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第四夜 夢見様①

 真っ赤に燃える空、山肌は橙色に染まっている。烏は子が待つ巣へと帰り、人の子もまた遊び疲れて走って家へと帰って行く。

 小さな村の外れにある小さな社には、夢見様といわれる生き神様が居た。朱色の鳥居と石畳の道、手入れの行き届いた境内。本殿の入口には常に新鮮な供物が備えられ、夢見様を崇めていた。

 本殿の外廊下に一人の青年が、橙色に染まった山々を愛おしそうに眺めていた。夜空を思わせる漆黒の髪は垂れ髪にして、白雪の肌に真紅の瞳で女性物の着物着ている。裸足で右足首には鉄で出来た鎖の付いた拘束具が取り付けられている。

 鎖は本殿の置くまで伸び、青年を本殿からそとに出さない為なのだろう、歩く旅に鎖は音をたて、青年の表情は曇る。

 空は次第に星を瞬かせ、白い月は目を覚ましたように金色に輝き、下界を照らし始める。

 青年は静かに踵を返して中へ戻ろうとした時、垣根が微かに揺れるのを見つけ足を止めて顔を向けた。


「誰かいるの?」

 青年が声を掛けると動きはピクリと止み、気配を消そうとしていた。それがあまりに可愛く感じると鎖の限界まで足を進めた。

 右足が後ろに引張られ鎖の限界だと分かると、高欄の架木に腰を下ろし垣根に向かって手を差し出す。


「怯えなくても大丈夫、お前を傷つける事はしないと約束する、だから出ておいで」

 それでも警戒しているのか、何時まで経っても出てくることは無く、青年はそれでも辛抱強く手を出す。


「おいで」

 すると降参したのか、垣根から月の光りを浴びた神々しい黒獏の姿が現れ、青年は立ち上がり微笑んだ。


「現の世で獏を見るとは思わなかった、体が汚れているな。それに傷も、手当てするから此方においで?」

 黒獏は警戒しながらも階段の前に立ち青年を睨み付けた、青年も外廊下をゆっくり歩き階段の上段に膝を付いた。


「昼間に子供達が、変な生き物を見つけて退治したとか騒いでいたっけ。お前だったのか可哀相に、なぜ人の世に来てしまったんだ?」


 黒獏は頑なに口を閉ざして傷口を舐める、その姿が痛々しくて青年は左手を前に翳す。手の甲には“霧”の文字が白く浮かび上がり、黒獏の足元に紋様が浮かび包み込み、驚いた黒獏は逃れようと暴れだす。


「おい、暴れるな。お前の傷を癒すだけだから、な?」

 逃げる事が出来ないと分かると、暴れるのを止めて座り込む。次第に体の傷が癒されると、紋様はゆっくりと光りを無くし地面へと消え、青年は満足そうに頷き立ち上がった。


「俺の名は霧人(きりひと)、この村の紡ぎ師をやってるんだ。はは!驚いた顔をしているな、紡ぎ師を見るのは初めて?」

 風が舞い木々がざわめき、葉がひらりひらりと地面に落ちる。月が雲に隠れると辺りは闇に包まれ、霧人は踵を返し手を翳すと本殿の中に火が灯った。


「心開くまで俺は待つよ黒獏、またいつでもおいで、待ってるから」

 霧人が中へ入ると観音開きの扉は静かに閉ざされ、柔らかな明かりが微かに漏れた。

 黒獏は閉じた扉を見続け、そして傷の癒えた自分の体に視線を落とした。

 夢を渡り、人の世がどんなものなのか興味が沸いた黒獏は、日も高い頃に村に訪れ木々や建物の陰から人を眺めていた。

 そして、油断して背後に近付く子供達に気付くのが遅れてしまい、石や木の欠片を投げつけられ、木の棒で叩きつけられた。

 黒獏は体の痛みに耐え子供達から逃げ回った、子供は無垢であり残酷な存在である。己の行いは善だと思い、罪の無いものを責め追い詰める。

 黒獏が辿り着いた場所は村の外れの鳥居の前で、後ろからは子供達が正義を振り上げて追いかけてくる、その姿を見て迷うことなく鳥居を通った、空気が一瞬で変わったのを感じて辺りを見渡し、そして隠れる場所を探し垣根に飛び込んだ。

