第二十九話 告げる:田所は、私が行けなかった場所へ行った。
田所は、私が行けなかった場所へ行った。
翌日、村瀬が来た。
顔色が悪かった。
「すみません、昨日」
「何があった」
村瀬は少し間を置いた。
「夢を見ました。土の中の夢です。朝、起き上がれなかった」
夏生は村瀬を見た。
「匂いは」
「三でした。久しぶりに三になりました」
「今は」
「二です」
夏生は何も言わなかった。
「田所さんのデータ、見ました。送ってくれたやつ」
「そうだ」
「波形、見ました」
「そうだ」
「先生、あれは」
「わからない」と夏生は言った。「ただ、次で止める」
村瀬は少し目を細めた。
「田所さんには言いましたか」
「今日言う」
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田所が来た。
村瀬を見た。
「昨日、大丈夫でしたか」
「はい」と村瀬は言った。短かった。
田所はそれ以上聞かなかった。
三人で座った。
夏生が話した。
「昨日のデータを見た。脳波が、これまでの記録にない波形になった」
「はい」と田所は言った。「私も、いつもと違うと感じました」
「それと、帰還に時間がかかった」
「五分ほどでしたか」
「そうだ」
田所は夏生を見た。
「止めますか」
「次で止める」
田所は少し考えた。
「次が最後ということですか」
「そうだ」
「理由を聞いていいですか」
「データとして、十分集まった。それ以上続けることのリスクが、得られるものを上回る」
田所はうなずいた。
村瀬は夏生を見た。夏生は田所を見た。
「田所」
「はい」
「お前は納得しているか」
田所は少し間を置いた。
「納得、というより」田所は少し考えた。「先生が決めたなら、そうします」
「お前自身はどう思う」
「続けたいです」田所は静かに言った。「ただ、続けたい理由が、研究のためなのか、向こうに戻りたいからなのか、自分でもわかりません」
夏生は何も言わなかった。
「わからないなら、止めた方がいいと思います」と田所は言った。「自分で」
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準備をしながら、村瀬が夏生の隣に来た。
「先生」
「何」
「田所さん、怖がっていないのに、自分で止めると言いました」
「そうだ」
「どういうことだと思いますか」
夏生は少し考えた。
「怖がっていないからこそ、判断できるのかもしれない」
「怖がっていたら判断できないということですか」
「怖がっていたら、止まりたいという気持ちが邪魔をする。田所には、それがない」
「先生は」
「私は」夏生は少し止まった。「怖かったから、判断が遅れた」
村瀬は何も言わなかった。
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七回目が始まった。
心拍は六十二だった。
脳波変容は三分だった。
手指運動は九分だった。
二十分で、体が動いた。
昨日より大きかった。
肩が、頭が、上半身が、何かに引かれるように傾いた。
村瀬が立ち上がった。夏生が手で制した。
三十分で、昨日の波形が出た。
規則的な、人間ではない波形。
前回と同じだった。
ただ、今回は違うことがあった。
記録装置の出力が、わずかに乱れていた。
田所の脳波が変わったのではなかった。
装置側の数値が、田所の波形に引っ張られるように揺れた。
一秒、二秒、戻った。
夏生は記録した。
手が少し止まった。
田所の脳波が何かに合わせているのではなかった。
装置が、田所に合わせていた。
四十分で、田所の体が止まった。
動かなくなった。
完全に、止まった。
息は正常だった。心拍は正常だった。
脳波は、規則的なままだった。
夏生は切った。
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田所が戻るのに、十分かかった。
目が開いた。天井を見た。夏生を見た。村瀬を見た。
ゆっくりと、起き上がった。
何も言わなかった。
しばらく、何も言わなかった。
「田所」
「はい」
「どこにいた」
田所は少し考えた。
「前回と同じ場所でした」
「また呼ばれたか」
「呼ばれました」田所は少し間を置いた。「今回は、返事をしました」
村瀬が動いた。
「返事」と夏生は言った。
「はい。どうやって返事をしたのかはわかりません。ただ、返しました」
「向こうから何かあったか」
田所は少し考えた。
「来ました」
「何が」
「わかりません」田所は夏生を見た。「ただ、来ました。それから、先生の声が聞こえて、戻ってきました」
夏生は何も言えなかった。
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田所が帰った。
村瀬が残った。
二人で、しばらく何も言わなかった。
「先生」と村瀬が言った。
「何」
「田所さんは、戻れましたか」
夏生は少し考えた。
「今日は戻れた」
「次は」
「ない」
村瀬はうなずいた。
夏生はノートを開いた。
今日の日付。
《七回目。四十分。脳波、前回を上回る深度。記録装置の出力乱れ確認——田所側ではなく装置側。帰還十分。「返事をした」「何かが来た」と発言。》
次の行。
《田所の潜入、終了。》
そこで止まった。
終了、という言葉を見た。
研究者の言葉だった。正確だった。
もう一行書いた。
《田所は、私が行けなかった場所へ行った。》
その一行を、長い時間見た。
消さなかった。
ハルが来た。
今日は膝に乗った。
夏生はハルを見た。
ハルは夏生を見た。
何も言わなかった。
それで、よかった。
次で止める、と夏生は告げました。田所は自分から言います。続けたい理由が、研究のためなのか、向こうに戻りたいからなのか、わからない。わからないなら、止めた方がいい、と。
七回目。記録装置の数値が、田所の波形に引っ張られるように揺れました。田所が装置に合わせているのではなく、装置が田所に合わせていた。
戻った田所は言います。「今回は、返事をしました」。
ハルは膝に乗り、何も言わず、夏生を見ていました。




