第三夜 迷い人①
奏人は勇から預かっているジャケットの袖と身頃を縫い合わせている、糸は金色に輝き針が布に刺さる度に光りが弾き記憶を編み込み想いを紡ぐ、ひと針ひと針を大切に刻み込ませるとそのモノは更に輝きを放つ。
かなりの集中力が必要な紡ぎには、それなりに気力も必要なわけで針を止め一息吐くと階段の軋む音に気付き振り向いた。
「おはよう歩夢、昨日も忙しかったからもう少し寝ていても良かったのに」
「おはようございます奏人さん、流石に昼過ぎですから……あ、そのジャケットは間もなく仕上がりですね」
「うん、もうちょっとだね。後は紡ぎの仕上げかな」
「…流石です」
歩夢は預かり衣類の棚を覗き目に入ったモノを手に取る、衣類と共に伝票を確認するとミシンの前に座り針を動かした。
糸は青く輝き針を通して衣類を直し、そしてモノの記憶や想いを感じとる、直接話しかけてくるモノもいれば、映像を脳に直接送るモノもいて小説や御伽噺を読んでいる感覚になる場合もある。
「そうなんですか……へぇ、わぁ凄いですね!」
「歩夢」
「そんな事が、素敵ですね……え?はは!私は――」
「ちょっと、歩夢」
ミシンを踏みながら歩夢は独り言を言っては微笑んでいる、正確にはモノの記憶と会話をしているのだが、傍から見れば可哀相な子である。
肩に触れるひやりと冷たい手に歩夢はミシンを止め見上げる。
「独り言になってるよ、可哀相な子……」
「可哀相、え」
「僕は分かるんだけど、どうするの突然お客様が尋ねて来たらさ。可愛い麗人が独り言って、ご近所の方に言われてしまうよ?」
「……近所付き合いも無ければ、お客様も滅多に来ないじゃないですか此処」
奏人は痛い所を突かれたと言う様に、わざとらしく胸に手を置き目頭を押さえた、そんな奏人を見つめて歩夢は苦笑する。
「紡いでいる時の姿は格好いいのに……」
「ん、何か言った?」
「いいえ、さて仕事再開しますね」
正面に向き直った瞬間、体と意識が微かに離れた感覚に陥り動きを止める。
「あ……」
「お客様の様だね、この真昼間には珍しい方の様だ……歩夢、お迎えしなさい」
「はい」
歩夢は立ち上がり両手を広げる奏人の腕の中に入ると、鮮やかな文様に身を包み込まれて消えていった。
奏人は左手を玄関に翳すと、出窓のカーテンは閉じられ扉の鍵がカチリと音をたてて閉められ、緋色の瞳は天井を見つめ微かに細める。
「厄介な仕事かもしれないな」
ゆっくり左手を体の前に移動させると、手の甲には奏の文字が浮かび上がり足元には真紅の光りを放つ文様の円陣が広がった。次第に仕立屋の空間が捻ると、やがて満月の浮かぶ夜と満開の桜が咲く庭に辿り着いた。
「何か問題がありましたか、貴女様?」
風に舞う黒髪に艶やかな着物を纏った女性と、その前には獏の姿になった歩夢が月明かりを浴び佇んでいた。
「昨日の今日で申し訳ない、サチコに頼まれて来たの」
「サチコ様ですか?」
「孫の和樹が迷い人となったようでね」
奏人は微かに眉を顰め、歩夢もまた何かを思う表情をする。
「生憎、私と和樹には繋がりがない。私を引き継いだ者としか想いは紡がれない、だからお前に頼みたい紡ぎ人よ」
「なるほど、その子の体に何か変わったことは無いか聞いていますか?」
「いや聞いていない、だが勇ならば知っているやもしれない」
「勇様ですか?……分かりました、お任せください」
「よろしく頼む、私も暫しまた眠りにつく」
女性は軽く頭を下げ後ろを振り返り姿を消し、その姿を見届けると歩夢は奏人を振り返った。
「迷い人とは久しいね、ちょっと菊緒さんの所に行こうか」
「そうですね」
二人はどちらともなく歩き出した、奏人が左手を前に翳すとアーチ状の紋様が浮かび、中央には夕日の世界が広がっている。
「あの場所は厄介だから、僕から離れてはいけないよ?歩夢も迷い人になってしまうからね」
歩夢は人の姿に戻ると小さく頷き奏人の右手を握る、それを確認すると紋様の中を通り夕日が眩しい黄昏の国へと入る。
鮮やかな石が嵌め込められた石畳の一本道、橙色の空には白い月が浮かんでいる。
天然石で守られている石畳を天神道として守られた道となっており、その他の小道は迷い道となり黄昏の国の住人意外の者が入ると迷い抜け出すことが出来なくなる。
しばらく歩くと目の前に柴垣で囲われた敷地が現れ、二人は門の前で一度頭を下げ通り抜けた。
