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【連作短編054】 蟻 全37話 ―悲しみの有無、不明―  作者: マチャオ (Machao)


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第三話 解体:外傷はなかった。それでも、解体された。

三回目の潜入です。

今回は、見てはいけないものを見ました。

 潜入前に、助手の村瀬から連絡が来た。

「フェロモン模倣信号、昨日のデータ見ました。微妙にずれてます。誤差範囲内ですけど」

「どのくらい」

「〇・三パーセント。たぶん問題ないです」

 夏生は少し考えた。

「入る」

 村瀬は何も言わなかった。


---


 三回目の土の中は、静かだった。

 通路を進むと、分岐で兵アリが触角を伸ばした。前回と同じ動作。一秒、二秒。

 通った。


 幼虫室を抜けた。女王室の手前の通路に、今日は別の部屋があることに気づいた。気づいた、というより、そちらへ向かう匂いがあった。体が従った。


 部屋は小さかった。

 中に、七匹いた。

 全員、動いていなかった。


 違う。動けなかった。

 壁に押しつけられていた。他の個体に。押しつけながら、顎が動いていた。

 解体されていた。


---


 一匹を見た。

 外傷はなかった。脚は六本あった。触角も無事だった。それでも動けなかった。動こうとしていた。脚が微かに、規則的に動いていた。それでも離してもらえなかった。


 解体する側は、休まなかった。

 感情がなかった。正確には、感情があるかどうかを考える前に、顎が動いていた。

 巣が命じていた。命じているのは誰でもなかった。匂いだった。この個体は不要だ、という匂いが出ていた。だから解体された。


 夏生は動けなかった。

 体が動けなかったのではなかった。見ていた。


---


 そのとき、触角が来た。


 後ろからだった。解体係の一匹が、夏生の背中に触角を当てた。

 読んでいた。

 夏生の体を、読んでいた。


 一秒。

 二秒。

 三秒。


 解体係の顎が、ゆっくり開いた。


 体が動いた。夏生の意志ではなかった。逃げるという判断より先に、脚が動いた。通路へ出た。走った。匂いの濃い方へ、女王の匂いのある方へ、体が逃げた。

 後ろに気配があった。

 あった、と思った。

 振り返れなかった。


 兵アリの立つ分岐まで戻ったとき、追跡は止まっていた。

 夏生は止まった。触角が震えていた。体の震えだった。


---


 装置を切った。自分で切った。タイムリミットより十七分早かった。


 研究室の椅子の上で、夏生はしばらく動かなかった。

 ハルが来なかった。珍しかった。部屋の隅で、丸くなっていた。


 村瀬から着信があった。出なかった。

 五分後にメッセージが来た。「大丈夫ですか バイタル乱れてたので」


 夏生はノートを開いた。

 ペンを持った。

 何も書けなかった。


 一分ほどして、一行だけ書いた。

 《〇・三パーセントのずれ。たぶん問題なかった。》


 たぶん、に二重線を引いた。

 消しはしなかった。


---


 解体されていた個体に、外傷はなかった。

 脚は六本あった。

 それでも、巣は不要だと判断した。


 夏生はその理由を調べるつもりだった。データを、フェロモンの記録を、解析するつもりだった。

 ただその夜は、できなかった。


 机の引き出しを開けた。父の論文が見えた。閉めた。


 ハルが部屋の隅から来て、夏生の足に頭を押しつけた。

 さっきは来なかったくせに、と思った。

 声には出さなかった。

《〇・三パーセントのずれ。たぶん問題なかった。》

「たぶん」に二重線を引いて、消しはしなかった。

夏生のこういうところが、好きです。

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