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天文密奏録 第〇四七号別紙五  作者: 棗田智紘
第一部 気色
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第九章 令和〇八年〇七月二〇日 〇五時〇〇分

 五時に、林道の待避所(たいひじょ)に着いた。


 着いたときにはもう明るかった。七月の道北(どうほく)は、四時前から明るい。空は曇っていて、風はなかった。気温は十六度である。車の温度計を見た。数字を先に見て、それから外を見る。もう、そういう順になっている。


 先に来ていたのは市の車が二台と、警察が三台。猟友会の軽トラが四台。それに、うちの車。


 うちの車には大迫(おおさこ)さんが乗っていた。窓を開けて、こちらに片手を上げた。


 私も上げた。上げてから、その角度を考えた。大迫さんのは、肩の高さだった。私のは、それより低い。低くしたのは、そのほうが正しいと思ったからである。思ったのは、少し遅れてだった。


   *


 場所は、宮下(みやした)さんが最後に杭を打った地点から、三百メートルほど山側だった。


 昨日の夕方、猟友会(りょうゆうかい)の人が見つけた。二十日目である。


 六月三十日の夜に帰らず、七月一日から捜索が始まって、三日で規模を縮めた。あとは猟友会が週に二度ばかり回っていた。回っていたのは、たぶん、業務ではない。


 見つけたのは中里(なかざと)さんだった。


   *


 現場は、沢から二十メートルほど上がった、笹の斜面である。


 斜面の中ほどに、盛り上がりがあった。


 直径が二メートル近い。周りの笹が倒れて、円く踏み分けてある。踏み分けの外側に、爪の跡が三か所ついていた。


 警察の人が写真を撮っていた。何十枚も撮っていた。


 私は離れたところに立って、見ていた。私の仕事は、初見(しょけん)ではない。初見は昨日、猟友会が発見した時点で終わっている。私は今日、経過を見に来ただけである。見に来ただけだ、と自分に言うと、少し、楽になる。


 見に来て、記す。


   *


 掘るのに二時間かかった。


 上から少しずつ剥がしていく。剥がすというのは正確で、土は一様に被さっているのではなかった。


 層になっていた。


 いちばん上が新しい土で、その下に、少し締まった土。その下に笹の葉が薄く一枚。その下にまた土。


 剥がすたびに、境が出る。


 中里さんが横で数えていた。


「十一」


 中里さんは、そう言った。


 警察の人が、なんです、と訊いた。


「十一回だ。掛け直したのが」


「一回で厚く掛けることもあるでしょう」


「あるけどな。境は出ねえよ」


 中里さんは、それだけ言った。それ以上は言わなかった。


 私は書いた。


   被覆に層状の構造。境界十一。


 書いて、少し考えて、そのまま置いた。


 十一という数に意味があるかどうかは、私には分からない。分からないので、数だけ書く。数だけ書けば、それは私の手を離れて、上で誰かが読む。読む人がいるかどうかは、私の考えることではない。


   *


 六時四十分ごろ、羽が動いた。


 斜面の中腹で、警察と市の人が交代で土を除けていた。誰も何も言っていなかった。掘る音だけがしていた。


 その音の上に、重なった。


 何枚もある。近くもなく、遠くもない。距離のないところで鳴っている。


 私は時計を見た。


 やんだのは、二十二秒あとだった。


 七月八日は十秒だった。門司では二、三秒だった。


 私は掘るのを見ていた。誰も手を止めなかった。中里さんも、大迫さんも、警察の人も、市の人も、誰も。聞こえているのは、私だけだった。それは、いつものことである。


 私は書かなかった。


   *


 収容は八時十分だった。


 あとのことは書かない。書かないことになっている。


 書くのは次のとおりである。


   収容 〇八時一〇分

   顔面損壊 あり

   筋部食痕 あり

   内臓欠損 なし

   衣類・毛髪の剥離 あり

   被覆 あり(層状・境界十一)


 これで三体である。


 顔面が三体中三体。筋部が三体中三体。内臓の欠損は、三体中一体。


 三体そろって、数字は動かなかった。全部、教科書のとおりである。教科書のとおりなら、書くことは少ない。書くことが少ないというのは、たぶん、いいことなのだと思う。


 中里さんが、私の手元を見た。


 手元を見られて、私は書いた欄をもう一度見た。足りないところを探した。中里さんの目が、それを探せと言っている気がしたからである。探しても、足りないところはなかった。ないと決めて、それから顔を上げた。


「それで、全部か」


「はい」


「そうか」


 中里さんは行った。


   *


 十時までに、みんな引き上げた。


 市の車が出て、警察が出て、猟友会が出た。中里さんの軽トラがいちばん最後だった。


 林道に、うちの車だけが残った。


 佐分利(さぶり)さんが、後ろから鞄を出した。


   *


 佐分利さんは陰陽師(おんみょうじ)である。六十三で、この管区に二十年いる。


 私は佐分利さんの仕事を、着任してから二度見ている。どちらも一層で、どちらも済んだ。


 済むところしか見ていない。だから、私は佐分利さんを、済ませる人だと思っていた。


 佐分利さんは、沢の脇の笹の上で、足袋を履き替えた。白足袋(しろたび)である。現場では履き替える。門司でも、そうだった。汚れるのが分かっていて、白いものを履く。理由は訊いたことがない。


