほっとした。
「……これからどうするつもりだ」
「これから、ですか? そうですね……どこか泊まれるところを探そうかと……」
そこまで言ってから、リリィはふと気付く。見知らぬ土地でこんな夜中に、すぐに泊まれる宿など見つけられるだろうか。
思い返してみれば、魔王城の周辺では宿場町などなかった気がする。昨日泊まった宿へまた戻るには、ここからは遠すぎる。前もって探しておけばよかったと今更ながら考えたが、もう遅い。
後先考えずに行動してしまうのは、リリィのあまり良くないところではあった。
「先程、資金が少ないと言っていなかったか」
ぎく、と図星を指されたリリィが肩を跳ねさせる。
「ま、まだ、大丈夫です、おそらく……」
そう言いながら手持ちの資金を思い出して、今夜はもう野宿でもいいか、と既に宿を探すことを諦めた。実際、ここに来るまでに何度かそうしてきた。
旅慣れていないリリィは、日が暮れる前に宿を確保することが叶わないことも時折あった。そのうち、夜中の間に歩き進めることも少なくなかったが、やはり疲労と眠気に勝てない日もあったため、そんな時は仕方なく野宿をしたこともあった。
不安の色を隠しきれていないリリィのあまりにも心許ない返答に、魔王は静かにため息をつく。
「この城なら、使っていない部屋は山ほどある。好きに使え」
「そんな……あのっ、本当によろしいのですか?」
それは願ってもない提案だった。
どういう意図があるのかわからないけれど、あまりに嬉しくてリリィは魔王へ駆け寄った。
「お前に魔王の根城で休める度胸があるのなら」
それは相変わらず警戒心のないリリィへの分かりやすい脅しだったのだが、彼女には全く通用しなかった。
城のどこか隅っこでもいい。屋根があるだけでもありがたかった。
今夜は雨は降っていないが、雨の日の野宿は楽観的なリリィでもつらいものだった。服は濡れて重くなるし、足下は泥が跳ねて気分が下がってしまう。
故郷を出て初めての旅は新鮮で楽しいことばかりだったが、雨の日の野宿だけは少し憂鬱だった。
そこで静かに部屋を出ていく魔王を追いかけようとしたが、きっともう今夜は話したくないのだろうとリリィは察した。それでもとにかくお礼だけは言っておきたくて、広い背中に向かって「ありがとうございます!」と精一杯の感謝を伝えた。
聞いているのかいないのか、魔王は振り返らないままどこへ向かうとも告げずに城の奥へと姿を消した。




