第三十話 遮断:考えない、という選択ではなかった。考えられなかった。
考えない、という選択ではなかった。考えられなかった。
田所の潜入が終わって、三日経った。
夏生はデータを見ていた。
七回分のデータを、全部並べた。
心拍の推移。脳波変容のタイミング。手指運動のパターン。帰還時間。匂いの報告。
数字を見た。
田所のデータは、どこかで自分のデータから離れていた。
夏生は合っていた。村瀬は止まりたくなかった。田所は呼ばれた。
同じ巣に入って、三人が三つの場所へ行った。
装置が田所に合わせていた、という記録を見た。
何度も見た。
説明がつかなかった。
説明しようとするたびに、別の問いが生まれた。
紙を取った。
書いた。
《装置が田所に合わせた。田所が巣に合わせたのではなく。》
次の行。
《では装置は何に合わせたのか。》
次の行。
《田所に来た「何か」は、装置にも届いたのか。》
紙を折った。
ノートの間に挟んだ。
折った紙が、二枚になった。
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四日目に、村瀬が来た。
「先生、田所さんのその後聞きましたか」
「連絡した。匂いは三だった」
「三」
「四回目から一週間で、三だ」
村瀬は少し考えた。
「私の一週間目は五でした」
「そうだ」
「田所さんは、やっぱり違いますね」
「そうだ」
村瀬はしばらく黙った。
「先生、装置のことなんですが」
「何」
「田所さんの七回目のデータ、装置側のログを詳しく見ました」
夏生は村瀬を見た。
「乱れは一回じゃなかったです」
「何回だ」
「四回です。三十分から四十分の間に、四回」
夏生は何も言わなかった。
「それと」村瀬は少し間を置いた。「六回目のデータも見直しました。一回、乱れてました。記録したときは気づきませんでした」
「気づかなかった」
「はい。小さかったので」
夏生はしばらく、村瀬を見た。
「装置を検査する」
「はい。ただ、先生」
「何」
「装置が壊れているなら、乱れは不規則なはずです。でも今回の乱れは、田所さんの脳波のリズムと、合ってました」
夏生は何も言えなかった。
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翌日、装置を分解した。
村瀬と二人でやった。
回路を調べた。センサーを調べた。電極を調べた。
異常はなかった。
組み直した。
テストした。
正常だった。
「壊れていない」と村瀬が言った。
「そうだ」
「では、あの乱れは」
夏生は答えなかった。
答えが出なかった。
「記録として残しておく」と言った。
「説明なしで」
「説明なしで」
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夜、一人になってから、夏生は装置の前に座った。
触れなかった。
見ていた。
田所が七回目に言った言葉を思い出した。
「先生の声が聞こえて、戻ってきました」
夏生の声が、田所を戻した。
装置が、田所に合わせた。
田所に来た「何か」が、装置にも届いた。
もし、装置を通じて、向こうから何かが来ているとしたら。
田所だけでなく、夏生にも届いているとしたら。
考えた瞬間、止まった。
止まった。
思考が、止まった。
続きが、来なかった。
恐怖ではなかった。
恐怖より前の何かだった。
続きを考えてはいけない、という感覚だった。
理由がなかった。
ただ、止まった。
夏生はしばらく、その止まりの中にいた。
ハルが来た。
装置の椅子ではなく、夏生の膝に来た。
重さがあった。温かさがあった。
続きを考えようとした。
また止まった。
考えない、という選択ではなかった。
考えられなかった。
ハルの背中に手を置いた。
毛があった。温かかった。
それだけを確かめた。
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翌朝、ノートを開いた。
昨夜のことを書こうとした。
書いた。
《装置の検査、異常なし。》
次の行を書こうとした。
止まった。
昨夜の「止まり」のことを書こうとした。
書けなかった。
言語化できなかった。
恐怖ではなかった。何だったのかが、まだわからなかった。
ペンを置いた。
折った紙が、ノートから少し覗いていた。
引っ張り出した。
二枚あった。
一枚目。渡さないことにした秘密の紙。三つの項目が残っていた。
二枚目。昨日書いた問いの紙。
二枚を並べた。
しばらく見た。
村瀬に、両方渡そうと思った。
初めて、そう思った。
まだ、だった。
もう少し、まだだった。
ただ、渡すかもしれない、と思った。
それは初めてだった。
装置を分解しても、異常は見つかりませんでした。それでも、七回目の記録には田所の脳波のリズムに合わせた乱れが残っています。
もし、装置を通じて、向こうから何かが来ているとしたら。夏生にも届いているとしたら。そこまで考えた瞬間、思考が止まります。恐怖より前の、理由のない止まりでした。
折った紙は二枚になりました。村瀬に渡すかもしれない、と夏生は初めて思います。
ハルは膝の上で、重さと温かさだけを伝えていました。




