↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天文密奏録 第〇四七号別紙五  作者: 棗田智紘
第一部 気色
PR
12/15

第十一章 令和〇八年〇七月二三日 〇五時一二分

 当直は、七月十五日から入っている。


 三交代で、深夜帯は二十三時から翌七時までである。北寮の当直は守辰丁(しゅしんちょう)職掌(しょくしょう)だが、人が足りないので、伺見(うかみ)も入る。足りないというのは、辞令に書いてある話ではない。当番表を見れば分かる。


 これが降格なのかどうかを、私は考えないことにしている。


 考えても、訊く先がない。


   *


 観測室は三階の北側にある。


 窓がない。窓がないのは、機械のためであって、人のためではない。


 壁の一面に古いラックが並んでいて、その前に机が二つある。机の上には、比較的新しい端末が二台。ラックのほうは平成のはじめのものらしい。動いている。動いているものは替えない。


 仕事は、見ることである。


 画面には、管区内の観測点からの値が流れている。数字と、線と、たまに色が変わる枠。それを見る。


 何かが動けば、時刻と値を書く。


 何も動かなければ、何も書かない。


 何も書かない夜のほうが、圧倒的に多い。


   *


 守辰丁というのは、もとは水時計の番をした役である。


 水が落ちるのを見て、時を告げる。それだけの職掌が、律令に置かれていた。


 いまは水ではない。だが、やっていることは変わらないのだと思う。


 見ていなければならないものがある。見ていなくても、それは進む。進むが、見ていなければ、進んだことを誰も知らない。


 知らないことは、無かったことになる。


 だから見る。


 見ているあいだ、私は何も決めなくていい。落ちるものを見て、時を控える。それだけでいい。


 正しいかどうかは、手順のほうが持っている。私はそれに合わせればいい。合っていれば、間違えていない。そう考えると、この役は、私に合っている。


 私はこの職掌が、嫌いではない。


   *


 七月二十三日の夜は、静かだった。


 二十三時から五時まで、書くことがなかった。


 四時を回ると、外が明るくなる。窓はないので分からないが、分かる。廊下の突き当たりの窓が明るくなって、それが観測室のドアの隙間から入ってくる。


 四時五十分ごろ、第三観測点の値が上がりはじめた。


 上がりはじめたが、閾値には遠かった。


 この観測点は、七月八日に私が置いた箱の近くにある。近くにあるだけで、別の系統である。私の置いた箱は記録するだけで、線は来ていない。


 値は、ゆっくり上がった。


   *


 五時十二分に、閾値を超えた。


 枠の色が変わる。音は鳴らない。音は鳴らない設定になっている。夜に鳴らすと、隣の部屋で寝ている人間が起きる。起きても、できることはない。


 私は時刻を控えた。


   〇五時一二分 第三観測点 閾値超過


 値を控えた。手順では、超過が三分続いたら当直責任者へ連絡する。三分未満なら記録のみ。


 私は秒を数えはじめた。


 そのときに、鳴った。


   *


 羽が動いた。


 何枚もある。近くもなく、遠くもない。距離のないところで鳴っている。


 ペンの先が、時刻の欄に降りていた。降ろそうと思う前に、降りていた。私はペンを、止めた。


 私は秒を数えていた。


 数えていたのは、閾値超過の継続時間である。


 三分を数えなければならない。数えながら、値の推移を控えなければならない。控えながら、次の観測点に波及していないかを見なければならない。


 私は、そちらを数えた。


 数えられるもののほうを、数えた。


 羽のほうは、数えなかった。


 門司では二、三秒だった。七月二日は、三秒か四秒。八日は十秒。二十日は二十二秒。その数を、私は覚えている。今日の数は、覚えない。


 いつやんだのか、分からない。


   *


 三分を超えた。


 私は当直責任者に電話をかけた。名取(なとり)さんだった。名取さんは三コールで出た。寝ていた声ではなかった。


「第三観測点、〇五時一二分より閾値超過。継続中です」


「値は」


 私は言った。


「記録して。朝、上げて」


「はい」


 それだけだった。


 電話を切って、私は席に戻った。


 値は五時三十一分に下がった。下がるときは、切れるように下がった。だんだんではない。


 私は控えた。


   〇五時三一分 正常域へ復帰


 十九分間である。


   *


 七時に交代した。


 当直日誌を書いて、判を押して、仮眠室で二時間ばかり寝た。


