第八章 除雪三号車
現場が四時半に終わって、五時過ぎに谷へ入った。
宮下剛は軽トラの窓を開けて走る。エアコンは効くが、この時期は開けたほうが早い。作業着に土が乾いてついている。今日は町の外れの側溝で、ずっと下を向いていた。下を向いて仕事をした日は、家に帰る道の空が広く見える。それだけのことが、宮下はきらいではなかった。
林道の手前で、道が砂利になる。
タイヤの音が変わる。舗装から砂利に変わる音を、宮下は耳ではなく尻で覚えている。旭川にいた十七年、この音を聞くことはなかった。あちらの道はどこまでも舗装で、どこで市が終わってどこから先が誰のものでもないか、考えたこともなかった。
ここから先は市道ではない。市道は集会所の百メートル手前で終わっている。その先の一・五キロは、地図の上では何でもない。
冬に、ここを開けるのは宮下である。
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会社は町の土建屋で、市の除雪を請けている。
宮下の機械は三号車である。除雪ドーザで、平成の終わりに入った中古だが、まだ働く。座席のばねが片方へたっていて、長く乗ると腰の同じところが痛む。痛むところが決まっているというのは、悪いことばかりでもない。次に痛むのが分かる。分かっていれば、耐えられる。
無線で呼ばれるときは番号だ。
三号車、国道側から入れるか。
三号車、了解。
三号車、そこ終わったら二番と代われ。
三号車、了解。
冬のあいだ、宮下は三号車である。名前で呼ばれるのは会社の朝礼くらいで、あとは番号で足りる。番号のほうが早いし、聞き間違えない。吹雪のなかで名字を聞き取ろうとすると死ぬ。
番号で呼ばれることを、宮下はべつに何とも思っていない。
むしろ、冬のほうが自分がはっきりしている気がする。三号車は必ずどこかにいて、どこかを開けている。夏の宮下がどこで何をしているかは、誰も知らないし、訊かない。旭川の十七年も、たぶん、誰も知らない。工場にいた。同じ工場に十七年いた。辞めた日に貰った寄せ書きは、まだ実家のどこかにあるはずだが、探したことはない。あれを書いた人間の名前を、宮下はもう半分も思い出せない。
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市道の終わりから先の一・五キロは、契約に入っていない。
入っていないので、金は出ない。金は出ないが、開けないと三軒が閉じ込められる。閉じ込められると、救急車が入れない。
救急車、と宮下は思う。母が倒れたとき、この谷に救急車が入るまでどれだけかかったか、宮下はあとで人に聞いて知った。宮下は旭川にいて、間に合わなかった。間に合わなかったという言い方が正しいのかどうかも、いまだに分からない。ただ、道が開いていて悪いことは一つもない。
だから宮下は、市道の分を終えたあと、そのまま奥まで入る。
三十分くらいの仕事である。会社には言っていない。言っていないというより、最初の年に言ったら、燃料は自分持ちにしてくれと言われた。それ以来、言っていない。
燃料は自分持ちである。ひと冬で、たいした額ではない。たいした額ではない、と自分に言い聞かせるほどでもない額だった。
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家は母の家だった。
宮下は十八で出て、旭川で十七年働いた。三十五のときに母が倒れて、戻ってきた。母は四年で死んだ。
戻るときには、片づいたら出るつもりだった。片づくというのが何を指すのか、そのときは考えていなかった。四年のあいだ、片づけるものは母のほうにいくらでもあって、宮下は自分のことを考える暇がなかった。暇ができたのは、母がいなくなってからだった。暇ができてみると、出ていく先が思い浮かばなかった。旭川に戻る気にはならなかった。あそこに戻る自分が、うまく像を結ばなかった。
四十四になった。
出ていく理由も、残る理由も、はっきりとはない。ただ、冬に三号車を出す人間が他にいない。他にいないというのは、正確ではない。会社にはあと四人オペレーターがいる。いるが、あの一・五キロを知っているのは宮下だけだ。
どこで肩が崩れているか。どこの下に側溝があるか。どこで曲がると法面を削るか。
雪が積もれば全部見えなくなる。見えなくなっても、宮下は知っている。
知っているというのは、そういう意味である。母が四年かけて教えたことも、たぶん、そういう種類のものだった。教わったとは思っていない。ただ、いまは知っている。
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きよさんの家に寄った。
寄るようになったのは、今月からである。
竹田さんが死んで、きよさんを町に乗せていく人がいなくなった。坂野さんが死んで、役場の紙を書く人がいなくなった。宮下はどちらもできない。運転はできるが、紙は書けない。
書けないなりに、届いた封筒を開けて、読んで、これは急ぎでない、これは急ぎだ、と分けることはできる。母のときに、それだけは覚えた。役場の紙は、たいてい急ぎではない。急ぎの顔をして届く。
今日は急ぎがなかった。
「お茶飲んでいくかい」
「いや、いいです。汚れてるんで」
