第二十六話 加速:止める信号が、田所の中にはない。
止める信号が、田所の中にはない。
田所の二回目は、一週間後だった。
心拍は初回より低かった。七十三だった。
脳波変容は十分で起きた。初回より五分早かった。
手指運動は二十分で始まった。初回より八分早かった。
パターンは同じだった。触角ではない、あの動きだった。
五十分で切った。
田所が起き上がった。すぐ起き上がった。
「どうだった」
「同じでした」
「同じか」
「前回と同じです。自然でした」
夏生は何も言わなかった。
「変化はありましたか」と田所が聞いた。
「データを見てから話す」と夏生は言った。
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三回目は、二回目の六日後だった。
心拍は六十九だった。
脳波変容は八分だった。
手指運動は十七分だった。
全部、早くなっていた。
切った後、田所はすぐ起き上がらなかった。
初めてだった。
二分、横になっていた。
「どうした」
「少し、重かったです」
夏生は記録した。
「体が」
「はい。戻ってきてから。すぐ消えました」
「消えたか」
「はい」
夏生は田所を見た。
「それ以外は」
「同じです。自然でした」
夏生はノートに書いた。
《三回目。帰還後、二分間起立せず。「重い」と発言。二分で消失。「自然だった」継続。》
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その夜、村瀬から連絡が来た。
「今日のデータ、送ってもらえますか」
夏生は送った。
十分後に返信が来た。
「先生、田所さんの速度、私より速いですよね」
「そうだ」
「私の三回目は、どうでしたか」
夏生は記録を開いた。
「脳波変容は十二分だった」
「田所さんは八分です」
「そうだ」
しばらく返信がなかった。
「先生」
「何」
「田所さん、止まれると思いますか」
夏生はしばらく、その文字を見た。
「わからない」と返信した。
「怖がっていないから止まれない、ということですか」
「そうじゃないかもしれない」
「どういうことですか」
夏生は少し考えた。
「怖がらない人間は、止まる必要を感じないかもしれない」
返信が来なかった。
五分後に来た。
「続けさせるつもりですか」
「まだ判断していない」
「先生」
「何」
「私のときより、早く判断してください」
夏生は何も返信しなかった。
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四回目の前に、夏生は田所に言った。
「一つ話がある」
「何ですか」
「お前は怖がっていない」
田所は少し考えた。
「そうですね」
「それが問題かもしれない」
「なぜですか」
「私も、アシスタントも、怖かった。怖かったから、戻りたいと思った。怖かったから、止まれた」
田所は夏生を見た。
「私は止まれないということですか」
「わからない。ただ、止まる信号が弱いかもしれない」
田所は少し間を置いた。
「それを知った上で、続けますか、ということですか」
「そうだ」
田所は少し考えた。
「続けます」
「理由を聞いていいか」
「止まる信号が弱いなら、先生が止めてくれればいいからです」
夏生は何も言えなかった。
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四回目が終わった後、田所はすぐ起き上がった。
重さについては何も言わなかった。
「どうだった」と夏生は聞いた。
「今日は少し、違いました」
「どこが」
「匂いが、帰ってきてからも、少し残りました」
夏生は記録した。
「強さは」
「わかりません。気のせいかもしれません」
「気のせいではない」と夏生は言った。
田所は少し驚いた顔をした。
「それは」
「同じことが、私にも起きた。最初は気のせいだと思った。気のせいではなかった」
田所はメモを取った。
「今もしますか。先生は」
「一だ」
「ずっと」
「そうだ」
田所はメモを取り終えて、夏生を見た。
「先生は、それを後悔していますか」
夏生は少し考えた。
「していない」
「なぜですか」
「匂いが残ることより、わかったことの方が多かったから」
田所は何も言わなかった。
少し、初めて、表情が動いた。
何の表情かは、わからなかった。
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夜、ノートを開いた。
今日の日付。
《四回目。帰還後、匂いの残存を初確認。強度不明。》
次の行。
《田所、「先生が止めてくれればいい」と発言。》
その一行を、少し見た。
止める判断を、田所が夏生に渡した。
夏生が村瀬に渡したのと、同じだった。
ただ、村瀬は怖がっていた。
田所は怖がっていない。
止める信号が、田所の中にはない。
夏生の外にしかない。
ペンを置いた。
ハルが来た。
今日は膝に乗った。
夏生はハルの背中に手を置いた。
温かかった。
それだけを確かめた。
それだけで、今夜は足りた。
回を重ねるごとに、田所の数字は早く、低くなっていきます。心拍も、脳波変容も、手指運動も。
怖がらない人間は、止まる必要を感じないのかもしれない。夏生がそう伝えても、田所は「続けます」と答えました。止まる信号が弱いなら、先生が止めてくれればいい、と。
その判断を預けられた夏生は、何も言えませんでした。
ハルは今夜、膝に乗りました。




