第六話 侵食:目を閉じると、土の匂いがした。
目を閉じると、土の匂いがした。
村瀬が来たのは午前だった。
アポなしだった。最近はいつもそうだった。
「先生、第五回のログがないです」
「記録は走らせた」
「バイタルが、ないんです。モニターに繋いでなかったから」
夏生は何も言わなかった。
「一人で入ったんですか」
「そうだ」
村瀬はしばらく黙った。窓の外を見た。それから夏生を見た。
「やめてください」
「何を」
「一人で入るのを」
夏生は村瀬を見た。
村瀬の目が、何かを計算していた。心配と、怒りと、もう一つ何かが混じっていた。
役割を果たしている、と夏生は思った。
思ってから、少し止まった。
「わかった」と言った。
村瀬は信じていない顔をした。正しかった。
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昼、学食に行った。久しぶりだった。
混んでいた。トレーを持った学生が列をなしていた。
夏生は列に並んだ。
前の学生が動いた。夏生も動いた。前が止まった。夏生も止まった。
列が流れた。全員が同じ速度で動いた。
気づいたとき、トレーを持っていた。定食が乗っていた。いつ取ったか、覚えていなかった。
席を探した。空いている席へ、体が向かった。
座ってから、手が止まった。
箸を持っていた。持った覚えがなかった。
食べた。味はわかった。わかったが、記録する前に次の一口が来た。
食べ終わった。トレーを返した。外に出た。
どこかへ向かっている自分がいた。研究室へ戻る道だった。
なぜその道を歩いているのか、考えた。
匂いだった。
研究室の匂いを、体が知っていた。
夏生は立ち止まった。
学生が横を通り過ぎた。誰も止まらなかった。
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研究室に戻ってノートを開いた。
書いた。
《地上での行動、匂い誘導の可能性。列への同調、無意識の座席選択、帰路の自動化。》
ペンが止まった。
《人間のコロニーか。》
書いてから、少し見た。
消さなかった。
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夕方、村瀬からメッセージが来た。
「次の潜入、第六回、私も立ち会います。日程決まったら教えてください」
夏生は返信しなかった。
しばらくしてから、書いた。
「明日」
送ってから、適切だったか考えた。
考えながら、装置の電極を磨いていた。手が動いていた。
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夜、眠れなかった。
眠れない、というより、眠る理由がなかった。
暗い部屋でハルが動いた。
窓の外を見ていた。何かを追っていた。虫か、影か、夏生には見えなかった。
ハルの耳が動いた。何かを聞いていた。夏生には聞こえなかった。
ハルが振り返った。夏生を見た。
夏生を見てから、また窓の外を見た。
夏生は天井を見た。
《では誰が支配しているのか。》とノートに書いた問いを思い出した。
答えは出なかった。
ただ、問いが変わっていた。
誰が、ではなく、何が。
何が、ではなく、そもそも。
そもそも、支配という言葉が正しいのか。
働きアリは支配されていない。
命じられてもいない。
匂いがあって、体が動く。
それだけだ。
夏生は目を閉じた。
土の匂いがした。
目を閉じたから、したのか。
目を閉じる前から、していたのか。
確かめる前に、朝になった。
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村瀬が来た。
夏生はすでに装置の前に座っていた。
「おはようございます」
村瀬は夏生の顔を見た。何かを言おうとして、やめた。モニターの接続を確認し始めた。
「先生」
「何」
「昨日、眠りましたか」
「少し」
村瀬は何も言わなかった。
「始めよう」と夏生は言った。
村瀬はモニターから目を離さなかった。
「バイタル、繋ぎました」
「ありがとう」
夏生がヘルメットを被った。
村瀬が最終確認をした。指がキーボードの上にあった。いつでも切れる態勢だった。
「いつでもいいです」と村瀬は言った。
夏生は何も言わなかった。
スイッチを入れた。
学食の列、無意識の帰路、眠れない夜。
地上に戻っても、何かが夏生の中に残っていた。
匂いがあって、体が動く。
それだけのことが、問いを変えていく。




