第三夜 迷い人③
「掛かった」
「え?……っな!」
石畳の一部を踏んだ途端、足元には藤色の紋様が浮かび、中心から真っ黒い霧を噴出し歩夢の体を包み込み、霧と共に細かい紋様の糸が体に巻き付き激痛を与えた。
激痛のあまり、歩夢は立つ事が出来なくなり、苦痛に顔を歪めて地面に倒れ込み夜霧を睨みあげる。
「苦しい?そうだよね、苦しいだろうね。さっきの霧の濃度より遥かに濃いもん、そこでのた打ち回って壊れると良いよ、あとでオレが回収してあげるからさ」
夜霧は哀れな者を見るような視線を向けると、叶麒の去った鳥居へと歩き出した。
その姿を呼吸を荒くしながら歩夢は見て、さらに自分の置かれている現状に悔やみ反省をした。罠があると分かっていたにも関わらず罠に掛かってしまった事、そしてこの現状を奏人が見ようものなら冷笑を送られるのだろうと、目蓋を閉じて想像して身震いした。
「冷静になろう」
ゆっくり酸素を吸い込み吐く、それを数回繰り返して目蓋を開き、よろめきながらも立ち上がり夜霧の後ろ姿を睨みつけた。
「こんなの、奏人さんの仕置きの方が痛いし怖い――精神的に!」
地面に琥珀色と緋色の交じり合う紋様が浮かぶと、体に巻きついた藤色の紋様を消し去った。
痛みも徐々に引き人の姿に戻ると、鋭い眼光を正面に向け、鳥居を通ろうとしている夜霧を見つけ身を屈め、勢い良く地面を蹴り疾風の如く飛んだ。
夜霧は鳥居の前に立ちピタリと足をとめ人の姿に戻り、視界に広がる闇の空間を見据え、薄暗い道には叶麒の足跡が光りを絶やさず真っ直ぐ奥へと続いている。
「ん?」
背後に微かな気配を感じ振り向くと突進してくる歩夢の姿がそこにあり、息が詰まったように驚いた表情をした。
「なんなのお前……ちょっ!」
すぐさま体制をかえて右手を構える、歩夢はさらに速度を上げ瞳を光らせると夜霧に抱きつき耳元で囁いた。
「迷い迷いて朧道、紡ぐ想いは何処へ」
(さぁ……おいで、夢紡ぐは朧道)
「え?」
歩夢の言葉と重なるように優しい青年の声が聞こえた途端、黒い霧と眩い光りが混じり合い二人を包み込むと、真っ白な霧となり鳥居の入口を覆った。
夜霧がいなくなり、術が解けた空間は無人となった屋台の通りを、奏人と勇は足早に進んだ。
「縁日?でも、人がいないな」
「私の獏が体を張ったようですね、帰ったら褒めてあげないと」
奏人の後ろを少し離れた距離を勇は景色を眺めながら歩き、記憶を巡らせるとある一つの思い出に辿り着き口を開いた。
「此処は家の近所だ、数年前に家族で一度だけ、和樹がどうしても行きたいと駄々をこねて来た事がある。そうだ、あの時は丁度仕事もきりが良くて気晴らしに、たまには良いかとほんの少しの時間だけ見に来たな。和樹にとってあの程度の事が幸せたっだのか」
「子供にとっては“あの程度”の事ではありませんよ。貴方にとってはほんの些細な事だったのでしょうが、家族で出かける事が無かったのであれば尚更、和樹様にはとても大切な思い出なのです」
「……そうか、そうだったのか」
屋台の通りを抜け、霧のかかった鳥居の前に着くと奏人は目を細めて溜息を吐き、左手を前に出し空を切る、霧は一部裂けて先の道が鮮明に見えると後ろを振り返り勇を見た。
「この霧の向こうに和樹様はいらっしゃいます、僕から離れず付いてきてください」
「この鳥居の道は何なんだ?」
