第四章 牧草
三時に起きて、外を見た。
沢に霧が下りていた。
竹田修は台所の窓からそれを二分ばかり見て、下りていると判断した。上がっているのと下りているのとでは意味が違う。上がっているときは崩れる。下りているときはもつ。
この見方は戸倉さんに教わった。四十年前だ。
教わったときは信用していなかった。役場の予報のほうが当たると思っていた。実際、七割くらいは予報のほうが当たる。ただ残りの三割で、戸倉さんのほうが当たった。三割のほうが大事な場合がある。刈ってしまってから降られると、三日の仕事が捨てになる。
いまは、戸倉さんはいない。教わったことだけが、修の中に残っている。窓の霧を見るたびに、あの人ならなんと言うか、が先に浮かぶ。浮かんでから、いない、と思い直す。四十年かけて入れたものは、抜けるのに四十年かかるのかもしれなかった。
修は湯を沸かして、飯を食った。
*
牛舎は空である。
平成二十六年にやめた。四十頭いた。やめるときは一週間で消えた。積み込んで、行って、それきりだ。
そのあと牛舎をどうするか少し考えて、結局そのままにしてある。潰すのに金がかかる。潰さないと固定資産税がかかる。どちらも金がかかるので、かかるほうを選んだというより、選ばないでいる。
中は片づいている。掃いてはいないが、散らかってもいない。牛のいない牛舎というのは、思っていたより臭いが残らない。二年で消えた。臭いが消えたときのことを、修は覚えている。ある朝、扉を開けて、いつもの匂いを探して、なかった。それだけのことだった。それだけのことが、やめた日よりこたえた。やめた日は忙しくて、こたえる暇がなかった。
修は機械を出した。
トラクターは平成八年のもので、三十年目になる。ラジエーターを一度替えて、クラッチを二度替えた。替えるたびに、これで最後にしようと思う。思って、また替える。この鉄も、たぶん修より長くもつ。もったところで、使う者がいなくなる。それは考えないことにしている。
モアコンをつないだ。爪は先月見た。三枚替えた。
*
四時半に畑に入った。
二十八ヘクタールある。
搾っていたころは二十町ほどだった。四十頭を回すのにそれだけ要った。放牧に出す分と、冬のぶんを採る分と、両方要る。この土地は半年雪の下だから、半年ぶんを夏のうちに刈って巻いておかねばならない。
牛がいなくなってから、畑は増えた。
出ていった家の畑が、そのつど回ってきた。地権者は札幌にいたり、旭川にいたり、どこにいるか分からなかったりする。分からないところは、地代を払っていない。払う相手がいない。
畑ごとに、前にそこを作っていた家の顔がある。ここは杉本さんのところ、その上は名前の出てこない家。修は畝を踏むたびに、その家の作り方の癖を思い出す。この一枚は水はけが悪くて、雨のあとは決まってここでぬかった。作っていた本人はもういない。癖だけが土に残っている。
草は刈らないと三年で藪になる。藪になったら、もう戻らない。ユンボを入れて、根を起こして、石を拾って、また播く。それを一からやる金は誰も出さない。
だから刈る。
刈った草は沢の下の三浦のところへ持っていく。三浦はまだ搾っている。この谷でまだ搾っているのは三浦だけだ。
一番草で、一町から五本ばかり巻ける。二十八町で百四十本になる。一本が一万円ほどだ。飼料が上がってから、この値がついた。
フィルムと軽油と、この春替えたクラッチを引いても、残る。
残ったぶんは通帳に入る。
通帳の数字は、この十年、増えるばかりで減っていない。町へ出るのは月に一度で、そのときも大して買わない。修は自分がいくら持っているか、はっきりとは知らない。知らないというのは、見れば分かるのに見ないという意味である。見ないのは、見たところで使うあてがないからだ。金は、行き先があってはじめて数える意味が出る。行き先がなければ、数字は数字のままだ。
トラクターを新しくする金はある。買っていないのは、買ったところで、という話である。
三浦は、再来年でやめると言っている。言うたびに、悪いな、と言う。
修は、いい、と言う。
