↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連作短編054】 蟻 全37話 ―悲しみの有無、不明―  作者: マチャオ (Machao)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/37

第二話 役割:選んでいないのに、選ばれている。

父の論文と、幼虫の部屋と、役割について。

二回目の潜入です。

 机の引き出しの底に、論文のコピーが入っていた。

 二十年前の論文で、著者は夏生の父だった。タイトルは「クロオオアリにおける分業固定と個体淘汰の相関」。余白に赤ペンで「なぜ彼らは疑問を持たないのか?」と書いてあった。父の字ではなかった。

 夏生の字だった。中学生の頃に書いた。


 ハルが引き出しの縁に顎を乗せた。

 夏生は引き出しを閉めた。


---


 二回目の潜入は、前回より深く入ることにした。

 目標は女王室の手前まで。前回は匂いに弾かれて近づけなかった。今回は事前に女王フェロモンの模倣信号を電極に仕込んだ。通行証の偽造だった。うまくいくかどうかは、入ってみないとわからなかった。


 夏生はヘルメットを被る前に、ノートを開いた。

 前回の最後のページ。《悲しみの有無、不明。》

 その下に、今日の日付だけ書いた。


---


 土の中は前回と同じ匂いがした。

 ただし、奥へ進むにつれて層が増えた。饐えた匂いの下に、別の何かが混じり始めた。甘くて、重い。女王の匂いだと、体が知っていた。


 兵アリが二匹、通路の分岐に立っていた。

 体が大きかった。顎が違った。働きアリのそれより分厚く、短く、何かを砕くためだけに発達していた。

 夏生が近づくと、片方が触角を伸ばした。

 止まった。触角が夏生の体を読んだ。一秒、二秒。

 通してくれた。


 偽造は機能した。


---


 女王室の手前に、広い空間があった。

 幼虫の部屋だった。

 白い粒が床を埋めていた。保育担当の個体が動き回り、幼虫を舐め、位置を調整し、また次へ移った。止まらなかった。食事も、休息も、夏生には見えなかった。

 保育係の個体には、保育係以外の仕事がなかった。生まれた瞬間から、そうなることが決まっていた。


 夏生は立ち止まった。

 体が立ち止まることを許した。ここでは夏生の役割が定まっていなかった。どこへ行くべきかを告げる匂いが、まだなかった。


 幼虫を一匹、保育係が丁寧に舐めていた。

 その幼虫がいつか兵アリになるのか、働きアリになるのか、女王になるのかは、まだ決まっていないのかもしれなかった。あるいはもう決まっているのかもしれなかった。夏生にはわからなかった。

 幼虫は動かなかった。舐められながら、動かなかった。


---


 装置が切れた。


 研究室の蛍光灯が目に刺さった。夏生はしばらく目を閉じていた。

 ハルが膝に乗っていた。潜入中に乗ったのか、切れた瞬間に乗ったのか、わからなかった。


 ノートを開いた。日付の下に書いた。

 《幼虫室確認。保育個体、休止なし。役割の固定、出生以前から?》

 ペンが止まった。

 もう一行書いた。

 《選んでいないのに、選ばれている。》


 ハルが一度、短く鳴いた。

 夏生は顔を上げなかった。


---


 父の論文に、こんな一文があった。

 「働きアリは女王のために働くのではない。コロニー全体の存続という目的のために、個が消費される構造になっている」


 夏生が中学生のとき、その文章を読んで「個が消費される」という言い方が引っかかった。消費、という言葉が。

 そのとき父はもう、いなかった。


 だから夏生は確かめたかった。

 消費されている側に、何かが残るのかどうか。

《選んでいないのに、選ばれている。》

夏生がこれを書いたのは、アリのことだけではないかもしれません。

続きは第三話で。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。