エピローグ②
横を見ると、夜霧より背の低い歩夢が腕組みをして、パーラーがあるであろう方向を見つめて息を吐き出すと何を考えているか読み取れない表情で見上げた。
「こんにちは夜霧さん、お使いですか?」
「う、煩いな、お前に関係ないだろ!って言うか気配消して横に立たないでくれない?」
「ああ、すみません。極力その空間の一部であるようにするのが癖でして、私が歩くと道行く人が何度も見てきますので、きっとこの髪色のせいかと思います。なので――」
「……変な癖もたないでくれる、別に他人にどう見られようと気にしなきゃいいじゃないか、それに髪色が原因じゃないと思うけど」
「世を凌ぐための能力です、空気の一部……いいですよ?」
「お前、残念な奴だって言われない?」
「え」
きょとんと首を傾げる歩夢の姿を足元からゆっくり見るや否や、怪訝そうな表情になった。
「ねぇ、なんでそんな姿してるの?女なら着物じゃない?向こうでは袴姿だったのに」
「これですか?動きやすいですよ、奏人さんが作ってくださいました」
得意げに両手を広げて見せるが、そんなもの興味がないと言うように正面を向くと歩き出し、歩夢も慌てて隣について歩くと、一緒に歩くなと言わんばかりに眉間に皺を寄せて流し目で見下ろすが、歩夢はそれを気にしていないふうに話しかける。
「ところで今日は叶麒さんと一緒ではないのですか?」
「……一緒だよ、だからこれを頼まれたんだ、ったく獏使いが荒いよあのヒト。今はお前のご主人さんと仕事の話してるんじゃない」
「なるほど。……果ての国は慣れましたか?」
「あの場所は良く分からない、本当に時間が分からなくなる。でも、菊緒様は色々と世話を焼いてくれるし、霧人の話も色々教えてくれる。俺の知らない話ばかりで楽しいよ」
初めて会った時の刺々しい雰囲気は無くなり、亡き主人の事を話す横顔は晴れやかな色が見え、隣を歩く歩夢は優しく笑んだ。
「この羽織りは菊緒様の紡いだ糸で出来ているらしい、だから普通の糸で作ったモノよりも想いを宿しやすいって言ってた。これを託された理由はなんとなく分かってきた、霧人はここにいるんだ、いつも見守ってくれてたんだ。そんなことも気付かなかったなんてね」
「でも今は気付かれたじゃないですか、それで良いんですよ。これから羽織と共にこの世界を見れば良いと思います、それを霧人さんは願っています」
驚いた表情で歩夢を見下ろし、やがて息を吐くとぎこちなく笑い夕暮れの空を見上げた、陽は傾き白い月が黄色に染まり始めている。
「霧人だったらそう思ってるだろうね、心配性だったから……自由人だったけど」
「多分、紡ぎ師は皆さん自由人だと思います」
「そうらしいね、お前の主人も結構、自由人っぽそうだし」
「否定はしません」
「はは、即答!お前って面白いね」
豪快に笑う姿に一瞬驚くも、歩夢は自分は普通に答えたのに何故笑われたのかと、頭を悩ませ首を傾げ唸っていると、夜霧の歩く速度は遅くなり、小さく声を上げた。
「あそこです!あんぱん!」
無邪気な声が正面から聞こえ視線を向けると、歩夢もまた小さな声を上げ歩みを止める。目の前には中睦まじい親子の姿、急かすように父の手を引張る少年とその後ろから聖母のように微笑む母親、夜霧は後ろめたさに視線を外す。
「こら和樹、そんなに引張るな。焦らなくても大丈夫だから」
「分からないよ?売り切れちゃってるかもしれない、あ、ほら、あそこのお兄ちゃんが持ってる袋!」
和樹が指差すのは夜霧の抱えている包みで、肩をびくりと跳ね上げ顔を背けた。
「和樹!人様を指差しては失礼だ、やめなさい!」
次に肩が跳ねたのは和樹で、勇はこちらに向かって頭を深く下げ謝罪すると、和樹もそれにならい「ごめんなさい」と呟き謝った。
「大丈夫です、お気になさらないでください」
そっぽを向いたままの夜霧に代わって、営業の笑顔で対応をした。頭を上げた和樹は正面にいる夜霧の顔を見て首を傾げたが、勇に軽く頭をぽんぽんと叩かれ二人の横を通り過ぎて行き、歩夢は若干面白そうな表情を浮かべる。
「純粋な子供は恐ろしいですね、それとも語部の血のせいでしょうか?」
「あの子、なんか変わったね」
「人間は成長するものですから。私達に比べたら短い人生、その人生で得た経験は個人をつくって行くのです」
「儚い生き物だよね」
「だからこそ美しいのです。さぁ、急いで帰りましょう、逢う魔時は何が起こるか分からないので」