「潜在意識の奥の奥、先へ行けば行くほど眠りが深くなり帰り道を失ってしまいます。今回は助っ人が一人足止めに向かっているようなので無事だと思いますが、次回はわかりませんのでお気をつけくださいね」
鳥居の道には叶麒の足跡が点々続いている、先は漆黒でその足跡が頼りだ。
耳が痛くなるほどに無音の世界、風も無く星も月も見えない。一歩一歩着実に前へ進んではいるが足音も闇に飲まれ、本当に先へ進んでいるのかすら不安になる。
奏人の背を勇は必死に追う、その背は目の前にあるというのに視覚が黒に慣れず、孤独感が生まれ不安が増していく。
「大丈夫ですよ、紡ぎ師の僕が一緒にいる限り安心ください」
察したのか振り返る事もせず、冷静であり暖かみのある声色で勇を安心させた。
和樹は暗い暗い道を両親の手を引き走っている。息が上がり足元は鈍り、時々振り返ってしまいそうで顔を振るうが、誰かが追い掛けて来ているのではないかと不安が襲う、耳をすますが聞こえるのは自分の荒れた息遣いの音だけだった。
「母様、大丈夫?」
自分も苦しいのであればきっと二人も苦しいに違いない、和樹は息も絶え絶えに尋ねるが返事は返って来ない。
「父様も大丈夫?」
父にも尋ねるがやはり返事は返って来ない、二人を見上げて見るが面を着けた顔では表情が読み取れず次第に恐怖感が全身に伝わった。
「ねぇ、返事してよ」
背中に冷たいものが伝う、今自分は誰の手を握っているのか、繋いだ手を見て足を止めた。
薄暗い視界でも分かる、青白く光る手は見知らぬ冷たい手、和樹は手を離し二人から距離をとるように後退りし、手を離された両親は首を傾げて和樹を見下ろした。
「ドウシタノ、和樹?」
母の声であるがそれは母ではなかった。
「早ク行クゾ、和樹」
威厳のある父の声だが父ではない、頭の中に警報の鐘が鳴り響き、来た道へ戻ろうと震える足でさらに数歩下がる。
「貴方達は誰?父様と母様は何処?」
「ハハハ!何ヲ言ッテル、父ト母ハ目ノ前二イルジャナイカ」
「何カノ新シイ遊ビナノカシラ、イラッシャイ和樹」
「違う違う、貴方達は父様でも母様でもないよ!来ないで!」
二人はゆっくりと近付いてくる、それを見てまた一歩下がると、ズルッズルッと地面を擦りながら近付き、ゆらゆらと異様な動きをして和樹の前に立ち尽くし笑っている。
二人は腰を曲げて青白い手を差し出すが、遠くから何かの気配に気付き和樹の後ろの道を見据え、怯えるように手を引っ込めて逃げ腰になる。
「和樹、ハ、早ク来ナサイ!」
「コッチヨ、早ク!来ル、コッチニ来ル!」
その必死に叫び怯える姿に、和樹は二人よりももっと恐ろしい何かが近付いて来ているのだと思い、頭を抱えて目蓋をきつく閉じその場にしゃがみ込む、その頭上を何かが飛び越える風を感じて体を強張らせ背中を丸めた。
その何かは和樹の前に音も無く着地し、奥では二人の恐ろしい悲鳴が轟いている。
和樹は、目の前で何が起こっているのか気になり少しだけ目を開け、その光景に驚き目を見開いた。
「え、馬?」
叶麟は五色の鬣を靡かせ、二人の足元に紋様を作ると光りで囲うと、和樹の方へ顔だけを向けて優しく目を細めた。
「馬か……まぁ、そうなるのか仕方ない。少年、名は和樹で間違いないか?」
「え、あ……はい」
和樹は状況が掴めずも、名を聞かれて頷いた。叶麒は小さく頷くと正面を向き蹄を軽く鳴らした、すると文様はさらに眩く光り、中から無数の鎖が二人に巻きつき人の声とは到底思えない叫び声を轟かせ苦しみ天を仰ぐ。
