第十六話 交代:私は外に出る。
私は外に出る。
翌日、村瀬が来た。
書面を持っていた。委員会からの正式通知だった。夏生より先に受け取っていた。
テーブルに置いた。
夏生は読んだ。
村瀬は読むのを待った。
三枚だった。条件が七項目あった。最後の項目に、一行だけ書いてあった。
「被験者は研究代表者以外の成人とする」
夏生は書面を置いた。
「つまり」
「先生は、もう入れません」と村瀬は言った。
夏生は何も言わなかった。
わかっていた。
わかっていたが、村瀬の口から聞くと、違った。
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「代わりに入る人間が必要だ」と夏生は言った。
「はい」
「心当たりはあるか」
村瀬は少し間を置いた。
「私が入ります」
夏生は村瀬を見た。
「ダメだ」
「なぜですか」
「お前は外にいないといけない。記録する人間が必要だ」
「先生が記録します」
夏生はそれを聞いて、少し黙った。
「逆転する」
「はい」
「それでいいのか」
「研究を続けるためなら」と村瀬は言った。「はい」
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しばらく、二人とも黙っていた。
ハルが村瀬の足元に来た。今回は村瀬が気づいた。少し見た。また夏生を見た。
「村瀬」
「何ですか」
「怖くないか」
村瀬は少し考えた。
「怖いです」
「それでも入るか」
「先生だって怖かったはずです。それでも入りました」
夏生は村瀬を見た。
「私は怖かったのか」
「最初から怖かったと思います。でも入った」
夏生は何も言えなかった。
そうだったかもしれなかった。
怖かったかどうか、最初のことをもう正確には思い出せなかった。
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その週の終わりに、村瀬の事前訓練を始めた。
装置には入らない。感覚の説明だけ。
「匂いが先に来る」と夏生は言った。「体が動く前に、匂いで場所がわかる」
「匂いで」
「言語では説明できない匂いだ。ただ、体が知っている」
村瀬はノートを取っていた。
「次に体が動く。自分の意志かどうか、最初はわからない」
「わからないまま動くんですか」
「そうだ。慌てない方がいい。慌てると判断が遅れる」
「先生は慌てましたか」
夏生は少し考えた。
「第三回に慌てた」
「解体室のとき」
「そうだ」
村瀬は書いた。
「慌てなければ、どうなってましたか」
「わからない」と夏生は言った。「慌てたから逃げた。慌てなければ、別のことが起きたかもしれない」
村瀬は書いた。書いてから、ペンを止めた。
「別のこと」
「わからない」
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訓練の後、村瀬が帰り際に言った。
「先生、一つ聞いてもいいですか」
「何」
「入れなくなって、よかったですか。それとも」
夏生は少し考えた。
「まだわからない」
「今も匂いはしますか」
「二だ」
「二」
「十段階で。最初は八か九だった」
村瀬はうなずいた。
「だいぶ戻りましたね」
「そうだ」
「よかったです」
夏生は村瀬を見た。
「お前が入ってから言え」
村瀬は少し笑った。
笑ったのを、夏生は見た。
久しぶりに、誰かが笑うのを見た気がした。
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夜、ノートを開いた。
今日の日付。
《村瀬、被験者として参加意志確認。訓練開始。》
次の行。
《私は外に出る。》
その四文字を見た。
外に出る。
巣の外ではなかった。
被験者の外、だった。
観察する側に戻る。
それが元の場所なのかどうか、夏生にはまだわからなかった。
ただ、書けた。
書けたことは、何かを意味している気がした。
何かは、まだわからなかった。
ハルが来た。
膝に乗った。
重さがあった。
夏生はノートを閉じた。
ハルの背中に手を置いた。
匂いがした。
土の匂いではなかった。
ハルの匂いだった。
久しぶりに、わかった。
委員会の条件が下りた。夏生はもう巣に入れない。代わりに村瀬が被験者となり、二人の立場が逆転する。訓練の夜、ハルの匂いが戻ってきた。土の匂いではなく、ハルの匂いとして。




