第四夜 夢見様③
異常なまでに早く鳴る心音、震えだす腕は自分のものではなく感じる恐怖。
「なんで、ねぇ霧人・・・起きなよ、頼むから起きて!」
悲痛な叫びは轟き、頬を伝う涙は止まることを知らず抱きしめた霧人の顔に零れ落ちると、霧人の体に白い紋様が浮かび上がり光りを放ち消滅した。
重みを失った腕をただ見つめ、床に残された羽織を掴み抱きしめる。
「霧人が何をしたって言うの・・・人に何をしたって言うの?」
夜霧はゆっくり立ち上がり、床には円状の毒々しい色の紋様が浮かぶと、中から黒い霧が舞い上がると羽織りの袖に腕を通すと天井を見上げ、その瞳には絶望と憎しみの色が濃く見え、紋様が体に染み渡った。
「人間なんて、消えてしまえばいい。永遠に迷えばいい」
夜霧は黒獏の姿になると静かに外へ歩き出し、どこからか悲鳴が聞こえたと思う空間が歪み空間が切り替わった。
分厚い雲が覆う空の下には黒い霧に包まれた小さな村がり、村からは人々の悲鳴と許しを請う声が入り混じり、何かに怯えて逃げ惑っていた。
「命乞いなんて無様だね、霧人は命乞いしなかったと思うよ」
引きつった顔の村人は獣のように地を這って逃げ許しを請い、霧人はその後ろを冷めた目で追い詰め、容赦なく黒い霧で飲み込んでいく。
「お、俺たちが何をしたってんだ!」
「俺の主を殺したじゃないか」
「主?」
「お前らが言う夢見様だよ」
「し、知らないよ!あたし等は関係ないよ!」
「霧人の社に転がってた死人は此処の奴らだった、それでも知らないの?」
武器を片手に夜霧を囲み抗議するが、夜霧が一歩踏み出すと息を飲み下がる。
「あ、あんな化け物の所へ行くあいつ等が悪い!自業自得――」
「霧人を蔑む呼び方をするな人間」
声は硬く、怒りを含み、藤色の瞳の奥に闇が宿ると地面から黒い霧が溢れ出し、人々は絶叫して、夜霧はとても冷たい言葉を呟く。
「己が悪夢に埋もれなよ」
黒い霧は生き物のように人に向かい、霧が触れた人は次々と絶望の表情で地面に倒れて永遠の眠りについた。悲鳴に包まれていた村は夜になると静寂が生まれ、地面には人が積み重なり目を見開き眠り、それを嘲るような冷たい目で一瞥すると踵を返し、黒い霧に包まれ姿を消すと世界は白い霧に包まれ、空間はやがて社の中へと戻った。
中央には背を向けた霧人の姿があり、夜霧は震える唇で彼の名を呼んだ。
「霧人」
(こういう結末になることは目に見えていた、お前は純粋な子だから。ごめんな、夜霧)
「残像ですか」
歩夢が呟くと霧人は微かに顔を横に向けて頷くが、どのような表情をしているかは髪に隠れて見る事はできない。
「何であんな殺され方したの、何でオレを置いて行ったの!」
(俺は昔一人の女性を殺めた、俺の見る夢が見てみたいと願ってね。俺は拒んだが、好奇心旺盛な彼女は引かなかったけど、気まぐれで見せてしまったのが悪かった。俺は知らなかったんだ、紡ぎ師の夢の危険性が―――彼女は一瞬で狂い、心を失って衰弱して死んだ)
「そんなの、そいつがいけないんじゃないか!霧人は悪くない!」
(人はそれを許しはしないんだ、異端者は受け入れられない。村人は恐れて俺を此処に閉じ込め、償いとして反物を織り続けさせられた。永遠と続くこの人生に疲れたんだ、でも己を殺めることは紋様が許さない、だから――)
「殺される事を選んだのですか?」
(そうなるね)
「勝手な」
(俺は勝手な男だから)
「なら、なぜ夜霧さんに名を与えて縛ったのですか?」
(そうだね、なんでだろう。なかなか心開かない夜霧が、漸く俺に近付いてくれた時に凄く嬉しくなって、一緒に居たくなったから名をあげたのかもしれない)
「獏を愛玩動物とお思いですか?」
歩夢の言葉は冷静であるも冷たく、琥珀の瞳には軽蔑する色が見える。
(そうは思っていない、獏は優しくて儚い、そして素晴らしい生き物だ)
霧人は左手を体の横に上げる。
(寂しい思いをさせて済まなかったな夜霧、俺のもとへ来るか?)
