第十七話 初回:止まりたくなかったです。
止まりたくなかったです。
村瀬の初回は、火曜日の朝だった。
村瀬は五分早く来た。いつもより少し顔色が悪かった。何も言わなかった。
夏生はモニターの前に座った。
村瀬がヘルメットを手に取った。
「重いですね」
「慣れる」
「先生はどのくらいで慣れましたか」
「二回目には気にならなかった」
村瀬はヘルメットを被った。電極を腕に巻いた。手順は正確だった。何度も確認していたのだと、夏生にはわかった。
「いつでもいいぞ」
村瀬は少し間を置いた。
「はい」
夏生はスイッチを入れた。
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モニターに数字が並んだ。
心拍、体温、皮膚電気反応、脳波。
夏生はその数字を見た。
最初の五分、心拍が高かった。百十前後。緊張だった。想定の範囲だった。
七分で落ち着いた。九十まで下がった。
体が動き始めた証拠だった。
夏生はモニターを見ながら、村瀬の顔を見た。
目が閉じていた。口が少し開いていた。
自分がそうだったと、夏生は思った。
こう見えていたのか、と思った。
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十五分で、脳波が変わった。
夏生は記録した。時刻と数値。
村瀬が第七話で書いたのと同じことを、今、夏生がしていた。
十八分で皮膚電気が上がった。
外に出たのか、と夏生は思った。光がうるさい。影から影へ動く。種子を拾う。その重さを体が知る。
夏生の体は椅子に座っていた。
それでも、少し、匂いがした。
一だった。十段階で。
記録した。
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三十分が過ぎた。
村瀬の手が動いた。
肘掛けを、指先が叩いた。
規則的なリズムだった。
夏生はその手を見た。
自分の手が、かつてそうだったことを思い出した。
村瀬は気づいていないはずだった。
叩くのを、止めようかと思った。
止めなかった。
記録した。《三十分、手指運動。触角様リズム。》
村瀬のノートに書いたのと同じ言葉だった。
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四十分で、夏生は切ることを考えた。
数字は安定していた。
切る理由はなかった。
切らなかった。
村瀬の顔を見た。
表情がなかった。
人が眠るときの、その人の輪郭が残る顔ではなかった。
夏生は手をキーボードに乗せた。
村瀬なら、ここで切った。
自分が切るべきかどうか、考えた。
村瀬の心拍は安定していた。
体温は平常だった。
脳波は、夏生が経験した波形と似ていた。
切らなかった。
もう少し、と思った。
もう少し、という判断が正しいかどうか、わからなかった。
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五十分で、切った。
村瀬が戻ってきた。
目を開けた。天井を見た。ゆっくりと息を吐いた。
夏生はそれを見た。
自分が戻るときの動作だった。
同じだった。
「村瀬」
「はい」
「手が動いてたぞ」
村瀬は自分の手を見た。
「気づきませんでした」
「そうだろう」
村瀬は少し間を置いた。
「先生、今、匂いしましたか」
夏生は少し驚いた。
「少し」
「どのくらい」
「一だ」
村瀬は何も言わなかった。
「どうだった」と夏生は聞いた。
村瀬はしばらく考えた。
「うまく言えません」
「言えなくていい」
「ただ」村瀬は天井を見たまま言った。「止まりたくなかったです」
夏生は何も言わなかった。
知っていた。
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村瀬が帰った後、ノートを開いた。
今日の日付。
《村瀬、初回。五十分。手指運動確認、三十分経過後。離脱後、止まりたくなかったと発言。》
次の行。
《私が外にいた。》
その六文字を見た。
外にいた。
モニターの前にいた。数字を見ていた。村瀬の顔を見ていた。
それが外だった。
匂いは一だった。
村瀬が入っているとき、一になった。
関係があるのかどうか、わからなかった。
記録した。
ハルが来た。
膝に乗った。
夏生はハルを見た。
「お前も見ていたか」
ハルは答えなかった。
ただ、夏生を見た。
いつもの目だった。
何話ぶりかで、いつもの目だった。
画面を閉じる前に、村瀬の脳波データをもう一度開いた。
五十分の波形を見た。
見ながら、何かが引っかかった。
保存済みのファイルを開いた。自分の第七回のデータだった。
並べた。
同じだった。
波形の形が、ほぼ同じだった。
タイミングも、深さも。
夏生はしばらく、二つの波形を見た。
何も書かなかった。
閉じた。
村瀬が初めて装置に入り、夏生は初めて外から見る。モニターの数字を追いながら、かつての自分を見る。五十分後、村瀬が言った言葉を、夏生は知っていた。夜、二つの波形を並べた。同じだった。何も書かなかった。




