↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/19

エピローグ①

 空は雲一つなく冴え渡っている、サチコは縁側に座って暫し微睡んでいると玄関が開く音と共に澄んだ声が聞こえ目蓋を開けた。


「ごめんください、仕立て直し屋です」

「はい、ちょっと待ってくださいね」

 ゆっくりとした動きで膝を庇いながら立ち上がると、急ぎ足で玄関に向かった。

「あら仕立て直し屋さんのお嬢さん、いらっしゃい」

 玄関には、清潔なワイシャツにエンジのリボンタイを結び、黒のベストに足の細さを強調させるストレートのスラックス姿の歩夢が風呂敷包みを両手に抱え立ち、サチコに気付くとニコリと笑みを見せ会釈した。


「何かお直しをお願いしていたかしら?あの方は戻って来ているし」

「勇様のジャケットをお持ち致しました」

「勇の?」

 風呂敷包みの結びを解いて中身を見せるとサチコの瞳は大きく見開かれ、歩夢から渡されると愛しそうにジャケットを撫で目蓋を閉じ亡き夫を思い出す。


「そう、あの子がこれを、それで」

「もう少し早くお届けに伺いたかったのですが、こちらの事情で遅くなってしまいました、申し訳ありません」

「いいのよ気にしないで頂戴、本業の方が忙しかったのよね」

 深々と下げていた頭を上げ苦笑混じりに曖昧な表情を見せると、サチコはジャケットを広げ懐かしみ歩夢を見て優しく微笑む。


「やはり私達の存在を忘れない人なのですね」

「ええ、語部(かたりべ)の血が少し入っているから、昔からそうなのよ」

「そうだったのですか」

「勇も子供の頃は良く貴方達の話をしていたわ、でも大人になるにつれて無くなってしまったようだけれど」

「勇様はどちらへ?」

「銀座へ出かけているわ、家族団欒で」

 サチコは心から嬉しそうな表情で遠くを見つめてジャケットを抱きしめ、歩夢の瞳は微かに揺れ儚く見据えた。

「あの日、和樹が夢迷いから戻った日から勇は憑物が落ちたように変わったの、仕事仕事と言っていたのに家族との時間を優先的に取るようになったわ。表情も穏やかで昔のように優しい雰囲気、和樹も逞しくなって良子さんに泣きつかなくなったわね、安心したわ」

 その声は静かな湖のようで、心に染込み胸に手を置き目蓋を閉じた。


「―――それは良かったです」

「本当に感謝しているわ、ありがとう。紡ぎ師様にもお伝えして頂ける?」

「承知しました、ご依頼主に満足して頂く事が我ら夢の渡り人の喜びです」

 瞳を輝かせながら恭しくお辞儀をして踵を返し、最後にもう一度だけ微笑んで静かに戸を閉め、感情の読めない表情で空を見つめ家路についた。


 歩夢の去った後、サチコは暫しその場に留まっていたが歩夢の影と足音の遠ざかる音を聞くと、ジャケットを大切そうに抱え勇の書斎へと向かった。

 一代で築いた豪邸に今は一人きり、見慣れた廊下を一歩一歩進み書斎の扉を開く、見慣れた室内は昔の面影は無く勇の物で埋め尽くされている。

 ジャケットを衣紋掛けに掛けて書斎机の前に立ち、優しく机を撫でていると背後に気配を感じ振り返り、一瞬驚いた表情をしたが全て悟ったのか目に涙を溜め一歩前に足を出す、姿は若返り体が光りに包まれる。


「いつからそんなに泣き虫になったんだ?」

「もともとですよ、知らなかったんですか源三郎さん」

 目の前には若くしてこの世を去った源三郎が苦笑して立っていた。

「何か忘れ物ですか?」

「いいや、迎えに来たんだ、もう時間だからな」

 久方ぶりの夫婦の会話にサチコの心が弾むと共に、差し出された大きく厚みのある手に自分の華奢な手を乗せる、触れたくて触れたくて仕方の無かった愛しい人の温もりに涙が溢れた。


