第5話:孤独の救い手
孤独な昼休みは、まるで冷たい水底に沈んでいるかのようでした。
広い学生食堂の最も隅にあるテーブルにぽつんと座り、わたしは一人でサンドイッチを口に運んでいました。
周囲からは、わたしを嘲笑う上位貴族の令嬢たちの声が、わざと聞こえるような音量で響いてきました。
「あんなに惨めな思いをしてまで、学園にいる意味があるのかしら」
「公爵家の温情につけ込んでいるだけよ。本当に図々しいこと」
針のむしろに座らされているような空気に、サンドイッチの味など全くわかりません。
ただ俯いて、早く昼休みが終わることだけを祈っていた、その時でした。
「隣、いいかい? シャルロット」
不意に頭上から降ってきた涼やかな声に、わたしは弾かれたように顔を上げました。
そこに立っていたのはトレイを持ったレインハルト様だったのです。
「レインハルト様……っ? どうして、こちらに……」
驚きのあまり、声が微かに裏返ります。
魔法専科の特待生専用のサロンで食事をとるはずの彼が、一般生徒のひしめく食堂に姿を現したことで周囲の喧騒が潮が引くように静まり返りました。
しかし彼は食堂中の驚愕の視線など全く気にする素振りも見せず、当然のようにわたしの向かいの席へと腰を下ろしたのです。
「どうしてって、僕たちは婚約者になったのだから一緒に過ごすのは当然だろう?」
コトン、とトレイを置きながら、彼は小首を傾げてわたしを見つめます。
「で、でも……ここはレインハルト様がいらっしゃるような場所では……」
「君がいる場所だろう。なら、僕がここにいても何もおかしくはないさ」
淡々と紡がれる言葉に、胸がぎゅっと締め付けられます。
しかし、静まり返っていた周囲の令嬢たちが、再びヒソヒソと悪意のある囁きを交わし始めました。
『どうせすぐ飽きられる』『上位貴族なのに魔力が無いなんて』という心無い言葉が、彼の耳にも届いてしまったのでしょう。
その瞬間、レインハルト様の纏う空気が、ぞっとするほど冷たく鋭いものに変わりました。
――ピキッ、ピキピキッ。
不気味な音が響き、食堂の空気が急激に凍てつきます。
見れば、陰口を叩いていた令嬢たちのテーブルにあるグラスの水が一瞬にしてカチカチに凍りついていたのです。
悲鳴すら上げられず、青ざめて震え上がる令嬢たちを、彼は流し目で冷ややかに一瞥しました。
「……外野が随分と騒がしいようだが、気にする必要はないよ」
彼はわたしに向き直ると、先ほどの冷酷さが嘘のような極上の甘い微笑みを浮かべました。
「僕も君を選んだ。誰が何を言おうと、僕のすべてを懸けて君の尊厳を守り抜く。だから何か困ったことがあれば言って?」
「レインハルト様……」
その圧倒的な魔力と、わたしだけを特別扱いしてくださる優しさに、張り詰めていた涙腺が崩壊してしまいます。
ポロポロとこぼれる涙を、彼は形の良い指先でそっと拭ってくださいました。
周囲の悪意など、彼がいれば何も怖くないのだと、心の底から思えたのです。
彼にとっては身分も、周囲の噂も、悪意に満ちた視線も、本当にどうでもいいことなのです。
ただ純粋に、婚約者だから共に過ごす。
そのひどく不器用で誠実な優しさが、冷え切っていたわたしの心をじわじわと温めていきました。
緊張で固まっていたわたしの前で、彼は紅茶のカップに口をつけました。
その何気ない仕草ひとつすら、絵画のように美しくて見惚れてしまいます。
ふと視線を上げると、遠巻きにこちらを見つめるナディアと目が合いました。
彼女はハッとして、ひどく申し訳なさそうに顔を歪めると、逃げるように食堂の入り口へと駆けていってしまいます。
その小さな後ろ姿を見送るわたしの胸に、チクリとした痛みが走りました。
けれどそれ以上に今、目の前にいるあたたかい体温が、わたしのすべてを包み込んでくれていたのです。
「困っていることなんて……」
彼を見上げ、わたしはゆっくりと首を横に振りました。
「うん」
静かに、わたしの次の言葉を待つように彼が相槌を打ちます。
(……わたしが困っていることなんて、たった一つだけ。この方が、格好良すぎるせいなのだから。……なんて言ったら、きっと困らせてしまうかしら)
少しだけ意地悪な本音を心の奥にしまい込み、わたしはあえて別の話題を口にしました。
「……レインハルト様のお誕生日が、もうすぐ近いでしょう? その日は、一緒にどこかに出かけたいですわ。それと、なにをお贈りすれば喜んでいただけるのかしら、と……ずっとそればかり悩んで困っていたのです」
きょとん、と。
彼は一瞬、目を丸くして固まりました。
今のこの状況でまさか自分の心配ではなく、彼への誕生日プレゼントの心配をしているだなんて思いもしなかったのでしょう。
やがて、彼の端正な顔立ちが堪えきれないといったようにふわりと綻びました。
「……ははっ。こんな時に自分のことより僕のこと?」
普段の彼からは想像もつかないような、年相応の無邪気な声で破顔するレインハルト様。
彼が声を立てて笑ったことに周囲の令嬢たちがまた息を呑むのがわかりましたが、わたしは彼につられて少しだけ恥ずかしくなりながらも頷きました。
「ええ、そうです。婚約して初めてのお誕生日ですから、わたし気合が入っているのです」
「そうか。君には敵わないな」
彼は目尻に滲んだ涙を拭いながら、たまらなく愛おしいものを見るような瞳でわたしを見つめました。
「もちろんいいよ。どこへでも、君の行きたいところへ出かけよう。二人きりで」
「本当ですか……っ? じゃあ、贈り物はなにがいいでしょうか。魔導書? それとも、研究に使う特別なインクとか……」
指折り数えようとするわたしに、彼は少しだけ身を乗り出し、ポンと優しくわたしの頭に手を乗せました。
「贈り物は、君の気持ちがこもっているものなら何だって構わないよ。高価なものなんていらない。……君が僕のために時間をかけて選んでくれた、その事実だけで、僕は十分すぎるほど幸せだからね」
甘く囁かれる声に、心臓がトクンと大きく跳ねます。
彼の大きな手から伝わる温もりが、わたしの心の隙間を隅々まで満たしていくのがわかりました。
学園での孤独や、親友との間にできてしまった距離への不安。
そんなものはすべて、彼が向けてくれるこの圧倒的な優しさの前では些細なことだと思えるのです。
今はただ、彼のお誕生日をどうやってお祝いしようか。
それだけで頭がいっぱいになってしまうほど、わたしの心は彼への愛おしい恋心で満たされていたのです。




