第一夜 繋がる④
仕立て直し屋の看板が外に出され、扉の向こうからリズミカルなミシンの音が響いている。
太陽は少し傾き、銀座の街を煌々と照らしている。
「奏人さん、これなんですが……」
広くない店内では奏人と歩夢が忙しなく働いている。
奏人はミシンを止め笑顔で振り返った、そこには着物を抱えた歩夢が立っている。
「ん、分からない所でもあったかい?」
「はい、ここの直し方なのですが」
奏人は体ごと向き直ると着物を受け取り箇所を確認する、そして適切な説明と直し方を説明し、途中まで直して見せた。
見た目は二十代後半の奏人は、職人としてはまだ若い部類に入るのだろうが知識は豊富で、その説明も分かりやすく、弟子入りして一年ちょっとの歩夢にはとても頼りになる師匠だ。
「ありがとうございます」
「うん、また分からなくなったら聞いてね」
「はい」
歩夢は着物を抱え、自分の作業机に戻る。その後ろ姿を優しく見守り、奏人は再び正面を向きミシンを走らせた。会話が一切無くお互い黙々と作業をする、それが当たり前なのだ。
玄関からドア・ベルが高く澄んだ音を鳴らし来客を知らせ、音を耳にし歩夢は顔を上げると、椅子を引き玄関に立っている人物を確認すると、奏人の背中に声を掛けた。
「奏人さん、叶麒さんがいっらっしゃいました」
歩夢は立ち上がり玄関へ向かう。
「お久しぶりです叶麒さん」
奏人より頭一個分の高い背丈に褐色の肌、虹色の心持ち吊り上った鋭い瞳に漆黒で癖のない長髪を一つにまとめ右肩に流し、スリーピース・スーツに身を包み不敵な笑みを口元に浮かべた叶麒がトランクを持って立っている。
「ああ、歩夢か元気にしてるか?って……おい、なんだその服装は」
重たそうなトランクをカウンターに乗せ、奥から小走りで出てきた歩夢の姿を足元からゆっくりと見たかと思うと、鋭い目は更に鋭く細くなり、いつもは落ち着きあり心地良い響きの低音の声も、現在は怒気を込めた低い声。
笑顔は崩さずも、その圧迫感に押されて一歩後ずさった、なぜ普通に出迎えたのに射殺されそうな視線を送られているのだろうか。
「えーと……はい元気です。あ、これは袴姿より動きやすくてですね、奏人さんに頼んで作ってもらったん……です。あの、変でしょうか?私はこの姿気に入っているのですが」
そうなのだ、半年以上前に袴姿で作業場を忙しなく動いていたら、壁に立て掛けていた筒状の渡来の生地に躓いて転び、その拍子に棚にぶつかり、棚が揺れ危うく下敷きになる所を奏人に助けてもらったのだ。その日を境に袴はやめて着物にしたのだが、それも動き難く考えに考えぬいた末に出た答えが今の姿になった、奏人も嫌な顔せず、寧ろ面白いと愉快そうに笑い了承してくれたのだが、目の前で睨み付ける男は息を吐き捨て、気に入らないようだ。
「あの方が見たら嘆くな、絶対」
「え、と……」
腕を組みもう一度足元から恰好を確認し、深く重い溜息を吐き、苦笑した。
「……まぁ元気なら良かった。それはそうと、奏人に苛められていないか?もし泣かされたらいつでも俺の所に来ると良い、歩夢の席はいつでも空けいるからな」
厳しい雰囲気は消え、穏やかな表情になった叶麒は冗談なのか本気なのか分からない事を言い笑いかけると、その間に奏人が割って入った。
「おやおや、これはこれは叶麒、ごきげんよう」
「……奏人」
「あなたと言う方は、僕の可愛い弟子を奪おうなんて……いい度胸しているね?」
口元は笑んで声も弾んでいるが、目は鋭く笑っていない。男性にしては華奢で細身の奏人の背中しか見えていない歩夢は首を傾げ、状況が全く分かっていないのだが、その凍てつく笑みの餌食となった叶麒は鼻で笑い、気にする様子はなかった。