「そうだね」
二人の後姿を勇はただじっと見送っていた。和樹は良子と共に列に並び楽しそうに話している。
「何処かで見たような……思いだせん」
象牙色の髪の青年を見て腕組をして、記憶の引き出しを漁ったが、何かに拒まれ邪魔されているように、思い出すことが出来ない。
「どこで見たんだ?」
「父様、買って来たよ!……どうしたの?」
「ん?ああ、いや、なんでもない。買えたのか、良かったな」
和樹の頭を撫でてから手を繋ぐと、和樹は姿が小さくなった二人を見つめる。
「和樹もか?」
「え?」
驚き見上げると困った表情で笑う勇の姿があった。
「思い出せないんだ、無理やり思い出そうとすると“何か”がもっと置くに隠れてしまう」
「僕もね、さっきのお兄ちゃんをどっかで見た事あるの。でも思い出せない、暗い暗い闇の中に隠れちゃうの」
『――この子を起すには紡ぎ師様に頼るしかない――』
『夢と現の狭間に生きる方々――』
『一度は皆お会いしているんだけれど、目覚めるとその方々の存在だけが消えている、では何故こういう話が伝わっているのか?それは分からないけどね、さて……どうしたものか』
頭の中で母サチコの言葉が聞こえた。それは和樹が迷い人になった時に聞いた内容で、勇は何かに気付き口元を緩めた。
「この世は摩訶不思議なことがまだまだあるんですね、母さん。それを貴女は知っていたんですね、父さんといい母さんといい……隠すのが好きなんですね」
「父様?」
「家に帰ったら、昔話をしよう。語部だったお祖母様から聞いた話だ」
「お祖母様のお話?僕、聞きたいです!」
「そうと決まれば、早く帰ろう」
和樹を間に挟み、右手には勇、左手には良子に繋がれて優しい光りに包まれ家路についた。
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銀座煉瓦街の大道りを一本入る、ガス灯は間隔を置いて並んでいるが光りは儚く、物悲しさが漂っている。さらに奥へ進んで行くとその灯りさえも届かない、煉瓦造りの建物がある。
玄関の両側には出窓がありカーテンは閉じられ、右の出窓の下に置かれている《仕立て直し屋奏》の立て看板は片付けられ、扉の向こう側は人の気配が感じられず、二階の窓もカーテンで閉じられているが、微かに開いている隙間から柔らかな灯りが漏れている。
「今回の糸は雰囲気が変わっているね」
黒と白のタイルを交互に敷いた床にカブリオールドレッグのレッドベルベットソファーが二人掛けと一人掛けが向かい合わせに置かれ、その間にはローズウッドのテーブルが配置されており、色鮮やかな糸が行儀良く並べられ、天井に吊るされたステンドグラスの照明は、キラキラと星を放って部屋を照らしている。
「ああ、上機嫌で紡いでたからな」
「菊緒さんが上機嫌か、ちょっと怖いなぁ」
いかにも芝居じみた口調で言葉を吐きつつ、視線は真剣にテーブルに置かれた糸を見て品定めし、気に入ってモノを端へ置くと叶麒は手帳に筆を走らす。
「夜霧君どう、向こうではどんな感じ?」
「……珍しいな、お前が他人に興味持つなんて」
「そう?ほら、黒獏って珍しいから興味持つのは自然なことじゃない?」
筆を止め顔を上げ正面を見る、奏人はその視線に気付き目だけを向け口元を上げる。
「で、どうなんだい?」
「向こうに着いて直ぐに菊緒様が禊をしてくださった。そして、霧人の飼い獏だと知って、楽しそうに昔話を夜霧にしていた。あいつもずっと聞き入っていたな、飽きることなく、もっと教えて欲しいとせがんでた」
へぇ、と興味無さ気に呟くと再び視線を下げ品定めを始め、手を伸ばすと同時に叶麒の小さな声が重なり動きを止め、ゆっくり顔を上げ向き合った。
「何かな、叶麒?小さい声じゃなくてはっきりと言ったら?」
「お前、霧人に頼まれていたんじゃないか?」
「へぇ、何故?」
ゾッとするほど美しい表情で微笑み、真紅の瞳は微かに光を放ち相手を射抜く。普通の人ならば蒼白になり怯えるだろうが、目の前にいるのは眉間に皺を寄せ、怪訝な表情を浮かべる麒麟、美しい表情も瞳も恐れの類としない。
「その顔、歩夢にするなよ」
「はは!する訳ないだろ?歩夢は僕の大切な子なのだからね」
芝居がかった動作で否定をするが、叶麒は疑いの目で睨み付けたが効果は無く、奏人もそ表情を恐れの類としていない様子だ。
