第二十八話 限界:私は一度も呼ばれなかった。
私は一度も呼ばれなかった。
六回目の朝、村瀬は来なかった。
連絡があった。
「今日は行けません。すみません」
それだけだった。
夏生は田所に連絡した。
「アシスタントが来られない。延期できるか」
すぐ返信が来た。
「このまま続けます」
夏生は少し考えた。
「わかった」と送った。
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田所が来た。
いつもと同じ顔だった。
「村瀬さん、大丈夫ですか」
「わからない」
「先生、一人で監視できますか」
「やったことがある」
田所はうなずいた。それ以上聞かなかった。
ヘルメットを自分で取った。
電極を自分で巻いた。
夏生が確認した。正確だった。
「怖いか」と夏生は聞いた。
田所は少し考えた。
「期待しています」
夏生は何も言わなかった。
スイッチを入れた。
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心拍は六十四だった。
脳波変容は四分で起きた。
手指運動は十一分で始まった。
夏生は記録した。数字だけ書いた。
二十分で、脳波が深くなった。
田所の体が動いた。肩が、頭が、今日はより大きく動いた。
椅子の上で、体が傾いた。
夏生はキーボードに手を乗せた。
数字を見た。
安定していた。
三十五分で、脳波がこれまで見たことのない形になった。
夏生の記録にも、村瀬の記録にも、ない形だった。
夏生は止まった。
記録する手が止まった。
見た。
波形が、規則的だった。
人間の脳波ではなかった。
何かに同期していた。
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四十分で、夏生は切ろうとした。
手がキーボードの上にあった。
数字を見た。
安定していた。
波形は規則的なままだった。
切らなかった。
父の論文の一文が浮かんだ。
「巣の記憶は個体ではなくコロニー全体に宿る」
田所の脳波が、何かに同期していた。
何に同期しているのか、夏生にはわかった気がした。
わかった気がして、手が止まった。
五十分で、切った。
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田所が戻らなかった。
目を開けなかった。
息は正常だった。心拍は正常だった。
ただ、目を開けなかった。
「田所」
返事がなかった。
「田所」
田所の手が動いた。
椅子の縁をなぞる、あの動きだった。
「田所、聞こえるか」
手が止まった。
ゆっくりと、目が開いた。
天井を見た。
夏生を見た。
「どこにいた」と夏生は聞いた。
田所は少し間を置いた。
「わかりません」
「わからない」
「いつもと違う場所でした。通路ではなかった」
「どんな場所だ」
田所は少し考えた。
「広かったです。暗かった。匂いが、強かった」
「他には」
「たくさんいました」
「働きアリか」
「わかりません。ただ、たくさんいた」
田所はゆっくり起き上がった。五分かかった。
「先生」
「何」
「私は、呼ばれた気がしました」
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田所が帰った後、夏生は椅子に座ったまま動かなかった。
呼ばれた。
田所がそう言った。
怖がっていない人間が、怖がらないまま深く入って、呼ばれた。
夏生は自分の記録を開いた。
全部の回を見た。
自分は一度も、呼ばれた、とは感じなかった。
合っていた。自然だった。迷子になりかけた。それだけだった。
田所は違った。
最初から違った。
村瀬に連絡した。
「田所の六回目が終わった。問題がある。明日来られるか」
返信が来た。
「行きます」
夏生はノートを開いた。
今日の日付。
《六回目。五十分。脳波、未知の波形。何かに同期。帰還に時間を要した。「呼ばれた」と発言。》
次の行。
《私は一度も呼ばれなかった。》
次の行。
《田所を、次で止める。》
三行目を、少し見た。
消さなかった。
ハルが来た。
装置の椅子に乗った。
夏生を見た。
夏生はハルを見た。
「お前には聞こえるか」
ハルは答えなかった。
ただ、夏生を見ていた。
いつもと違う目だった。
何が違うのか、また、説明できなかった。
村瀬のいない朝、夏生は一人で田所の六回目を見守ります。脳波は、夏生も村瀬も見たことのない形になりました。人間のものではない、何かに同期した規則的な波形です。
戻ってきた田所は言いました。「呼ばれた気がしました」。
夏生は自分の記録を全部見返します。自分は一度も、呼ばれなかった。田所は、最初から違った。
ハルはいつもと違う目で、夏生を見ていました。