平石の道の先にある社は、夕日に照らされ幻想的な雰囲気を出しており、また常人を寄せ付けない守りが此処にはある。
二人は社の前で足を止め、開き放たれた戸を見上げる。
「菊緒さん起きてますか?」
通る優しい声で尋ねると、奥から物が倒れる音と微かな悲鳴と慌しい足音が響くのが聞こえ、奏人は苦笑した。
「歩夢君も居るかしら!」
いつもは穏やかな菊緒が瞳を輝かせながら顔を出し、歩夢を確認すると嬉しそうに勢い良く階段を跳び降りようとした時、奥から慌てる叶麒の声が響いた。
「菊緒様、止まってください!今の貴女は生身の体です!」
「あ、忘れていたわ」
ピタリと跳び降りるのを止め、菊緒はニコリと微笑むとゆっくり階段を降りて二人の前に立つ、すると歩夢は慌てて膝を付いて頭を下げる。
「頭をお上げなさい歩夢君、私は貴女の主ではないのだからいいのよ?それに・・・奏人君も嫌な顔してるからすっごく」
静かに立ち上がり恐る恐る奏人を見上げると、いつもの様に笑んではいるが何処と無く冷たい雰囲気を感じ一歩下がり頭を下げた。
「今回は目を瞑ってあげる」
「……ありがとうございます」
「二度目は無いからね」
「……はい」
「あまり苛めてやるな、教えていなかったお前にも非はある」
奥から姿を現した叶麒は腕を組み、柱に身を傾けながら見下ろしている。
「歩夢君、久しぶりね元気にしていた?私ね貴女の為に着物を織ったのよ、是非着て貰いたくて、さぁ上がって頂戴?」
菊緒は嬉しそうに歩夢の手を握り社に上げようとするが、奏人と叶麒が同時に制止した為にそれは叶わなかった。
「菊緒様、こちらから招いていないという事は急ぎの用件があるのではないでしょうか?」
「あら、そうなの?」
「はい、僕のお客様の息子さんが迷い人になってしまったらしく、その原因は恐らく――」
「黒獏ちゃん?」
奏人は頷くと菊緒は残念そうに歩夢の手を離し、遠くの空を眺め始めた。
視線は遥か遠くを見据えて、何かを見ているようで首を傾げたり頷いたりしている。
「あらあら、そう……まぁまぁ」
青紫の虹彩の瞳は夕日に照らされ眩い光りを放ち、やがて二人を見て微笑む。
「在りし日の思い出に身を委ねているわ、黒獏に名を教えて願ったみたい。でもまだそんなに時間は経っていないから急げば大丈夫よ、叶麒も同行させるわ」
叶麒は小さく息を吐き頷くと、階段を降り二人を見やる。叶麒とは逆に菊緒は階段を上るとゆっくりと左手を前に出し門を示す。
「ではお行きなさい紡ぎ人と飼い獏。……歩夢君、今度は遊びに来て頂戴ね?」
二人は深く頭を下げると門へ向きかえり、先導する叶麒の後を追った。その姿を少し寂しそうに見守ると、菊緒はまた空を見上げてから社の奥に姿を消した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
余計なものが一つもない書斎、ボルドーの絨毯の上に両袖書斎机と壁には本棚が造り付けされ本棚にはぎっしりと本が並んでいる、机に置かれたランプの柔らかい光りが手元の書類を照らしだす。
天井の照明はアイアンの飾り彫りが施され、光りを通してアラベスク模様が浮き上がって見える。
(書斎か…)
勇は鈍い思考の中で周りを見渡し、自分の使っている書斎とは若干雰囲気が違う事に気づいた。
「はぁ……」
書斎机に肘をつき、俯いて溜息を吐く父源三郎が座っている。
(親父…)
勇は険しい顔になり目を背けると、扉が弱々しく叩かれる音がし肩が揺れる。
「誰だ」
「い、勇です!」
源三郎は顔を上げ扉を見る、しかしその顔には疲れた表情の翁の面が着けられていた。
「勇か……痛ッ」
椅子を引き立ち上がろうとした時、源三郎は右手で胸を押さえると、苦しむように唸り背中を丸めた。
勇はその姿を見ると咄嗟に駆け寄ろうとする、しかし足は床に縫い付けられているように動くことが出来ずにいた。
しばらくすると痛みが引いたのか、源三郎は姿勢を正し扉の方へ歩き、ゆっくり取っ手を押して幼い勇みを見下ろす。
「なんだ?」
勇の位置からは源三郎の広い背中しか見えないが、幼い勇は緊張し鯉のように口をパクパク開けているだろう、それでも息子が話し出すまで辛抱強く待っている。
「……あ、あの今日、学校で作文があって……父様?」
その時、源三郎の体が微かに揺れたのが見え勇は再び近付こうとするがやはり足は動かないでいる、源三郎は頭を振ると何も無かったように姿勢を正し冷静な声を出した。