 それから、蔵面(ぞうめん)を着けた。顔が、隠れた。私も、着けている。直には視ない。面越しに視る。六年、そうしてきた。


 佐分利さんは斜面を上がって、掘り返したところの前に立った。


 白足袋が、掘り返した黒い土の横にあった。


 それから、踏みはじめた。


 反閇(へんばい)である。


 禹歩(うほ)で歩を進める。片足を出して、もう片足を引きつける。引きつけた足を次に出さず、同じ足をもう一度出す。片側を引きずるような運び方になる。速くはない。


 七つ踏んだ。


 地面に印はない。印は佐分利さんの頭のなかにある。土の上には、七つの浅い跡だけが残った。


 踏み終えて、佐分利さんは止まった。


「竹内さん」


「はい」


気色(きしょく)は」


「風はありません。音はありません。私が視た範囲では、変わりはありません」


「そう」


 佐分利さんは、もう一度踏んだ。


 二度目も七つだった。


 二度目を踏み終えて、少し立っていた。それから、三度目を踏んだ。


 三度は、私は見たことがなかった。


 門司では、一度である。二度目を踏むのは、一度目で気色が動かなかったときだと有働(うどう)さんから聞いた。動かなければ二度。二度で動かなければ、その日はやらない。日を変える。


 佐分利さんは三度踏んだ。


 日を変えなかった、と私は思った。それだけである。それ以上は、私の考えることではない。


 三度、踏み終えたとき、白足袋は、土の色になっていた。


   *


 佐分利さんは、鞄から白い紙と、塩と、細い木を出した。木は柳だと思う。門司でも使っていた。


 置いて、立てて、水を打った。


 言葉があった。私は覚えていない。覚えていないというのは、聞こえなかったという意味ではない。聞こえたが、あれは伺見(うかみ)が覚えるものではない。


 時間は、七分ほどだった。


 門司の(ほこら)のときは、有働さんが二十分やった。二十分やって、そのあと氏子(うじこ)の人と一時間話した。話すほうが長かった。話す相手がいたからである。


 七分で、佐分利さんは手を下ろした。


 それから、立っていた。


 一分くらい立っていた。


   *


「竹内さん」


「はい」


「もう一度、聞くけど。気色は」


「変わりありません」


「うん」


 佐分利さんは、掘り返した土を見ていた。二十年この管区にいる人の背中が、そのとき、少し低くなったように見えた。面越しなので、確かではない。


 それから、こう言った。


「相手がいない」


 私は、佐分利さんを見た。


「いない、と申しますと」


「いないんだ」


 佐分利さんは、こちらを見なかった。


「鎮めというのはね。あれは、話なんだ。相手が何を怒ってるか、何を惜しんでるか、それを聞いて、こっちが直す。直せば済む。直せなければ、封じる。封じるのは、話が通じない相手だ」


「はい」


「話が通じない相手でも、相手はいる」


 佐分利さんは、そこで一度、言葉を切った。


「ここには、いない」


   *


 私は手帳を開いていた。


 開いていたが、書かなかった。


 書けなかったのではない。書き方は分かる。


   陰陽師 佐分利、相手の不在を認む


 こう書ける。


 書けるが、これは所見(しょけん)である。所見は佐分利さんのものであって、私が視たものではない。


 書けば、それは私の所見になる。


 私が書いていいのは、これだけである。


   鎮め実施 一〇時二二分〜一〇時二九分

   効果は確認できない


 二行である。


 佐分利さんは二十年この管区にいて、私は二度しか成功を見ていない。その人が、掘り返した土の前で反閇を三度踏んで、七分で手を下ろして、それから、相手がいない、と言った。


 それが二行になる。


 こうなるように書式ができている。


   *


 車に戻った。


 大迫さんが運転席にいた。エンジンをかけて、エアコンを入れていた。佐分利さんが後ろに乗った。


「終わりか」


 大迫さんが言った。


「はい」


「俺、何にもしてねえぞ」


「はい」


「はい、じゃないだろ」


 私は、少し笑った。


 笑ってから、門司で同じことを言われたのを思い出した。同じ言い方だった。二課の人間は、たぶん、どこでも同じことを言う。


 呼ばれないのはいいことである。呼ばれるということは、鎮めが効かなかったということだ。


 今回、鎮めは効いていない。


 それでも、大迫さんは呼ばれていない。


 佐分利さんは、後ろで何も言わなかった。


   *


 林道を半分ほど下りたところで、大迫さんが言った。


「あんた」


「はい」


「決まりだから、って話ばっかりだな」


 私は、前を見ていた。


 何か言おうとした。


 言おうとして、出てこなかった。


「いや、悪い」


 大迫さんは、ハンドルを切りながら言った。


「そういう意味でねえんだわ」


「はい」


「そうやって返すから、言われるんだ」


 私は、はい、と言いかけて、やめた。


 やめたが、代わりの言葉はなかった。


 代わりの言葉というものは、どこかで聞いて、覚えておくものだと思う。私は、大迫さんがこの先どう言うかを、先に待っていた。だから、間ができた。


 大迫さんは、それきり何も言わなかった。


   *


 林道を出るまで、四十分かかった。


 舗装に乗ったところで、私は書式を頭のなかで組み立てていた。件名(けんめい)。初見。地。気色。由来(ゆらい)。処置。結果。人員。封。欄は、いつも同じ順で並んでいる。並びのとおりに埋めれば、密奏(みっそう)になる。


 由来の欄は、空欄になる。


 空欄にするのは、書けないからではない。書いてはいけないからである。分からないものを書くと、そこから先の全部が信用できなくなる。


 私はそう教わった。教わって、六年やってきた。正しいと思っている。


 いまも正しいと思っている。


 思っているが、佐分利さんの言ったことは、どこにも入らない。


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