 遠くで子供達の騒ぎ声が聞こえるが鳥居を越える事はなくかった。


「夢見様の社だ」

「夢見様に殺されちゃうよ」

「戻ろう」

「帰ろう」

 やがて足音も遠のき警戒心を緩め目蓋を閉じて息を整える。優しい風がそよぎ葉を揺らす、鳥達は枝にとまり羽根を休めて歌う、その空間の心地よさに黒獏は静かに眠った。

 しばらくすると肌寒さに目を覚まし空を見上げる、青かった空も茜色に染まり夜が訪れるのだと眠気眼で垣根を体で揺らし、社の主と対面した。

 黒獏はしばしその場から離れることなく扉を見ていたが、扉は開くことは無いと分かると足元に文様を作り姿を消した。

 それから毎夜の如く黒獏は霧人のもとへ訪れ、霧人は階段の上段に腰を下ろし微笑むが、黒獏は視線を逸らして石畳の上に座った。


「今宵も来てくれたね、待ってたよ!でも距離は縮まないな~心の距離!」

「……ねぇ」

「へ?」

「なに?」

 霧人は思わず立ち上がり歓喜し乱舞した、黙っていれば神々しく美しい者が荒ぶる姿は怯える材料になり、黒獏は立ち上がり身構える姿を見ると慌てて謝った。


「すまない、あまりに嬉しくて、つい感情が荒ぶってしまった。お前の声が聞けて嬉しかったんだ、久々に会話が出来るとは!頑張った自分、十日かかった!」

「よく喋るねアンタ」

「そうか?一人になって随分と月日が経っているせいかもしれないな、特技は壁と話す事なんだ凄いだろ!」

「いや、なんか、可哀相だね」

「嗚呼!返事が返ってくる会話って本当に素晴らしいね。立ち話もなんだからさ、俺の社においでよ、茶くらいは出すからさ」

 素早く立ち上がり黒獏を手招きする。


「変な奴だよねアンタって、オレが怖くないの?」

 霧人は何のことかと首を傾げてから夜空を見上げる、空にはい雲が覆われ雨の匂いがした。


「もう直ぐ雨が降りそうだ、雨宿りをした方が良いと思う。来なさい黒獏」

 踵を返し中へ入る、黒獏は一度だけ空を見上げてから重い溜息を吐き、階段を一段一段上り柔らかな灯りの中へ入ると静かに扉が閉まり、外からは桶を引っくり返した様な雨が地面を叩く音がした。

 四隅に置行灯が一つずつ置かれて室内はやや明るく、清らかな香が漂い空間を包み込んでいる。床には上質な反物が転がり、壁際には着物を織っている途中の織機と、その横には色とりどりの糸が桐箱に沢山収められていた。


「好きなところに座って構わないから」

「好きな場所って」

 無造作に置かれた反物を踏まぬように一歩一歩足を出すと、中央に人一人座れる場所を見付けてそこに腰を降ろし室内を見渡した。

 上座には脇息と座布団があり、その後ろには花鳥風月が描かれた屏風が置かれ、その後ろから茶器の音と鎖が床に擦れる音がした。


「ねぇ、もう少し綺麗に出来ないの、一応神様扱いされてるんだろ?」

「えぇ?神様ぁ?そんな立派なものじゃないさ、お待たせ!」

 お盆を片手に持ち、揚々と楽しげに屏風の後ろから霧人は出てきて、散らかる床を慣れた足取りで渡り、黒獏の前に立つと湯呑みを床に置いた。


「その姿じゃ飲めないな、お前は人の姿になれる?」

「ヤダ、面倒」

「いいじゃん減るもんじゃないだろ」

「断る」

「へぇ、強気な子は嫌いじゃないけど――人となりて我が前に」

 霧人が静かに囁くと、黒獏の体は藤色の光りに包まれ人の姿となった。漆黒の髪を肩の位置で切り揃えられ、白乳色の肌に藤色の瞳、鉄紺色の着流し姿の青年を見て霧人は嬉しそうに彼に近寄ると頬に触れた、それを青年は眉間に皺を寄せて嫌がった。