「和樹ィィィィィ、助ケテェェェェェ!ガァァァ――」
「虚無になれ」
二人は悲痛な声をあげると面が外れた、口は裂け目は剥き出し体の中からは黒い光りが溢れた二体の人形は地面に重なる様に崩れ落ちると灰となり闇の中へ溶る、恐ろしい光景を目の当たりにして呆気にとられている和樹を、叶麒は鼻で頭を優しく小突いてやった。
漸く我に返り叶麒を見上げた瞳には恐怖の色が見え、安心させるように優しく声をかけた。
「これは夢だ、少々怖い夢。目覚めれば全て幻になるから安心しろ、ほら暢気に座っているな少年、此処から出るぞ」
急かすように頭を小突き歩き出す、和樹は慌てて立ち上がり怯えながら背に声をかけると叶麒は横を向いた。
「あの、貴方は誰?僕、動物と話すのは初めてで」
「動ぶ……角端、黒麒麟、神獣、呼び名は様々だが叶麒様と呼んで構わない。我が主の命を受けて此処に来た。少年の父も今こちらに向かっている、だから急げ」
「え、父様が?……う、嘘だよ!」
「俺は人のように嘘は付かない、何の得にもならないだろ?さぁ戻るぞ、ついて来い」
ゆっくりと来た道に向かい歩き出すが、付いてくる気配がしないため再び顔だけ横に向け、俯いたまま動こうとしない姿を見て困った様に溜息を吐き捨てた。
「早く来い、此処にいては帰れなくなるぞ、なぜ躊躇う?」
「父様に叱られる、お仕事の邪魔したから」
「こうなったのは少年の父にも非があると思うが、違うのか?」
「違う!違うよ、僕がいけないんだ。我儘したら駄目、ずっと楽しい日が続ければ良いって願ったから、僕は悪い子だ。だからこのまま此処にいれば父様の迷惑にならない」
「幼子に此処まで言わせるとは」
再びしゃがみ込むと泣き声を上げ完全にその場から動かなくなり、感情に同調した空間は闇をさらに濃くし辺りがガヤガヤ騒がしくなる。
『此処二居レバ皆幸セ』
『迷惑ガカカラナイ』
『耳ヲ塞イデ』
『目ヲ閉ジテ』
『独リデ良イ』
囁き声と共に和樹の足元からは、闇が蠢きズルッズルっと這い上がり始めるのを見て、叶麒は引き返し厳しい目で見下ろした。
「麒麟は優しいと言われているが、残念な事に俺はそこまで優しくない厳しい方だ。大人になれとは言わない、ただ、もう少し強くなれ少年、闇に飲まれるな」
返事をしない和樹の服を咥えると、勢い良く持ち上げてそのまま風のように駆けると、和樹の悲鳴が闇を裂き、その声は奏人と勇の耳にも届いた。
「今の声は、和樹の悲鳴か?」
「そのようですね、此方に向かってます。ああ叶麒は、もう少し優しく連れて来ることは出来ないのかな?」
真っ暗な闇の道に一筋の光りが見え、光は大きくなり向かって来る。足音は聞こえないが和樹の叫び声だけが確認できた。
「うわぁぁぁ、助けてぇぇぇぇ!降ろしてぇぇぇ!」
(喧しいな、本当に落とすぞ)
「え、頭の中に響いてくる?」
(咥えてるから仕方ないだろ、あまり暴れるな本気で落ちるぞ)
「だって、そんな事言ったって……怖いよぉぉぉぉ!父様ぁぁぁぁ!」
怖さのあまり目を閉じ足をバタつかせる、体は振り子状態になり右へ左へと大きく揺れ、体が左へ揺れた時、「あっ」という声に続き浮遊感を感じ目を瞬かせる。目に映るのは星の瞬く空、そして自分の名を呼ぶ声がすると視界は暗くなり、温かく逞しい腕に包み込まれた。
「和樹!」
その声に体を強張らせたが、腕は更に強く体を抱きしめ和樹の存在を確認した。