「ほどほどにしろよ、逃げられても知らないぞ」
「……だから、しないって。信用ないなぁ」
「紡ぎ師は人が悪いからな、で、どうなんだ。霧人に頼まれていたのか?」
「うん」
「あっさりだな」
「え、うん。別に隠すまでも無いし、それにアレはあの人が無理やり約束させたものだしね、紡ぎ師の約束は切って切れるものじゃない、果たすまで永久に糸は絡まり続ける。漸くそれに開放されたんだ、気分が良いったらないね!」
糸が消え去った手を天井に翳すと、眩しそうに目を細め柔らかく笑い、その姿をただじっと静かに目を凝らすと短く息を吐く。
「そうだな“一つ”の約束は果たしたようだな、でも。奏で紡ぎし人の体には幾重にも巻きつく永久の糸はまだ残っている、お前はどれだけの願いに囚われているんだ?」
煌めく糸は奏人の体の周りを緩やかに舞い、左腕を右から左へと平行に動かすと糸は空気の中に姿を消し冷めた視線を向ける。
「さぁ?そんな昔の約束なんて忘れてしまったよ。今回だって、あの人と関わっていたなんて知らなかったしね、世の中っていうのは狭いよね」
「――そうだな」
奏人は静かに目蓋を閉じ、無数の記憶の中から一つの思い出を引張り上げた。
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真っ赤に燃える空、山肌は橙色に染まっている。烏は子が待つ巣へと帰り、人の子もまた遊び疲れて走って家へと帰って行く。
小さな村の外れにある小さな社には、夢見様といわれる生き神にされた紡ぎ師が閉じ込められていた。
罪は、一人の女を殺めてしまった事――好奇心旺盛だった女は、紡ぎ師の見る夢とはどんなものか?と気になり見せて欲しいとせがんだ、きっと美しくて安らげる世界なのだと、という夢を抱いて。
しかし紡ぎ師は拒んだ、人が見れえる世界ではないと、現と夢の狭間に生きれるだけの心が無ければ壊れてしまうと、女はそれでも見たいと願った、人とは自分の欲が満たされないと満足しないし諦めない。
そしてある日、女は死んだ。紡ぎ師は己が犯した罪と言い張ったが、結局のところ興味の対象が目の前にあれば、何れはこうなる結末だっただろう。
それから村では男達が集まり、罪人の処罰を如何するか議論された。
「死刑だ、殺人犯だぞ」
「村を追い出す!」
「あんな化け物、殺せ!」
「斬首!それくらいしなければ、あの子が報われないだろ!」
「良い子だったのにな、惜しい子を失った……」
様々な言葉が飛び交った。だが、紡ぎ師がいる村は栄える、そういう言い伝えがあり、現に紡ぎ師が住んでいる村は小さいながらに栄えていた。
その幸福を捨ててまで紡ぎ師を殺めてしまってもいいのか?否、困り果てた人々は幾重にも呪をかけた神社に紡ぎ師を閉じ込める事にし、自分達を善と謳った。
「まったく、愚かな事だ」
誰に言うでもなく言葉を吐き捨てる。黒い頭巾を深く被り、漆黒の着流し姿の奏人は朱色の鳥居と石畳の道と手入れの行き届いた境内を覗き込んだ。
「あの人ならば、この程度の呪は解けるだろ……果ての国へ戻ってくれば良いものを、何故此処に留まっているんだ?」
理解出来ないと首を傾げ、足を踏み入れる。本殿の入口には常に新鮮な供物が備えられており、その横に腰掛け、橙色に染まる山々を眺めていると社から鎖が床に擦れる音が微かに聞こえた。
「お目覚めか、霧人」
「ん?ああ?……今、夕刻?」
寝起きで声が擦れてはいるが、その声は全てを包み込むような優しさがあり、勿論、本人も人を殺めるような惨忍な性格はしていない。
「黄昏時」
「もうそんな時間かぁ、おはよう奏人」
シャラリと鎖が鳴り、音は真後ろで止まった。
「うぉ、眩しい」
「……は?」
夕日を見て眩しがるとは、この人の目は大丈夫なのだろうかと心の中で心配していると、後頭部に鈍い痛みが走り、横を見ると紡ぎ糸が転がっていた。
「糸とは人を攻撃するものではないと記憶していたが…違ったか?」
「お前が良からぬ事を考えていたっぽいから、目を覚まさせてやった!あり難く思え!そして敬え!はっはっはー」
「っぽいで攻撃するとは、間違っていたらどうするんだ」
建物の影に隠れて、豪快に笑っている姿を想像すると若干可愛いと思え、奏人は微かに口元を上げて、紡ぎ糸を後ろへと勢い良く投げ返すと何かにぶつかった音と呻き声が聞こえた。