「そんなもん」
きよさんは茶を出した。宮下は玄関の上がり框に座って飲んだ。框の木がすり減って、真ん中だけ色が薄い。何十年、同じところに腰を下ろせばこうなるのか、宮下には見当もつかなかった。
卓袱台の端に、青いのが載っていた。
回覧板である。
宮下はそれを見た。表紙の下に、日付の入った紙が挟んである。五月の二週目のものだった。
いまは六月の末である。回覧板が一月半、この家で止まっている。止まっているというのは、この谷ではめずらしいことではない。だが、めずらしくないと思う一方で、何かが宮下の内側で少しだけ引っかかった。引っかかったが、それが何かは分からなかったので、そのままにした。
「これ、まだ回ってないですか」
「ああ、それね」
きよさんは、湯呑みを持ったまま言った。
「うちの人が、持ってくって言ってたんだわ」
「はい」
「あとで、って」
宮下は湯呑みを置いた。きよさんの声が、なんでもない声だったので、宮下もなんでもないように受けた。
「持ってきます」
「もう、あれだよ。誰も読まんよ」
「いや」
宮下は立って、それを取った。青い表紙は思ったより軽かった。
「回るもんだから」
きよさんは、何か言いかけた。言いかけて、やめた。宮下は、やめたのを見なかったことにした。この土地では、言いかけてやめたものを、無理に聞き出さない。
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軽トラの助手席に置いた。
次は和泉さんのところである。和泉さんの奥さんは、宮下が来ると少しほっとした顔をする。夫がいるのに、である。夫は悪い人ではないが、この土地のことを知らない。知らないことを、宮下は責めない。二年ではまだ分からない。宮下だって、戻って九年になるが、まだ分からないことがある。
和泉さんは、この前、屋根に立てた棒が長すぎたと言っていた。
冬になれば分かる。あれは雪で折れる。宮下は言っていない。言えば直すだろうが、折れてから直したほうが早い場合もある。折れてみないと、どこが弱いか分からない。
この土地の教え方は、たいていそうだ。宮下も、そうやって教わってきた。誰かに教わったというより、折れるものが折れるのを、そばで見てきた。
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和泉さんのところを出たのが六時半だった。
まだ明るい。六月末の谷は、七時を回っても本を読めるくらいには明るい。旭川の夏もこうだったろうか、と宮下はふと思ったが、思い出せなかった。あちらでは日の長さを気にしたことがなかった。工場の中に、日はなかった。
宮下は家に戻らず、林道の手前で車を停めた。
荷台から、杭の束を下ろした。
木の杭で、長さ一メートル、頭を赤く塗ってある。会社の余りをもらってきた。赤いのは、雪の上でいちばん見える色だからだ。冬になれば分かる。白の中の赤は、遠くからでも目に刺さる。
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三月に、雪が緩んだとき、道の肩が二か所落ちた。
落ちたところは、いま草に隠れている。草に隠れていても、下は空いている。踏めば落ちる。
冬になれば雪が乗る。雪が乗ると、地面がどこまでか分からなくなる。分からないところをドーザで走ると、片側が落ちる。落ちれば機械が横になる。横になった機械を起こすのに、丸一日かかる。丸一日かかるあいだ、この谷に道はない。
だから、いまのうちに杭を打つ。
打っておけば、十二月に、そこに杭があると分かる。雪から頭が出ていれば見える。出ていなくても、そこに打ったことを宮下は覚えている。
覚えていれば足りる。半年先の自分に、いまの自分が申し送りをする。冬の宮下は、いまの宮下より頼りになる。三号車に乗っている宮下のほうが、たしかだった。
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一本目を打った。
道の左肩、カーブの入り口である。ハンマーで五回叩いて、赤い頭が三十センチほど出るところで止めた。
草をかき分けて、抜けていないか手で押した。動かなかった。
立ち上がって、汗を拭いた。日はまだ高いのに、谷の底の空気だけが少し冷たかった。六月の末にこの冷たさは、と宮下は思ったが、山の空気は気まぐれなものだと決めて、それ以上は考えなかった。
腰に鉈を差している。今月から差すようになった。鈴もつけている。前は面倒でつけなかった。三人いなくなってから、つけている。
効くかどうかは知らない。戸倉さんも鈴をつけていた。
つけていたが、それは、つけない理由にはならない。宮下は鈴を軽く鳴らしてみた。谷の音に、思ったよりも溶けなかった。すぐに消えた。
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次は、二百メートル先の右カーブである。
あそこも去年、肩が甘かった。三月に落ちてはいないが、いずれ落ちる。今年のうちに打っておけば、来年やらなくていい。来年のことを、宮下は当たり前のように考えていた。考えていることに、宮下は気づいていなかった。
宮下は杭の束を持ち直した。
空はまだ明るかった。
歩き出した。