「寂しい思いをさせたな、すまなかった」
身を捩ると腕の力は緩んだので勇の横顔を見た。その顔は、いつも険しく眉間に皺を寄せている顔ではなく、とても穏やかでいて安心した父親の顔だった。
「父様?」
「なんだ?」
「本当に父様?」
「え?」
「安心しろ、今度は本物の父親だ」
叶麒が静かに伝えると、勇は咄嗟に和樹を守るように数歩下がる。叶麒は溜息を吐き、その横では腹を抱えて笑う奏人を睨みつけた。
「だって仕方ないだろ?大事な息子さんを振り落しちゃったんだから、あー面白い」
「わざとではない、少年が暴れるから悪い。おい、そろそろ笑うのをやめろ、蹴るぞ?」
「いや、もうツボってね、咥えてくる事ないでしょ?」
「立ち上がり動こうとしないのが悪い、あのままでは闇に飲まれていた。俺も手荒な真似はしたくなかった」
二人の会話を聞いていた勇はぽかんと口を開けた。
「え、馬が喋ってる?」
「……また馬呼ばわりか、人の子は俺を知らないのか?」
奏人は豪快に噴出し腹を抱え、叶麒は睨みつけて頭を小突く。
「勇様、彼は角端と言って神獣です。一般的には麒麟と呼ばれていますね、彼が助っ人です。和樹様が父と確認したのは、偽者が一緒にいたのでは?」
奏人の質問に叶麒は小さく頷く、勇は息子を見ると彼もまた頷いた。
「さて、お二人が無事に出会えたので現に戻り、仲睦まじく家族団欒を堪能してください。僕達の仕事は此処までです、さぁ」
来た方向へ手を伸ばし腰を曲げる、勇は和樹を抱えたまま踵を返し歩き出し、二人はその後ろを守るように歩き出す。
鳥居の前には白い霧が先程より濃く立ち込めており、勇の前に奏人は出て左手を翳し霧を裂くと再び歩きだす。
霧を抜けると、屋台の道には面をつけていない人々が楽しそうに縁日を楽しんでいる光景があった、その道は金色に輝いている。
「迷わない様に絹の道を編んでいますので、その道を外れないように現へとお帰りください。あとの処理は此方で片付けますので問題ありません」
「紡ぎ人、ありがとう感謝してる。親父の事も息子の事も」
「仕事ですので、当たり前のことです」
「目が覚めたら、貴方達の事は覚えていないんだよな?」
「はい、これは夢での出来事で、登場人物もまた幻。僕達の事は覚えておかなくて正しいのです、ではお帰りください」
なかなか帰ろうとしない勇の目の前に左手を翳す、手から緋色の紋様が現れると、目は虚ろとりゆっくり踵を返し絹の道を進み始め、抱かかえられた和樹が首元から顔を覗かせ唇を動かした。
『ありがとう』
奏人は微笑み手を振った、勇の背は小さくなり光りに包まれ消えて、賑わいを見せていた風景は無人となり静かさが生まれ、残った二人は白い霧に視線を向けた。
「これは歩夢の朧道か、でもどこか歪みがあるようだが」
「そうだね、手順を間違えたのか・・ん?これは、そうか、まったく本当に自分勝手だな」
霧に触れた奏人は何かを思い出したように苦笑して腕を見る、そこには微かに糸が絡み付いていた。
「奏人、なにかあったか?」
「ちょっとね、さて迎えに行こうかな――想い紡ぎて夢の道、繋ぐ者は彼方へ」
二人の足元には文様が浮かび、体を覆うように光に包み込まれ、白い霧に吸い込まれていった。
人がいなくなった和樹の世界は色褪せ、白い無の世界へと返る。それは主が目覚めた事を意味し、無の空間には白い霧だけが残った。




