第二夜 夢②
「くそっ、待てよ久々の獲物!」
「ほぅ余所見なんて余裕だな、降参したらどうだ黒獏」
「黙れよ……痛っ!」
無数の鎖を相手に黒獏はギリギリで避けていたが、流石に疲れてきたようで鎖の一本が体に当たりよろけた。黒獏はさらに鎖から逃れる為に地面を思い切り蹴り空に舞い上がると、霧になり茜色の空に消えてしまった。
黒獏がいなくなった庭には静けさが戻り紋様も地面から消え、松の木の影から叶麒が姿を現し大きな溜息を吐き捨てる。
「俺には荷が重い……早く観念してくれたら助かるんだがな」
景色が歪む、それは夢の主が目覚めようとしている証拠。
「さて俺も帰るか、菊緒様に報告しなくては……また逃がしたって言われるんだろうな」
叶麒は薄れゆく景色に背を向け歩きだす、今まであった空間は主の目覚めにより消滅し空白の世界となる。
「おや、叶麒じゃないか何故ここにいるんだい?」
進行方向右側から声を掛けられそちらを向くと、インバネスコートに山高帽子姿の奏人が珍しいものを見るような顔で叶麒を見つめ、散歩するかのような足取りでゆっくり近付いてきた。
「現の世で紡いでる最中に、いきなり目覚められてね、何事かなと来てみたらキミと出くわすなんて……予想はしていたけどね」
「予想はしていたのか」
「僕を誰だと思っているのかな?で、黒獏に見つかったのかな?」
「そうらしいな、嗅ぎ付けてきたみたいだが逃げた」
「逃がした、の間違いだろ?」
叶麒は苦笑し降参したように両手をあげ頭を横に振った。
「叶麒は優しいからね、菊緒さんの代わりは荷が重いと思う。けれど彼女があそこから出ると確実に迷子になるから出せないよね。彼女が動けば一瞬で捕縛完了なんだけど」
「それは否定しない、というか出来ない。その節は大変お騒がせした」
「いえいえ、こちらこそお世話になっているのでお互い様だよね」
叶麒が深々と頭を下げると奏人もそれに習って深々と頭を下げる。しばらくすると二人同時に顔を上げ笑む。
「今日は歩夢と一緒じゃないのか?」
「今日は別のお客様の所へ行ってもらっているよ、漸く仕上がったからね。歩夢に行って来るように命を出したんだ」
左掌には機械式の懐中時計が握られている、竜頭を押し込むとアラベスク模様の蓋が六時の方向へ開く。
黒い文字盤には奥行きのある空間が広がっており、その中には数字はなく無数の白い文字が忙しなく動き続けている。
「奏人のそれはいつ見ても良く分からない、それは時計で間違いないのか?」
「時計に見えるなら時計なんじゃない?」
「数字はないし文字が好き勝手動いているから時計ではない気がするのだが」
「なら違うんじゃないかな」
曖昧な答えばかり口にしつつも奏人は文字盤から目を離そうとはしない、動き回る文字は時々止まっては何かの文章を作りそれを読む、それを数分間続けてから、カチリと音をたてて蓋を閉めて懐にしまい、叶麒を見て微笑む。
「漸く持ち主とのご対面って所みたいだ」
「心配か?」
「心配じゃないと言えば嘘になるかもしれない、でも僕はあの子を信頼しているからね大丈夫、それじゃあ僕は帰るよ」
踵を返し右手を上げてヒラヒラと振り姿を消した、残されたのは後姿を見送り苦笑した叶麒ただ一人。
「やっぱり心配なのか、さて俺も本当に帰らなくては……あ、今度遊びに来いって言うの忘れていた。菊緒様にまた叱られるな……はぁ」
肩を下ろした溜息を吐く、足元からは金色の紋様が浮かびあがり、叶麒の体をゆっくりと包み込み光りの中に消え、空白の世界には完全なる静寂だけが残された。
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満月の夜に満開の桜が咲き乱れる庭に、艶やかな着物を着た女性が立ち桜を眺めている。