三浦がやめたら、この草を持っていく先がなくなる。なくなっても、たぶん修は刈る。刈らないと藪になるからだ。藪になったら誰が困るのかというと、誰も困らない。困らないが、藪になる。
困る者がいないことのために体を動かすのが、いつからか修の一日になっていた。牛のためでも、金のためでもない。ただ、線が引いてあって、その内と外を分けておく。それだけのことに、朝の三時から日の暮れまでを使う。使うものが、ほかにない。
そのことを、修はあまり深く考えない。
*
一往復目を刈って、修は戻ってきた。
草の丈は思ったよりあった。今年は雨が良かった。刈っていると匂いが立つ。この匂いだけは四十年変わらない。牛がいなくなっても変わらない。牛のいたころは、この匂いのあとに牛の顔があった。いまは匂いだけがある。匂いのほうが牛より長生きした、と思うことがある。
二往復目に入るとき、修は山のほうを見た。
戸倉さんは、五月の九日から帰っていない。ひと月と一週間になる。
捜索は三日出た。市の職員と、消防団と、猟友会と、旭川から来た警察。修も三日とも出た。四日目からは出なくなった。誰かが決めたわけではない。四日目に人が来なかった。それだけだ。
沢は二本ある。上のほうで合わさって、その上は天塩の水系に抜ける。修は子どものころ、そこまで行ったことがある。半日かかった。九十一の人間が半日歩くとは思えないが、思えないというのは、こちらが勝手に思っているだけである。あの人の脚を、修は知らない。若いころの戸倉さんが山でどう歩いたかを見た者は、もうこの谷にいない。
鈴は落ちていた。袋も落ちていた。中に行者にんにくが入っていたが、たいした量ではなかった。採り始めたばかりだったのだろうと猟友会の人が言った。
修は、その言い方に少しだけ引っかかった。戸倉さんは、採り始めてすぐに袋を置く人ではなかった。四十年、そう見てきた。だが口には出さなかった。出したところで、袋の中身が増えるわけではない。
人は出ていない。
人が出ていないので、届が出せない。
先週、きよさんを町へ乗せていったとき、そういう話になった。届が出せないと年金の切り替えができない。切り替えができないと、いろいろ止まる。役場の人は、まことに申し上げにくいのですが、と三度言ったらしい。
きよさんは、うちの人はまだ生きとることになってるんだと言った。
言って、笑った。
修はどう返していいか分からなかったので、何も返さなかった。助手席のきよさんは、それきり窓の外を見ていた。修は前を見て運転した。二人とも、口をきかないことには慣れていた。この谷の人間は、たいてい黙って隣に乗る。
*
昼までに七往復した。
畑の東の端に、林との境がある。境といっても柵はない。柵は平成のはじめに外した。牛がいなくなれば柵はいらない。
柵はいらないが、境は残る。
草地の草と林縁の草は種類が違う。違うから、境は目で分かる。修は毎年、その線がすこしずつ内側に来ているのを見ている。年に三十センチか、四十センチか。二十年で十メートル近く来た。
どこかで刈るのをやめれば、あとは早い。
やめれば、という言葉を、修は近ごろよく手の中で転がす。転がして、また戻す。やめる理由も、続ける理由も、はっきりとはない。ただ体が三時に起きる。起きてしまえば、あとは畑がある。
*
トラクターを止めたのは、十二往復目の途中だった。
前方の未刈のところに、何か白いものがあった。
修は目を細めた。この距離では分からない。鹿の骨かもしれない。冬に死んだ鹿が春に出てくることがある。骨ならいい。骨ならモアコンで飛ぶだけだ。ただ、角や大腿骨だと爪をやる。爪をやると一日仕事になる。
あるいは、去年落とした標識の支柱かもしれない。あれは鉄だ。鉄は駄目だ。
白い、というのが、修には少し合わなかった。鹿の骨は、出てすぐは白くない。土の色がつく。年を越して、雨と日に晒されて、はじめて白くなる。この畑は去年も刈った。去年からあるものが、いまごろ出てくるはずはなかった。
合わないが、白い。
修はトラクターを降りた。
エンジンは切らなかった。すぐ戻る。
草は腰より上まであった。歩くと肩まで濡れる。露はまだ乾いていない。
修は白いもののほうへ歩いていった。
足元は見えなかった。