「え?」
(俺の体は朽ち果て残影でしかないが、お前が望むなら連れて行く)
夜霧はよろめくように一歩足を出したが、それは歩夢に腕を捕まれ阻止され睨みつけるが、歩夢も自分の腕を見ると、きょとんとした表情をすると頭上から怪訝そうな声が降る。
「なに?」
「えっと……体が勝手に、といいますか私に巻きついた紋様が勝手に」
「は?何言ってるのお前」
歩夢の腕を振り払おうとするが外れず夜霧は変な声を上げ、背を向ける霧人の肩が小刻みに上下すると我慢できずに噴出し、二人は驚き正面を向いた。
(ははは、流石は俺の意志を紡いだ羽織りだ!我ながら最高傑作を作ったようだな、天才だな、いや参った参った)
霧人はゆっくりと振り向く、その表情はとても優しく穏やかに微笑みを湛えていた。
(それでいい、お前はまだ来なくていい)
視線は二人の後ろに向けると儚い笑みを口元に浮かべて軽く会釈した。
(漸く迎えが来たようだ、遅かったじゃないか~私の子を頼むよ)
一斉に振り向くと、いろんな意味で取れそうな笑みを浮かべる奏人と面倒そうに溜息を吐き捨てる叶麒が立っている。
「僕の子の朧道を使うなんてお人が悪いですね。しかも……紋様が絡まって可哀相に」
奏人は左手に持つ裁ち鋏で歩夢の体に巻きつく紋様を切る、夜霧から手が離れると感謝の言葉を伝え見上げた。
「奏人さん、お迎えに来てくれたのですか?」
「うん、此方は無事に仕事が終わったからね。厄介な歪みになってて驚いたよ、本当にこんな事をするなんて流石だと思ったよ。まぁ、無事だったから良いかな、さて」
奏人は感情の無い表情で正面を横目で見る、霧人は何も言わずに微笑み頷くと左手を体の横に伸ばし床に紋様を描いた。
(夜霧、もう絶望しなくていい、今を生きろ過去に囚われるな)
「霧人」
(最初で最後の命令だ、俺の分まで想いを紡げ)
「霧人、待ってよ」
次第に霧人との距離が遠くなり慌てて手を伸ばすが、横に立つ叶麒は顔を横に振り腕を掴んだ。
「もう時間だ、帰るぞ…夜霧、お前も紡ぎ師霧人の命により連れて帰る」
(俺の所に来るのはゆっくりでいいから、土産話は沢山あった方がいいし、その日まで暫しの別れだ、ばいばい)
霧人は眩しそうに真紅の瞳を細め、後ろを向き手を振るった。体は白い光りの粒となり空間に舞い、夜霧は必死に叫び霧人を呼び続けるが体は遠くに引張られ、視界は白に染まった。
無の世界に色と形が生まれると、夢から現に引き戻されたのだと気付く。
黒と白のタイルを交互に敷いた床にカブリオールドレッグのレッドベルベットソファーが二人掛けと一人掛けが向かい合わせに置かれ、その間にはローズウッドのテーブルが置かれている、生活感の見えないリビングであり仕立屋の二階に四人は戻ってきた。
夜霧は膝を着いたまま俯き、歩夢はソファーに深く座ると天井を仰ぎ、奏人はその横に立ち優しく頭を撫で労った。
「お疲れ様、今回はちょっと邪魔が入って大変だったけれど良く頑張ったね。さて、その
黒獏をどうしてくれようか」
目の全く笑っていない笑顔で夜霧を見下ろすが、彼は俯いたまま反応がなく、奏人は小さく溜息を吐くき叶麒を見る。
「任せてもいいかな?僕に任せると――」
「此方で預かる、元飼い獏なうえに黒獏とは稀だしな。菊緒様の下へ連れて行ってどうするか決める、ほら立て」
腕を掴み勢い良く立たせ、夜霧は弱々しく顔を上げて正面にいる奏人を光りを失った瞳で見つめ口を開いた。
「なんで連れて来たの、霧人のいう事なんて聞く義理はないでしょ」
「頼まれたからね」
「残像の言葉でしょ?あのまま置いていけば良かったじゃないか。もしかしたらこのまま逃げ出して、また邪魔をしたらどうするの?無差別に人の夢を喰らうかもしれないのになんで!」
「残像であろうと言葉は死ぬことはないからだよ、そしてキミの羽織は主の意志を紡ぎ生きろと言ったの分からない?だから連れ戻っただけだよ。生きて抗って、その時がくるまで想いを紡げ、霧人さんはそれを願ってる。主の最後の命令くらい聞いてはどうかな黒獏?」
夜霧の瞳には光りがほんの少し宿り、奏人は裏の無い自然な微笑で見つめ、懐から懐中時計を取り出し蓋を開くと、大げさに目を見開き芝居じみた表情をした。
「なんていう事だ、もうこんな時間じゃないか!」
「おい、それは時計か?」
「恐ろしく時間が進むのが早くて驚いてしまったよ」
「無視か」
懐中時計の蓋をカチリと閉じ、叶麒を見る。