「ッ……今は忙しい、後にしなさい」
幼い勇は何かを見せようとしたがそれを見ずに扉を閉め、扉を背にしてゆっくり腰を下ろした。勇は唖然とその光景をただずっと壁際に立ち見続ける事しか出来ないでいる。
記憶の中に残る源三郎は厳格であり、弱い姿など一度も見たことが無い。いま見ている父の姿が理解出来ず目を背けた。
「これは夢だ」
「確かにこれは夢です、ですが貴方の夢ではなく物の記憶」
いつの間には横に立っていたのは、インバネスコートに身を包んだ奏人が微笑みながら源三郎を見て勇に話しかけた。
「物の記憶?」
「ええ、貴方を新たな主にしたいという事で依頼を受けました。これはジャケットの記憶と源三郎様の思い出です」
「親父の?」
勇は正面を見ると、胸を押さえながらゆっくり立ち上がり机に向かう源三郎がいた。
しばらくすると、廊下から小走りに書斎へ近付いてくる足音が聞こえ、その足音は扉の前でピタリと止まった。
「源三郎さん、居ますよね?開けますよ」
「サチコか、今は――」
返事を聞かずに扉は勢い良く開くと、若き頃の母サチコが困った表情で入室して、真っ直ぐ机の前に向かい机の上に一枚の紙を置いた。
「……お前はわたしの言う事は聞かないな。これはなんだ?」
「わたくしに従順な妻を求めないでくださいまし!それは勇の作文です」
万年筆を置き作文に触れ目を通している、翁の面で表情は読み取れないが微かに笑んでいるような雰囲気を感じた。
「勇が悲しそうにしていましたよ、また厳しい言い方をしたのではないのですか?」
「わたしは忙しいのだが――」
「顔色が悪いですね、また痛むのですか?」
「たまには話を聞いてくれないか?……はぁ、サチコには敵わない」
「聞いてますよ半分くらいは、源三郎さん、病院へ行きませんか?・・・でなければ余命幾許も無いと聞いています」
「行かん!自分の体は自分の事が良く分かっているから問題ない!」
「せめて勇には伝えるべき――」
「駄目だ、絶対に言うな!威厳のある父で無ければいけない。それにすぐ死ぬわけではないのだから心配するな」
作文を大切そうに引き出しにしまい、再び万年筆を持つと書類に目を通し筆を走らせ、その様子をサチコは苦しそうな表情で見守り、やがて書斎を後にした。
「親父はこの頃から体調が悪かったのか?」
「そのようですね」
「作文も読んでくれていたのか」
「そうですね」
源三郎の筆が止まると、顔を上げて天井にぶら下がるライトを見つめる。
「勇から見たわたしは、ああやって見えていたのか・・・そうか」
椅子の背もたれに背を預ける、その背後に音も無く奏人が移動して立ち、翁の面を剥ぎ取った。
黒い霧も共に消え顔が次第に見えてくる、その顔は勇に似ていて無意識に自分の顔を触れた。
「親子というものは似るものだそうですよ、顔も思想も」
翁の面を片手で砕くと破片は星となり宙を舞い、勇の胸の中に吸い込まれていった。
胸に手をあてると冷めていた心に温かさが生まれ、目蓋を閉じると源三郎の思いが心に響いてくる。
(勇みには辛いだろうが、いつかは分かってくれるだろう)
「分からなかった」
(勇にとって強い父でいたいと、死ぬまで)
「強かったじゃないか、全く気付くことが出来なかった……親父」
「親の心、子知らず。親もまた子の心を知らないもの」
奏人は部屋の中央に立つ、左手を体の横に翳し床一面に色鮮やかな紋様が浮かび上がる。
紋様は次第に壁に広がり天井を覆うと、景色は夕日に染まる庭に変わった。
父の背中はとても広く愛用の背広を着て、黒髪には数本の白髪が混じり顔はとても疲れきっている様子だ。
「もう時間がないか……」
夕日を眺める源三郎は呟いた。重みのある低い声には虚しさと諦めが宿っており、勇の心に突き刺さった。
「勇か」
源三郎は後ろに居る勇に声を掛けた、しかしそれは青年の勇にも届いていたらしく息を飲み込んで縁側に立っている。
「……父さんは何をしているんですか?」
「夕日を眺めていただけだ」
源三郎は夕日を見つめ、青年もまた夕日を見てそして霧となり消えてしまった。
源三郎はゆっくりと振り返ったその表情はとても穏やかに笑んでおり、常に険しく笑った所など見たことのない勇は目を見開き驚いた。
「来たか勇」
「え、親父?」
「わたしのジャケットが紡がれ、受け継ぎが完了したようだな」