「安心しろ半分は冗談だ。お前は相変わらず冗談が通じない男だな、そんなんだと歩夢に逃げられても何も文句は言えないぞ」
「……半分は本気って事だよね叶麒?安心して、歩夢は僕から離れる事はないから」
後ろに隠していた歩夢の腕を引張り横に並ばせ頭を撫で、何がなんだか訳が分からず成すがままの状態で歩夢は二人を交互に見た。
「言いきったな」
「ああ、言い切るよ。ところで、今日は仕事で来たんだよね?」
「当たり前だ、俺も暇じゃない。良い糸が出来たから持ってきた」
「それは素敵だね、それじゃあ早速見せてもらおうかな、二階へどうぞ」
叶麒は短く返事をして奏人の後ろを追い作業場を抜ける途中、辺りに気配を感じて足を止めた。
「今日は賑やかだな、良く話している」
無音であった空間からは、囁き声と笑い声が微かに聞こえ始める、それは耳をすまさないと聞き取れないような小さな声。
奏人は手すりに手を置き振り返った。
「うん、もう少しで殆どの依頼が終わるからね。みんな持ち主のところへ帰れると喜んでいるんだよ」
「そうなのか、そう言えば此処に来る途中で紡ぎ糸が伸びていたが」
奏人は目を細めて天井を仰ぎ妖しく微笑む。
「そうだね、次の依頼が今晩にでも来るだろうね、楽しみだ。とりあえず二階へ行こう」
「ああ」
「じゃあ、歩夢は店番は頼むよ、お茶は僕が何とかするから問題ない」
「分かりました」
奏人は手を軽く上げてひらりと振り足音を立てずに二階へと上がり、叶麒は一度振り返り軽く微笑み後を追った。
二人を見送った歩夢は、よしと気合を入れ腕まくりをし、途中だった作業を再開した。
繕い中の色艶やかな着物は楽しそうに歌を歌っている、持ち主は気品あるご夫人で三世代に渡って大切に受け継がれている代物らしく、初めはとても気難しい相手だった。しかし、時間をかけ粘り強く語りかけていったのが幸いしてか、徐々に彼女との間に信頼関係が築かれていった。
『上手になったじゃないの』
気高さが見える凛とした女の声が頭に響く、お直し中の本人に褒められるのはとても嬉しく、口元が緩む。
「ありがとうございます、そう言って頂けて光栄です」
『私と今の主を紡いでくれて感謝しているわ』
少々高飛車な言い方ではあるが、本当は心配性で優しい記憶なのだと分かった今では、その話し方がとても愛らしく思え、微笑む。
『私の姿が綺麗になる、喜ばしいこと。そして歩夢とも、もう少しでお別れと言うこと、少し寂しいわね、歩夢のドジが見れなくなるのは』
「はは……ドジって……、でも、それで良いんですよ。在るべき姿で在るべき場所に戻る、そこには貴女様を心待ちにしている方がいらっしゃるのですから、寂しがらないで良いんです」
『そうね、そうよね、あの子にまた会えるのが楽しみだわ』
心が弾んでいる声音で再び歌いだす、それは一番最初の持ち主が好んで聴いていた歌なのだとか、信頼関係が生まれ始めた頃に教えてくれたのを歩夢は思い出した。
その歌は切ない恋の歌で、持ち主は儚い片思いをしていたらしい。でもその恋は実る事は無かったと、着物は語った。恋愛に自由な時代であればと、そんな時代が来るのだろうかと着物は歩夢に語りかけていた。
文明開化を謳った明治から大正へと移り変わり、渡来の風習や歴史が着々と、この日本にも溶け込み始めているが、そう簡単に色々変わる訳はない。
恋愛もそうだ、親同士が決めた相手との婚姻が当たり前、自由な恋愛の果てには悲劇しかない。
『歩夢は恋慕とかないの?』
突然話を振られた歩夢は、意識を現に戻し彼女を見た。
「え、ないです」
『即答とは悲しいねぇ、奏人様は?』
「奏人さんは、私の師匠ですから。そんな、邪な心などはないですし……それに私は」
『はぁ……まったく』