 起こされたのは九時四十分ごろだった。


 名取さんだった。


「S市。行方不明」


 私は起きた。


和泉(いずみ)さん」


「ご主人のほう」


「はい」


「奥さんが八時前に通報。警察が動いてる。あなた、現場を知ってるでしょう」


「はい」


「行って。佐分利(さぶり)さんは午後」


 私は靴を履いた。


 履きながら、五時十二分のことを考えていた。


 靴を履いてから、五時十二分に戻った。考えは、動作のあとに来た。


 考えたが、それは、いま考えることではない。


   *


 現地に着いたのが、十二時四十分だった。


 林道はもう車で埋まっていた。警察と、市と、消防団と、猟友会。三日前と同じ顔ぶれである。三日前と同じ顔ぶれが、三日で二度目に来ている。


 中里(なかざと)さんがいた。


 私を見て、軽く顎を上げた。それだけだった。


   *


 和泉さんの家の前に、香里(かおり)さんが立っていた。


 警察の人と話していた。話しているというより、同じことを何度も訊かれていた。何時に起きたか。何時に気づいたか。前の晩に変わったことはなかったか。


 変わったことは、ありました。


 香里さんはそう言った。


「ノイズが」


 警察の人は、はい、と言った。それから、次の質問をした。


   *


 捜索は、その日のうちに範囲を決めた。


 家から半径二キロ。沢を二本。林道の両側。


 人が入った。夕方まで入った。


 出なかった。


 翌日も入った。出なかった。


   *


 私が香里さんと話したのは、三日目の夕方である。


 家の玄関で、立ったままだった。


 香里さんは、私に紙の袋を出した。


 中にメモ帳が入っていた。B6の、罫線だけの安いやつである。表紙に何も書いていない。


「これ、たぶん、そちらのじゃないかと」


 私は受け取った。


 開いた。


 日付と、時刻と、二語か三語。それが二週間分ある。数えると、十一回あった。


 最後の行はこうだった。


   7/23 04:52 開始

     バンド全域。強い。今までで一番。


 終了の時刻は、書かれていなかった。


   *


 私は、その空白を見ていた。


 私の当直日誌には、こう書いてある。


   〇四時五〇分ごろより上昇

   〇五時一二分 閾値超過

   〇五時三一分 正常域へ復帰


 彼の記録は、四時五十二分で終わっている。


 二つの記録は、同じものを見ている。たぶん、同じものを見ている。


 たぶん、というのは、私が確かめていないからである。確かめるには、二つを並べて、同じであると判断しなければならない。判断は所見である。


 私は伺見である。


 私が書けるのは、二つの記録が存在することだけである。


   *


「役に立ちますか」


 香里さんが言った。


 私は顔を上げた。


「書いておけって、言われたって」


「はい」


「言われたのが、嬉しかったみたいで」


 香里さんは、そう言った。


 責めている言い方ではなかった。責めているのなら、まだよかった。


「ここ来てから、頼まれたこと、なかったんです」


「はい」


「二年で、一回だけでした」


 私は、はい、と言った。


 それ以外に、言えることがなかった。


   *


 私は礼を言って、メモ帳を鞄に入れた。


 入れながら、これをどう綴じるかを考えていた。


 住民の私的記録である。初見(しょけん)ではない。気色(きしょく)でもない。私が視たものではない。参考資料として別紙に添付する。それが手順である。


 別紙に添付されたものは、本文には入らない。


 手順どおりに、私はそう綴じる。


 入らないものは、たぶん、誰も読まない。


 彼が二週間、毎朝四時に起きて書いたものは、そういう場所に入る。


   *


 車に戻ろうとしたとき、中里さんが道の向こうから歩いてきた。


 すれ違いざまに、足を止めた。


「出んな」


「はい」


「あれと同じだ」


 あれ、というのが五月の戸倉(とくら)さんのことだと、私には分かった。分かったが、確認はしなかった。確認すると、それは聴取になる。


 中里さんは行った。


   *


 五人である。


 三人は出た。二人は出ていない。出た三人は、みな土をかけてあった。出ていない二人には、それもない。


 私が来てから、初めて自分で初見を記した案件が、これである。


 初見は取れた。時刻も値も残った。


 人は残らなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。