魔王様は戦わない
その昔、この世界は魔王にやって東西南北に分断された。
そうして長きにわたり、それぞれに魔王が君臨した。
そのうちのひとつ、東方の国『リヴァルティア』は、昔は人々も多くとても豊かで栄えた美しい国だった。
しかし、ある日を境に急激に増加した魔物や魔獣が、国の中心地にある王都を襲った。そうして数年のうちに、見る影もなく滅ぼされてしまった。
もれなく王は失墜し、襲撃に命をかけて対抗した勇敢な王家の血筋はやむなく途絶えた。
民衆の一部は命からがら逃げ出したが、その数は少なく、戦乱の最中に多くの者が命を落とした。
その後、魔物を従えたとされる魔王はリヴァルティアに君臨することとなった。
だが彼は公衆の面前に現れることが殆どないため、その姿を目にしたものは少なく、人々の中には彼を『姿無き魔王』と呼ぶ者もいた。
王都が滅ぼされて以降、原因不明とされる魔物の減少によって、残された僅かな人々に大きな危害が加わるような出来事はほぼなくなった。
ただし、瞳の中に星を持って産まれた『星の保有者』『星持ち』と呼ばれる者と魔王との争いは、今でも続いている。
『星を持つ者』は必然的に魔王を打ち倒す運命を歩み、幾度となく敵対関係を続けてきた。
彼らははたとえば剣士であったり、または聖女であったり、魔法使いであったりと様々だったが、勝利を掴んだ者は一度として現れず、魔王の絶対的な強さを証明し続けるだけとなっている。
他を圧倒するその強さは人々だけでなく、魔王の支配下から逸脱したとされる野良の魔物にまで及び、彼らにとっては派手な行動を制限せざるを得ない抑圧となった。
しかし平和を願う人々にとっては良い意味での影響をもたらすこととなり、おかげで国を統治する者が不在のままでも、ある程度の均衡と秩序が保たれてきた。
今では、リヴァルティアはおおよそ平穏な国となっている。
そして今世に新たに生まれ落ちた星を持つ魔女と、再び運命を交えることになる魔王だったが——
殺風景な魔王城の一室が、花で溢れかえった。
魔王城にはあまりにも似つかわしくない芳しい香りで満たされるその光景を茫然と眺めていた魔王は、なんとか言葉を絞り出した。
「そんなことは!訊いていないのだが」
危険を犯してまで魔王城に乗り込んできておきながら、花しか出せないことをわざわざ言いに来たというのか。
彼女が手に持っている魔法を繰り出すための大杖は、飾りなのか?
「少しは使えるんです。たとえば、こういうのとか」
少女が大杖で床を軽くこつこつ叩くと、今度は雪が降ってくる。
敵を惑わす幻視の類かと訝しんだが、それは本当にただの雪だった。
頬に落ちた氷の結晶は、冷たい魔王の肌ではなかなか解けない。
「でも、戦うための魔法はなにも使えなくて」
「……」
魔王は頭が痛くなった。
この少女は一体何をしにきたのだろうか。
おもむろに立ち上がった魔王は二メートル近い上背もあり、目の前に立たれるだけでも威圧感が凄まじい。
相手を惑わすほどの美貌ではあるが、その肌は健康的とは言い難いほど蒼白い。
そんな彼をただ不思議そうに見上げる少女の顔を下から掬うように片手でぞんざいに掴むと、大きな瞳を覗き込む。
魔王の血のような赤い目は、少女の澄んだ夜空のような碧眼の奥に輝く星を捉えた。
「星の保有者か……」
それは膨大な魔力量を持つ者の証しだった。一定の魔力を持つ者であれば見ることができるそれは、魔王と戦う運命を辿る者が生まれ持つ印のようなものだ。
彼らは生まれついたその瞬間から膨大な魔力量を保持し、訓練を積まずとも魔力を持つあらゆる者をはるかに凌駕する。
そのため必然的に魔王を打ち倒す運命を辿る存在へと至り、そうしていつの頃からか、星を持つ者は永遠に魔王の敵となった。
だがしかし、魔王は彼女に対してどこか違和感を覚えた。
これまで数えきれないほどの『星持ち』と対峙してきたが、初めて抱いた感覚だ。
その違和感が一体どういうものなのか、その正体を突き止めたい衝動に駆られる。
「何故ここに来た。貴様はただ死ぬためにやってきたとでもいうのか」
「リリィといいます。わたしの名前は、リリィ・アストローネ!」
リリィが魔王の無骨な手をしっかりと掴む。
一切の躊躇なく触れられたその手のぬくもりに驚いて、掴んでいた彼女の顔を即座に離した。
先程、魔王が触れた時も彼女は避けなかった。
ここに至るまでの全ての行動が無鉄砲に思えたが、自分の力に余程自信があるのか、または何か策があるのか。
「わたしはまだまだ生きていたい。見たいものもたくさんあるし、探しているものもあります。けれどまずは魔王さまと仲良くなって、悪いことはしないように説得できたらと思いまして!」
魔王の手を掴むために手放したリリィの大杖が、床に転がって大きな音を響かせる。
杖に衝撃が加わったことにより、彼女が魔法で出現させた花と雪が、部屋中に勢いよく弾けた。
花弁がふたりの周りを舞い、砕けた雪の結晶は微かな光を反射してキラキラ輝く。
リリィの瞳にも反射して本物の夜空のように煌めき、魔王の目に眩しく映る。
「あまりにも愚かだ。俺が手を下すにも値しない。この場から今すぐ去れ」
「できません! わたしは、まだ帰れない……!」
この少女はあまりにも無鉄砲で、無防備がすぎる。きっとなにも考えてなどいない。無策にも程がある。
そう思いはしたが、彼女を遠ざけたい本当の理由は他にもあった。
「それに、わたしを殺そうと思えばすぐにでもできたはずなのに、あなたはしなかった。きっと話し合うことはできるはずです!」
魔王は自ら孤高であることを貫いてきた。
東方の魔王は戦うことを好まず、無闇に命を奪うことはせず、静かに過ごすことをなによりも望んでいた。
そのため戦いではなく、対話を望むリリィの存在そのものがあまりに眩しく、希望に満ちて見えた。
「だから、お話しを……——」
その時、ぐぅ、とリリィのお腹が盛大に鳴った。それは魔王の耳にも届く。
明らかに空腹を知らせる音だった。
「……、どうした」
急に声の大きさが尻すぼみになったリリィの様子が気にはなったが、人との関わりがあまりにも少なすぎる魔王には彼女になんと声をかけるべきか、その正解がわからなかった。
そして一般的な人と同じようには空腹を感じない魔王は、それがどれほどつらいものかも理解できなかった。
「ここに辿り着くまでの資金がかなりギリギリになってしまって、しばらくまともな食事をとれてなくて……」
故郷の村から出たことがなかったリリィは、村の外の世界の全てがもの珍しく、特に食に関することには目がなかった。
それなりに節制はしながら魔王城まで辿り着きはしたのだが、その旅路の大半を食の楽しみに使ってしまったため、用意した資金が底をつきかけていた。
「お腹すいたぁ……」
星を持つ魔女は、魔王に挑むまでもなく空腹に負けた。
内心では盛大に呆れる魔王の眼前で、リリィはなす術もなくへたりこんだ。




