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【連作短編054】 蟻 全37話 ―悲しみの有無、不明―  作者: マチャオ (Machao)


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第十八話 反転:見たものを記録できる準備だ。

見たものを記録できる準備だ。

 村瀬の二回目は、一週間後だった。

 今度は顔色が普通だった。早く来なかった。定刻に来た。

 ヘルメットを自分で取った。手順を確認しなかった。体が覚えていた。


 夏生はそれを見た。

 二回目には気にならなかった、と自分が言った言葉を思い出した。


---


 二回目の五十分、村瀬は一度も手を動かさなかった。

 心拍は初回より低かった。脳波の変容は十二分で起きた。初回より早かった。


 夏生は記録した。

 数字を見ながら、巣の中の村瀬を想像した。

 どこにいるか、何をしているか、わかった。

 体が知っていたから。


 想像しながら、少し匂いがした。

 二だった。

 記録した。


---


 三回目から、村瀬は帰り際に報告するようになった。

 短かった。


「今日は幼虫室まで行きました」

「どうだった」

「保育係が舐めてました。ずっと」

「そうだ」

「止まらないんですね」

「止まらない」

 村瀬は少し考えた。

「悲しいとは思いませんでした」

 夏生は村瀬を見た。

「思わなかったか」

「ただ、そういうものだと思いました」

 夏生は何も言わなかった。

 第一回のノートを思い出した。《悲しみの有無、不明。》

 村瀬は三回目で、そこに自分なりの答えを出していた。


---


 四回目の後、村瀬が言った。

「先生、解体室って、どこですか」

「幼虫室を抜けて、左の分岐を進んだ先だ」

「まだ行ったことがないです」

「行かなくていい」

 村瀬は少し間を置いた。

「行かなくていい、というのは」

「データとしては既にある。お前が行く必要はない」

「先生は行きましたか」

「そうだ」

「行って、どうでしたか」

 夏生は少し考えた。

「わからなかった。今もわからない」

 村瀬は何も言わなかった。

「行くなとは言わない」と夏生は言った。「ただ、準備してから行け」

「準備って」

「心の準備、ではない」と夏生は言った。「見たものを記録できる準備だ」


---


 五回目の後だった。

 村瀬がモニターの前の夏生を見て、言った。

「先生、最近どうですか」

「どうとは」

「匂いとか」

 夏生は少し笑った。

 自分が何度も村瀬に同じことを聞いたことを思い出した。

「一か、ゼロだ」

「ゼロになることもあるんですか」

「最近はある」

 村瀬はうなずいた。何かを考えている顔だった。

「村瀬、今は何段階だ」

 村瀬は少し間を置いた。

「五です」

 夏生は何も言わなかった。

 自分の五回目のことを考えた。

 女王室に入った回だった。

 そして第七回の波形のことを考えた。

 村瀬の初回の波形と、ほぼ同じだった波形を。

 村瀬はまだ、それを知らなかった。

 夏生はまだ、話していなかった。


---


 その夜、ノートを開いた。

 村瀬の記録を書いた。五回分のデータを並べた。心拍の推移、脳波変容のタイミング、匂いの段階。

 数字を見た。

 自分の記録と、よく似ていた。

 少しずれていた。

 どこがずれているのか、なぜずれているのか、まだわからなかった。


 次の行に書いた。

 《村瀬の匂い、五回目で五。私の五回目は何段階だったか。》

 記録を探した。

 五回目の記録はなかった。

 一人で入った回だった。村瀬が知らない回だった。バイタルがなかった。


 ペンを置いた。

 村瀬には話していないことが、まだあった。

 夢の中の回。一人で入った回。女王と目が合った時間。

 そして、初回の波形のこと。

村瀬が回数を重ねるにつれ、数字が夏生の軌跡に近づいていく。外から見る夏生は、かつての自分を村瀬の中に見る。村瀬の匂いが五になった夜、夏生はノートに書いた。まだ話していないことが、あった。

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