第二十四話 面談:逃げた後、なぜ逃げたのかわからなかったからです。
逃げた後、なぜ逃げたのかわからなかったからです。
応募が三件来た。
一週間で、三件だった。
一件目は学部三年の学生だった。面談で「面白そうだから」と言った。断った。
二件目は他の研究室の博士課程の学生だった。神経科学専攻だった。話が早かった。リスクの説明をした。「検討します」と言って、翌日辞退の連絡が来た。
三件目は、夏生より少し年上に見える女性だった。
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名前は田所といった。
職業を聞くと、少し間を置いてから「以前は看護師でした」と言った。今は、とは聞かなかった。
「なぜ応募しましたか」
「掲示を見て」
「動機を聞いています」
田所は少し考えた。
「小さいものの中に入ってみたかったからです」
夏生は田所を見た。
「小さいもの」
「アリとか、虫とか。ずっと興味があって」
「研究の内容は理解していますか」
「読みました。論文も、いくつか」
「リスクも」
「読みました」
夏生はしばらく田所を見た。
田所は夏生を見ていた。逸らさなかった。
「続けましょう」と夏生は言った。
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説明は二時間かかった。
装置の仕組み、感覚の変容、匂いの残存、脳波の変容、同化のリスク。
田所は聞いた。メモを取った。質問した。
「同化というのは、どの程度まで起きますか」
「個人差がある。私の場合は、自分の顔を見て違和感を覚えるまで進んだ」
「戻りましたか」
「ほぼ戻った」
「ほぼ」
「完全かどうかは、測定できない」
田所はメモを取った。
「アシスタントの方は」
「八回で中止した。現在は匂いが二で安定している」
「中止した理由は」
「安全のためだ」
田所はうなずいた。
「先生は、今も匂いがしますか」
「一だ」
「一年経っても」
「そうだ」
田所は少し間を置いた。
「それは、消えないということですか」
夏生は少し考えた。
「わからない。消えていく途中かもしれない。止まっているのかもしれない」
「先生は、それを気にしていますか」
夏生は田所を見た。
予想していない質問だった。
「気にしていない」と言った。
嘘ではなかった。
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帰り際、田所がドアのところで振り返った。
「一つだけ聞いていいですか」
「何ですか」
「先生が入ったとき、何が一番怖かったですか」
夏生は少し考えた。
「三回目に、解体係に触られたとき」
「死ぬかと思ったからですか」
「いいや」夏生は少し間を置いた。「逃げた後、なぜ逃げたのかわからなかったからです」
田所はうなずいた。
「わかりました」と言った。
わかった、という顔ではなかった。
それでいい、という顔だった。
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田所が帰った後、村瀬に連絡した。
「面談が終わった。一人、可能性がある」
すぐ返信が来た。
「どんな人ですか」
「元看護師。年齢は三十代後半だと思う。動じない」
「先生が動じないと思う人、ですか」
夏生は少し考えた。
「そうだ」
「会ってみたいです」
「今度来い」
送信してから、ノートを開いた。
折った紙がそこにあった。
三つの項目が残っていた。
見た。
折って、戻した。
田所が来たら、渡すかどうか、まだ決めていなかった。
村瀬には渡すかもしれなかった。
まだ、だった。
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ハルが来た。
今日は装置の椅子ではなく、田所が座っていた椅子に乗った。
匂いを嗅いだ。
少し嗅いで、離れた。
夏生の膝に来た。
夏生はハルを見た。
「どうだった」
ハルは答えなかった。
ただ、膝の上で丸くなった。
目を閉じた。
それだけだった。
それだけで、少し、わかった気がした。
何が、とは言えなかった。
三件の応募の中から、田所という元看護師の女性が現れます。動じない。逸らさない。夏生がそう感じた人間は、これまでいませんでした。
面談の最後に田所が聞いた「一番怖かったこと」への答えが、この話の核心です。死の恐怖ではなく、自分の行動の理由がわからなかったこと——それが夏生にとっての怖さでした。
田所は「わかりました」と言った。わかった顔ではなく、それでいい、という顔で。