彼女は呆れたと言わんばかりの深い溜息を吐くと、再び歌いだした。どうやら持ち主に似るのか歌うのか好きなようで、それ以上何も言わなくなり歩夢は針を動かし続けた。
二階では紅茶のいい香りが漂っている、黒と白のタイルを交互に敷いた床にカブリオールドレッグのワインベルベット素材のソファーが二人掛けと、一人掛けが向かい合わせに置かれている、その真ん中にローズウッドのテーブルがある。
テーブルの上には様々な素材の生地見本と色とりどりの色の糸が並び、テーブルの端にはティーカップが置かれている。
「どれも良い色だね、素材も良い。ああ、これは絹糸」
「当たり前だ、誰が作っていると思っている。……これなんかは俺のお勧めだがどうだ?」
叶麒は糸の山から一本の糸を掴み奏人に手渡す、奏人も糸を受け取ると糸の先を摘み翳し、質感や光加減を確認する。緋色の目は真剣そのもの。
「いいね、それじゃあこれを五つお願いするよ」
「毎度」
叶麒は注文書に記入し、ちらりと奏人を盗み見た。
奏人はまだ生地見本を吟味している。
「仕事熱心だな奏人は、倒れるなよ?」
「誰に言ってるんだい、叶麒?僕が簡単に倒れるとでも?面白いことを言うね」
奏人は生地見本から目を離さずに鼻で笑った。
「その自信家は変わらないのな、お前が倒れたら指差して笑ってやるのに」
「儚い夢だね」
「おしゃべりになったのは変わったか」
「何か言った?」
「いや、別に、独り言だ。ところで歩夢は人間らしくなってきたな、安心した」
何気なく言い放った言葉が良くなかったようで、奏人は手の動きを止め、鋭い視線を叶麒に向け、彼は苦笑いして両手を挙げて首を横に振った。
「悪い意味で言った訳じゃない、一年前に比べたら表情が柔らかくなったと、素直に思っただけだ。気に障ったのなら謝る、すまない」
「別に気にしてないよ、でもあの子は最初から良い子だし、表情も感情もちゃんとあったし可愛い子だよ。お前……見る目ないね、可哀相に」
本当に哀れむ視線を送り嘆息し、ティーカップに口をつけた。
その姿を見て叶麒は重くて深い息を吐き捨て、鋭い眼差しを奏人に向けた。
何かを察した奏人はティーカップをテーブルに置く。
「まぁ、適当な会話は置いといて。今日は仕事だけの為に来た訳じゃ無いだろ?何か情報でもあるの?」
「察しがいいな、菊緒様からの伝言だ。ここ最近、黒獏が頻繁に動き出している、巡回はしているが逃げ足が速く捕縛出来ていない。なので夢渡りの時は気をつけろ。奏人には歩夢がいるから問題ないとは思うが、念には念を、だ」
奏人は背もたれに背を預け仰ぎ嘆息した。
「……黒獏か、近頃は大人しかったけど何でかな、目障りだね。早く捕まえなよ叶麒の役立たず」
冷たく光る緋色で叶麒を射抜く、彼は足を組み疲れきった表情を浮かべ抗議した。
「おいおい、夢渡りが減ってきている現在、人材不足なのはお前だって重々承知してるだろ?それに捕縛は、俺には不向きだと自覚はしている」
叶麒はわざとらしく背もたれに体を倒す、奏人はそれを見て苦笑し、首を振る。
「紡ぎ師も減ったから分かっているよ、嘆かわしいね。恐らくこの時代が終わってしまえば、語るものがいなくなってしまえば、この世界は黄昏に飲まれてしまい僕達の存在も果てへ還るだけだね、きっと。それと、優しい叶麒には荷が重い仕事って言うのも分かってる」
「そうかもしれないな、それでも構わないと思っている。だが、そんな先の話より今だ、伝言はちゃんと伝えたからな」
叶麒は紅茶を一気飲みし、テーブルに置かれた糸をトランクに詰め始める。
「僕まだ見てるんだけど、何故片付けてるの?」
「あ?お客さんが来そうだから、また次回来る。今夜も巡回はしてるから、困った事があったら呼べ」
「そうならない事を願いたいね」
二人は同時に立ち上がっると、一階から歩夢の「いらっしゃいませ」という声が聞こえ、互いに顔を見て笑った。