「そろそろ僕等は休憩を頂きたいんだがどうだろうか?叶麒も今回は疲れているだろ?」
「ああ分かった、帰る。お前も行くぞ、お前に染み付いた闇を菊緒様に取り除いて頂こう」
叶麒は露骨に不機嫌な表情でぶつぶつと文句を言い歩きだし、夜霧は引張られながら一階へ続く階段を下りて行った。
その後姿を二人は見送ると、奏人は歩夢の隣に腰を下ろ天井を仰いだ。
「さっきから黙ってどうした?質問を許可するから言ってごらん、何か聞きたいのだろ?」
「奏人さんは霧人さんとお知り合いでしたか?」
「何故、そう見えたのかな?」
「見知ったような感じがしましたので」
「あの短時間でよく見ていたね、まぁ、そんな感じかな。古い友人なのかな?多分、もしかしたら?」
「曖昧な答えですね。じゃあ、夜霧さんの事も知っていたのですか?」
「間接的には知っていたね、だが彼である確信は無かったんだ。だって、黒獏は彼だけではないのだからね?あの時の言葉を本当にしたとは、本当に良い性格しているよ」
「あの時?」
「ちょっと昔の話だよ」
「そうですか」
「彼の約束も果たしたし、漸く僕への縛りも消えた」
腕を天井に翳し、白い糸は完全に消えている事を確認すると、満足そうに笑い歩夢を横目で見る。歩夢はまだ何か聞きたそうにしているが、これ以上質問されるのは御免だと逃げるように立ち上がると、微かにシャツを引張られている感覚に微笑んで見下ろす。
「どうした?」
寂しげに見上げる視線と、シャツを遠慮がちに掴む手にそっと自分の手を重ねる。
「人は永遠ではありません、紡ぎ師もまた永遠とは言えません」
「そうだね、狭間に生きる者も果てはある、だからこそ今を抗い生きて使命を全うしているんだ」
「私もまた残されるのですね」
しばし静寂が部屋を包み、奏人は天井を見上げ考え始めて数秒後、悪戯っぽく笑顔を作ると歩夢の前に跪き目線を合わせた。
「心配性だね、歩夢を一人残して死ぬなんて薄情な真似はしないから安心して?逆に僕が残されそうで怖いけどね」
「私はそんなことしません」
「ははは、先の事なんて誰にも分からないよ、さぁこの話はもう終いにしよう。歩夢も今回は精神的に疲れただろう?そうだ、僕お手製の茶でも煎れてあげようね」
立ち上がり台所へ向かう背中を静かに見送る、膝の上に乗せた両手に拳を握り苦しい表情を浮かべて俯き、奏人は振り返りその姿を苦笑して一瞥した。
「残せるわけないだろ」
その言葉はあまりに小さく、歩夢に届くことなく闇に消えた。
鮮やかな石が嵌め込められた石畳の一本道、太陽は眠りにつき静寂の闇に浮かぶ赤い月は地上を怪しく照らし、色とりどりの石は地面や壁を微かに光らせ星の道を作っている。
「ここはどこなの、なんか物悲しい感じがする」
叶麒の後ろを夜霧は余所見しながらついて歩く。
「ここは我が主が納めている世界《果ての国》だ。あまり余所見をするな、迷子になるぞ」
「果ての国?」
「時間を失った者達が辿り着く場所だ、お前は本日より此処で暮らしてもらう」
「え?」
驚き足を止めると数歩先に進んだ叶麒も止まり振り返る、不安の表情の夜霧の顔を見て優しい笑みを口元に浮かべた。
「安心しろ、ここの住人になれと言っている訳ではない。お前の心身は自分が思っている以上に弱っている、それを癒す必要がある。この世界と外の時間の進み方が違う、此処でならそれが可能だ」
叶麒は再び正面を向き一本道を進み夜霧もまた歩き出す。しばらく歩くと、目の前に柴垣で囲われた空間が見えてくる。
向唐門を通り抜けると切妻屋根の社が立ち、門から社を繋ぐ平石の道に白砂を敷き詰め帚目を付け、大中小と大きさの違う石が道を挟み左右対称に十個置いた石庭が広がっている。
「あの方は、また薄着で」
社に続く階段の最上段に座り、夜空を儚げに見上げている菊緒を見つけて深い溜息をつく。
「ねぇ、あの人が菊緒様?」
「ああ、少々抜けてはいるが此処の領主だ」
夜空を見上げていた菊緒は、聞き捨てならないと眉間に皺を寄せて正面を見据えて立ち上がると、手を腰に添える。
「抜けてるとは酷いわね叶麒、主にたいして何たる言葉」
「そのままの意味です、そんな薄着で風邪を召されたらどうします?」
「あら、その子はどなた?」
「話を逸らしましたね。彼は今回の黒獏です、名は夜霧」
菊緒はふわりと宙を舞い二人の前に降り立つ笑む、その体は透けており叶麒は扉の開け放たれた社を見た。
「体は社ですか」