「ちょっと、強制的に人の姿にするとか何なの?ってか触れないでよ暑っ苦しいな、近いってば!」

「俺の頼みを聞いてくれないから悪いんだよ。それにしてもお前って美形だね、俺が女だったら襲ってるかも、勿体無いから人のままでいたら?獏の姿も可愛いけど」

「可愛……気色悪いこと言わないでくれる?ああもう、頼むからもう少し離れてってば!」

 近付いてくる体を押し返そうと手を出すと、霧人はそれを上手く避けて後ろへ下がり、何事も無かったように茶を啜った。


「うんまい、流石は俺だ」

「本当に何なのさ」

「あ、そういえばお前には名は無いの?飼い獏の経験があれば名は貰っているはずだが」

「自由人だね、名なんて無いよ」

「飼われた事がないって事か、そうだよね、黒獏は難しいもんな気性も荒いし」

「荒くさせてるのは誰だよ!」

「でもなぁ、折角の巡り合わせだし―」

「なにグチグチ言ってんの」

 暫し腕を組み唸る霧人を半ば呆れた様子で見つめていたが、何か嫌な予感がするので静かに帰ろうと腰を上げたと同時に、何かを閃いたと言わんばかりの表情で手を叩いた。


「よし、俺が名前をあげる」

「は?」

 霧人は再び湯呑みに口をつけ茶を飲み干し微笑んだ。


「お前は黒獏、普通の獏より力が強い、それ故に忌み嫌われる存在だと人は言っているな。だが俺はそうとは思わない。だからお前には俺の名の一文字をあげよう」

「ち……ちょっと、何を勝手に決めてるのさ!オレは自由のままでいい、名なんて必要ない」

 勢い良く立ち上がり床には紋様が浮かび攻撃態勢をとり睨みつけるが、霧人は座ったまま面白いと口元を吊り上げる。


「ああ、そっか忘れてた。飼い獏にするには名を与える前に、主人に相応しい者か力比べしなきゃいけなかったっけ?」

 よっこらしょ、とやる気のなさそうな掛け声を出し腰を上げると、警戒した青年は一歩後ろに下がった、その姿に困り顔を作った。


「でも俺は暴力って好きじゃないんだよね、平和主義なんだ。だからお願いするよ、俺の飼い獏にならない?」

「断る」

「そっかぁ、じゃあ」

 青年に向ける瞳が微かに光り、慌てて紋様から黒い霧を溢れさせ自分の姿を隠したが、小さな溜息と「あまいな」と呟く静かな声が耳元を掠め身を引こうとしたが、背後に衝撃を与えられ床に倒れ唸り声を上げ、背を押さえ込む霧人は妖笑し見下ろした。


「力が強くても、これでは勿体無い」

「くそっ退いてよ!暴力は好きじゃないって言ってたじゃないか!」

「はっはっはー!これは暴力じゃない正当防衛だ、先に攻撃仕掛けたのそっちだろ。俺の元で能力を磨け、主従が嫌ならば師弟なんてどう?」

「なんで――グッ」

 背に掛かる力が徐々に強く重いものになり息が詰まる。


「力の制御が必要なんだってば、このままだと本当に狩られるぞ、さぁ返事は?」

 声が出せず弱々しく頷いて見せると背が一気に軽くなり、肺に空気が入り咳き込み蹲って恨めしそうに睨み上げるが、霧人は清清しい表情で青年の前に膝をつけ頭を撫でた。

「お前の名は夜霧だ、夜の霧と書いて夜霧」

「……夜霧?」

「今この瞬間からお前は飼い獏となった、おめでとう。で、夜霧には俺の代わりの外の世界を見てきて、そして教えて欲しい」

「自分で見れば良いだろ」

「俺は此処から出られない」

「何で?」

「俺は人を一人殺めてしまったから、この鎖はその罰だ。だから頼むよ、夜霧」

 霧人は悲しげに微笑んだ。


(……霧人)


 扉の横に立ち、過去の自分をただ静かに夜霧は見つめていた。


「ここは貴方の過去ですか」

 夜霧は視線を降ろし嫌な顔をして歩夢を睨み付けるが、歩夢は前を見続けていた。


「朧道が乗っ取られました」

「は?」

「きっとその羽織りでしょう、とても強い紡ぎ師の作った物なのですね、私の言霊に被せて己の世界へと誘わせたようです――記憶が切り替わります」

 灰色の霧が視界を覆い空間が歪み記憶の時間が進む。

 扉を開け放ち、心地よい午後の陽光が差し込み、緩やかな風も室内に舞い込んでいる。霧人は織機の前に座り、手馴れた動きで経糸の間に横糸とつけた杼を通している。


「夢見様はいるか」


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