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【連作短編054】 蟻 全37話 ―悲しみの有無、不明―  作者: マチャオ (Machao)


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第二十三話 次:村瀬が知らない夏生が、四つあった。

村瀬が知らない夏生が、四つあった。

 委員会から返答が来た。

 「被験者の変更を検討されたい。現行の研究代表者および現助手以外の候補を提示すること」


 夏生は一度読んで、閉じた。

 開いた。もう一度読んだ。

 閉じた。


 候補がいなかった。


---


 翌日、村瀬が来た。

 久しぶりだった。顔色が普通だった。

「先生、委員会から連絡来ましたか」

「来た」

「私も来ました。被験者として不適切だと」

「そうだ」

 村瀬は椅子を引いた。座った。

「先生、正直に聞いていいですか」

「何」

「研究、続けられると思いますか」

 夏生は少し考えた。

「わからない」

「わからない、というのは」

「候補がいない。私も入れない。お前も入れない。他に入れる人間がいるかどうか」

「先生が入れないのは、委員会の条件ですか」

「そうだ」

「条件がなければ入りますか」

 夏生は答えなかった。

 村瀬はそれ以上聞かなかった。


---


 しばらく、二人とも黙っていた。

 ハルが村瀬の足元に来た。村瀬が見た。

「この猫、最近どうですか」

「どうとは」

「変わりましたか。先生の様子が変わるにつれて」

 夏生は村瀬を見た。

「なぜそれを聞く」

「ずっと気になってました。この猫だけ、何かを知っているみたいで」

 夏生は少し考えた。

「わからない」

「先生にもわからないんですか」

「そうだ」

 村瀬はハルを見た。ハルは村瀬を見なかった。夏生を見ていた。

「来歴は」

「知らない。三年前に非常口の前にいた」

「三年前」

「そうだ。研究を始める少し前だった」


 村瀬は何も言わなかった。

 夏生も何も言わなかった。

 ハルは夏生を見ていた。


---


 村瀬が帰った後、夏生はノートを開いた。

 まだ話していないことが、残っていた。

 夢の中の回。一人で入った回。女王と目が合った時間。


 紙に書いた。

 ノートではなく、別の紙に。

 箇条書きにした。日付と、内容だけ。


 書きながら、数えた。

 話していないことが、四つあった。

 村瀬が知らない夏生が、四つあった。


 紙を折った。

 ノートの間に挟んだ。

 村瀬に渡すかどうかは、まだ決めていなかった。


---


 夜、装置の前に座った。

 今日は触れた。

 ヘルメットを手に取った。

 持った。

 重さを確かめた。

 置いた。


 土の匂いがした。

 一だった。

 変わらなかった。


 ハルが来た。

 装置の椅子に乗った。

 夏生を見た。


「また座ったな」と夏生は言った。

 ハルは動かなかった。

「お前が座ると、私は入れない」


 ハルは目を細めた。

 それだけだった。


 夏生はしばらくハルを見た。

 研究を始める少し前から、ここにいる。

 三年間、ここにいる。

 何を見てきたのか、夏生にはわからなかった。

 何を知っているのかも、わからなかった。


 ただ、ここにいた。

 それだけは確かだった。


---


 翌朝、夏生は大学の掲示板を開いた。

 研究協力者の募集要項を、下書きした。

 「没入型生体模倣システムの被験者募集。詳細は面談にて」


 書いてから、少し見た。

 送信しなかった。


 ノートを開いた。

 折った紙がそこにあった。

 取り出した。広げた。

 四つの項目を読んだ。


 一つ、消した。

 夢の中の回。日付と内容を横線で消した。

 これは渡さなくていい、と思った。

 渡せない、ではなかった。

 渡さなくていい、だった。


 残りの三つを見た。

 折って、戻した。


 送信ボタンの上に指を置いた。

 置いたまま、しばらくいた。

 押した。

委員会の通告で、研究は岐路に立たされます。被験者がいない。夏生も村瀬も入れない。それでも夏生は「次」を探し、募集要項の送信ボタンを押します。

話せなかったことを紙に書き出し、一つだけ消す。渡せないのではなく、渡さなくていい——その区別に、夏生という人間の静かな変化が滲んでいます。

ハルは三年前から、ここにいる。

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