↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連作短編054】 蟻 全37話 ―悲しみの有無、不明―  作者: マチャオ (Machao)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/37

第八話 閾値:装置には触れなかった。ただ、夢の中では行っていた。

装置には触れなかった。ただ、夢の中では行っていた。

 三日後、大学から通知が来た。

 研究倫理委員会からだった。被験者が研究者本人である点、安全管理体制の不備、データ開示の不足。文書は丁寧だった。要するに、止まれ、と書いてあった。


 夏生は一度読んで、机の引き出しに入れた。

 父の論文の上に置いた。


---


 村瀬が来た。

「委員会から連絡来ましたか」

「来た」

「先生」

「わかってる」

 村瀬は何か言おうとして、やめた。テーブルの上のノートを見た。ノートは開いていた。今日の日付があった。その下は空白だった。

「装置、触りましたか」

「いいや」

 それは本当だった。


 村瀬が帰った。

 夏生はノートの空白を見た。

 長い時間、見た。


---


 夜になった。

 ハルが装置の椅子に乗った。

 珍しかった。いつもは近づかなかった。

 夏生はハルを見た。ハルは椅子の上で丸くなった。目を閉じた。


 夏生は立ち上がった。

 装置に近づいた。ハルをどかそうとした。

 ハルは動かなかった。目を開けた。夏生を見た。


 夏生はハルを見た。

 少しの間、そうしていた。

 椅子の横に、もう一つ椅子を引いた。座った。


 装置は触らなかった。


---


 明け方近くに、眠った。

 夢を見た。

 土の中だった。通路があった。匂いがあった。体が動いた。

 夢の中で、夏生は人間だった。アリの体ではなかった。人間の体で、土の中を歩いていた。

 天井が低かった。肩が壁に当たった。それでも進んだ。


 解体室があった。

 中を見た。

 一匹が壁に押しつけられていた。

 顔があった。

 人間の顔だった。


 目が合った。

 助けを求めていなかった。

 ただ、見ていた。


---


 目が覚めた。

 朝だった。研究室の床で眠っていた。椅子から落ちていた。


 ハルはいなかった。

 装置の椅子が空だった。


 夏生は起き上がった。

 体中が痛かった。それだけだった。


 ノートを開いた。

 昨日の空白の下に書いた。

 《夢。土。人間の顔。》

 次の行。

 《止まっていない。眠っている間も。》


 ペンを置いた。

 装置を見た。

 触らなかった。


---


 昼に村瀬から連絡が来た。

「今日、行きます」


 夏生は返信しなかった。

 一時間後、村瀬が来た。

 夏生の顔を見て、何も言わなかった。床に落ちた跡を見た。椅子が中途半端な場所にあるのを見た。


「眠れましたか」

「少し」

「どこで」

「ここで」


 村瀬はしばらく黙った。

「先生、一つだけ聞かせてください」

「何」

「今、やめたら、先生はどうなりますか」


 夏生は窓の外を見た。

 中庭に学生がいた。歩いていた。どこかへ向かっていた。


「わからない」と言った。

 嘘ではなかった。


---


 夕方、委員会に返答を書いた。

 再開のための条件を確認する、と書いた。

 手順を踏む、と書いた。

 送信した。


 村瀬にも転送した。

 村瀬からすぐ返信が来た。

「ありがとうございます」

 それだけだった。


 夏生はノートを開いた。

 今日の日付の下に書いた。

 《七回目、未遂。》


 未遂、という言葉を少し見た。

 正確かどうか、考えた。

 装置には触れなかった。

 ただ、夢の中では行っていた。

 どちらが正確か、判断できなかった。


 ハルが来て、膝に乗った。

 前回は足元だった。

 また戻った。


 夏生はハルの背中に手を置いた。

 温かかった。

 それだけを、少しの間、確かめた。

倫理委員会の通知、ハルが椅子を占領した夜、夢の中の解体室。

七回目は、未遂と書いた。

正確かどうか、判断できなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。