「一人で勇を育ててくれて感謝してる、ありがとう」

「当たり前です!女は強し、それに源三郎さんが残してくださった財産のお陰でもあるんですよ、私の方こそありがとうございました」

 サチコの背に腕を回し胸に閉じ込め、逞しい胸板に顔を埋め両腕を源三郎の背に回し、その存在を確認した。


「もう良いだろ、勇はもう大丈夫だ」

「そうですね」

「長い旅路だ、沢山話をしようか、今までの事や昔の事を」

「はい、源三郎さん」

 二人を包み込んだ温かい光りは粒子となるり、廊下を舞い居間を舞い縁側を通り中庭に出ると傾きかけた太陽に向かい舞い上がり、やがて光りは風と共に消えた。

 点灯夫が点灯棒を持ちガス灯に灯りを灯して回る銀座大道り、勇は物思いにふけり夕空を見上げていた。


「勇さん、どうかしましたか?」

 ふと呼ばれて横を見ると、鮮やかな着物姿の良子が買った荷物を抱えて不思議そうな表情をして、その横には行き交う人々を目で追うのに必死な和樹が立っている。


「いいや、その着物似合っているな。母さんにも見せてやりたかった」

「そうですね、こんな素敵な着物を受け継がせてくださるなんて、私には勿体無いくらい」

 前合わせを触れ儚く笑い、勇は良子の肩に手を置き顔を横に振る。

「お前だから託したんだ、そんな事いうな。その着物は代々我が家の女性に受け継がれてるもの、次は良子がその方を守るんだ」

「その方……ですか?」

「ああ、母はその着物を貴女様と呼んでいたんだ、祖母も曾祖母も皆がそう呼んで大切にしてきた、何れその理由が分かると思う。俺には分からないが、母も受け継いで少したったある日から理由が分かったと言っていたな」

「じゃあ私も、いつか貴女様に会えますかね」

「会えるさ」

 お互い顔を見合わせていると「あ!」と和樹が何かを見つけたように興奮した声が下からした。


「木村屋だ!父様、木村屋です!」

 指差す方には人だかりの中に木村屋の看板が見え、顔を見ると行きたいと言わんばかりに瞳を輝かせて見つめているものだから勇は苦笑し、和樹の手を掴むと一瞬驚いた表情をした。


「行くか、あそこのあんぱんは人気だから売り切れているかもしれないが」

「行きたいです!」

 無邪気に飛び跳ねて父を急かし向かう後姿を、良子は微笑ましく見つめてから空を見上げ呟く。


「お母様、見ていますか?」


 その声に返事をするように、一番星がきらりと瞬く姿を見て目蓋をゆっくり閉じサチコの事を思い出していた。

 和樹が迷い人となった日の夜、不安で不安で仕方なく息子の手を握り締めていた時にサチコが着物を抱えて部屋に訪れ良子の隣へ腰を下ろしす。


「大丈夫だよ、和樹はちゃんと戻ってくるから」

「お母様、でも……もし!」

「もっと強くおなりなさい、現への道を照らすのは貴女の強い思いなのだから」

 そう言って良子の膝の上に鮮やかな着物を乗せ、穏やかな表情で微笑み背中をさすり、良子は和樹の手を離し着物を触れた。


「お母様、これは」

「これは、この家の女性に受け継がれている着物、おとつい仕立て直しから戻ってきたばかりなの、綺麗でしょ?」

 良子の手に自分の手を重ねて着物を見下ろし、一度目を閉じ息を吐く。

「これを良子さんに託すわ」

「え……お、お母様」

「何れ、この着物が貴女を導いてくれるわ。大丈夫よ、全て上手くいくから安心なさい」

 全てを知っているかのようなその言葉。優しく降り注ぐ声は不安で潰れそうな心を包み、良子は次第に落ち着きだすと、膝を庇うようにサチコは立ち上がり戸口に立つ。


「貴女は私にとって最高の娘。勇と和樹をよろしくね」

 儚く消えてしまいそうな微笑は良子の心に残った、それから翌朝に和樹は何事も無かったように目を覚ました。その日から何故か勇は家族との時間を持つようになり、和樹と仲睦まじく他愛の無い会話をし、笑いあった。何があったのかは良子には分からなかったが、サチコはその姿を満足そうに見つめ、目を閉じて声の無い言葉を紡いでいた。


『ありがとうございました、貴女様』


 それから数日後、澄み渡る青空の日にサチコは安らかな表情で静かに眠りについた。


「母様ぁ!早く来て!」

 和樹の元気な声で記憶から一気に引き戻され、足を前に出す。


「はいはい、そんな焦らないで、転ぶわよ」

 着物の袖が緩やかに舞うと、微かに桜の香りが鼻を擽った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 木村屋の店前は、あんぱんを買い求めてくるお客が列を成している。その中に不機嫌顔の青年が一人、あんぱんの入った袋を腕に抱え重く疲れきった溜息を吐き出した。

「もう、何でこんなものの為に人は並ぶの?意味が分からないんだけど、ってかこれの何が美味いってって言うのさ――はぁ、疲れた」

「これでも人は落ち着いたんですよ、今は昨年出来たフルーツパーラーが人気でしょうか?私もあまり現の世界には詳しくは無いのですが、奏人さんは一度行ってみたいって喚いていましたね、今度行くかもしれませんね。行ければ…ですが」

「お、お前」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。