歩夢は、女性から数歩離れた場所に立ち彼女の様子を伺っている、垂髪は絹の様に美しく夜空を映している。
「どうですか?」
女性は袖に触れ、直し箇所を確認し満足そうに頷くと顔だけ横に向けて微笑んだ。
「満足よ、これでいいわ」
「では、依頼主様との対面を行います」
「ええ、頼むわ」
歩夢は獏の姿となり目蓋を閉じる、満月の光りが歩夢と女性の間に柱となって降り注いでいくと、柱の中から一人の女性が現れた。
歳は六十代、綺麗な白髪を一つに束ね、落ち着きの有る着物を着ている。
「あら、此処は?」
依頼主の飯塚サチコは辺りを見渡して、目の前に立つ歩夢を見つけ微笑むと近付こうとした。
しかし、歩夢はそれを制するかのように首を横に振りサチコの奥に視線を向けると、サチコもそれに習い振り返る。
「貴女様……そう、直ったのですね」
垂髪の女性はゆったりとした身のこなしで振り返る、きめ細かな白い肌に切れ目の端は赤く彩られ、形の良い唇には真紅の紅が差され美しい笑みを口元に浮かべている。
「久しいわねサチコ、元気だった?」
「ええ、お陰様で。貴女様も更に美しくなられたようですね」
女性は満足そうに笑みサチコに近付き見下ろした。
「当たり前よ、あの有名な仕立屋で直して貰ったのだから、気分が良いわ」
女性はサチコの周りをクルクルと舞い、そよ風が桜の花弁を白雪の如く地上に降らせ喜んでいた。
女性とサチコの姿を遠くから優しく見守っていたが、生ぬるい風が頬に触れ目を細め一気に辺りを警戒し身構えた。
「サチコの家は変わりない?」
「……ええ、最近息子が仕事で忙しいようで心配ではあります。それに、和樹が話しかけても知らん顔で、これではまるで――」
「源三郎と一緒ね」
サチコは悲しそうに小さく頷くと、女性は困ったように息を吐き袖で口を隠した。
「誤解が誤解を生んだ末路、教えてあげれば良かったのに」
「あの人が黙っていろと……仰っていたので」
「自己満足ね……でも、それももう終わると思うわ」
「どういう事ですか?」
女性はサチコの先にいる歩夢を見つめた、それに気づいた歩夢は首を傾げた。二人が何を話しているのか距離が若干遠くて聞き取れないでいる。
「まぁあ、そのうち分かるわよ。大丈夫よ絶対に、私が保証する」
「そうなんですか?」
「ええ……さて、そろそろ行きましょうか」
女性がサチコに手を刺し伸ばした瞬間、空気が振るえ桜が舞った。歩夢は空を見上げる、満月が赤く染まっていた。
「侵入者」
歩夢は周りを警戒しながら二人の側まで駆け寄り、球体の紋様を造りその中に二人を入れた。
「侵入者です、無理やりサチコ様の意識の中に何者かが入ってきました。私の造った守りから絶対に出ないでください」
女性はサチコの肩を守るように抱き締めた、物は主を大切に思い、また守るという意志を持つようになる、女性もまた自分の主と認めたサチコを守ろうとしている。
「道を繋げますので少々お時間をいただきます……それまでに侵入者を排除しなくてはなりません」
歩夢は幾重にも紋様を組み、それを柱状にし月に届くよう伸ばし、さらに神経を集中させて侵入者の気配を探し出す。
息をゆっくりと口で吐き、ゆっくりと鼻で酸素を取り込む。心音は穏やかに響き、静かに目を閉じる。
視覚を閉ざし、嗅覚と聴覚に集中する。意識を研ぎ澄まして空間にある全てのものを感じ取り目を開き琥珀色の瞳が光る。
「発見しました」
歩夢の背後に鮮やかな紋様が現れると、その中から無数の糸が解き放たれ侵入者のいる桜の木の後ろに飛ぶと黒い霧が勢い良く空に舞う。
「あーぁ見つかっちゃった、随分と鍛えられてるみたいだね」
霧は一つになり中から黒獏が姿を表し藤色の瞳を細め歩夢を見下ろし、歩夢は二人を守るように前に立つと瞳を光らせ威嚇した。