勇は風呂敷包みを片手に仕立屋に入店していた。太陽はまだ高く夕暮れには程遠い時刻ではあるものの、何かに急かされるように仕事を切り上げてやってきた。
「いらっしゃいませ」
奥の作業場から声が聞こえ、間もなくして歩夢が顔を出した。中性的な顔と声、やはり性別の判断が出来ないでいるが、考えるのが面倒になり青年だと結論付けた。
「昨日言われた仕立て直しを頼みたいんだが、店主は不在か?」
「二階におりますので、少々お待ちくださいませ」
歩夢は微笑み頭を下げ後ろを振り返った所に、丁度階段を下りてきた二人を見つけた。
「申し訳ありません、お待たせ致しました」
爽やかな笑顔でやってくる奏人の後ろには、営業スマイルの叶麒が居る。
叶麒は軽く勇に会釈をし横を過ぎる時、一瞬だけ風呂敷包みに目をやりそのまま店を出て行った。
店の扉を閉めた叶麒は小さく口元を上げ空を見上げた、雲が多く西に傾く太陽が薄暗い空間から出て来た目には染みるようで、目を細めて前を向いた。
「あの包みの中の物は、黒獏が好みそうだな・・・俺も繋がってしまった様だし、気にしておくか、さて・・・早く帰らなくては」
叶麒は真っ直ぐ歩き、建物の壁に浮き上がる紋様の中に迷い無く入いった。
店内では奏人が勇にジャケットを着せて寸法の調節をし、歩夢は側で助手として手伝いをしている。
「肩幅はもう少し狭く、腰周りも細くしましょう。袖丈は・・・・」
手際よく調整箇所に印をつけていく、奏人の頭の中ではジャケットが分解されているのだろう、その目は鋭く手際よくお客様に時間を取らせないように鮮やかな身のこなしで動いている。
歩夢は手に持った紙の束に奏人が言った内容を迷わず書き残す。
「こんなものですかね」
一通り印を付け終えると、腕まくりしたシャツを伸ばし勇に笑顔を向けジャケットを脱がした。
「では仕上がりは、今ですと二週間から三週間いただきます。此方にお名前などを記入をお願いします」
カウンターに預かり書とペンが置かれており、勇は必要な箇所を埋めていく。
ジャケットを受け取った歩夢は置くへ戻り、部屋の端に置かれている男性用トルソーに掛け、次に書き残した紙を奏人のミシン横に置いた。
それを確認すると奏人は勇に向き直り、書き終わった預かり書を確認した。
「飯塚勇様ですね、確かに大切なお品物をお預かり致しました。お受け取りは如何なさいますか?」
「持ってきてくれるのか?」
「ご希望であれば」
「ではそれで頼む、私は忙しくてなかなか銀座へ来れなくてな」
「畏まりました、では仕立て直しが済みましたら一度ご連絡し、飯塚様のご自宅へお持ち致します」
奏人は深く腰を折り頭を下げる。
「よろしく頼む、では」
勇は荷物を片手に扉を開き肌寒い風が吹く外へと出て行った、扉が完全に閉まるまで二人は頭を上げることはない。
カチャリッと扉が閉まる音を確認すると、ゆっくりと頭を上げて奏人は踵を返し奥へ向かう。
「そのジャケットどう?」
「ん―……ないんです」
「だろうね」
「あるのにないんです」
「うん、何を言いたいのかはよく分かるよ」
歩夢は腕を組み首を傾げ、奏人は面白そうにその姿を見ながらジャケットに触れる。
威厳さの中にある温かさ、その人の生き様がその物に宿っている。
「本当にあの子達が好きそうだね」
「え?」
「黒獏、さっき叶麒が教えてくれたんだよ。久々に動きが多いって」
振り返ると歩夢は複雑な表情をしていた。
「紡いでる時に来た場合、貴女には動いて貰うけど・・・」
「大丈夫です、問題ありません」
「辛いと思うけれど」
優しく頭を撫で手をゆっくり下ろし頬に触れる、体温の低い手には温かい歩夢の体温が心地いい。
「頼むよ、私の獏」




