第十三話 記録:記録できなくなったとき、誰かが記録していないといけない。
記録できなくなったとき、誰かが記録していないといけない。
翌朝、村瀬が来た。
アポなしだった。顔が違った。
「先生、昨日のログ見ました」
夏生は何も言わなかった。
「三時間です」
「そうだ」
「一人で入ったんですか」
「そうだ」
村瀬はしばらく黙った。
「戦闘のデータが出てます」
「そうだ」
「心拍が百四十を超えてました。三十分以上」
「知らなかった」
「知らなかった」と村瀬は繰り返した。声が低かった。「モニターがなかったから、ですか」
「そうだ」
「先生、私に何か言うことはないですか」
夏生は村瀬を見た。
村瀬は目を逸らさなかった。
「ない」と夏生は言った。「言うべきことはあるが、言葉が出ない」
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村瀬が椅子を引いた。座った。
立ったまま話す気がないことが、夏生にわかった。
「先生、聞かせてください」
「何を」
「なぜ続けるんですか」
夏生は少し考えた。
「わからない」
「わからない」
「本当にわからない。やめる理由は十分ある。続ける理由が言語化できない」
「言語化できない、というのは」
「匂いがある。目を閉じると通路が見える。体が覚えている」村瀬を見た。「それが理由になるかどうかは、わからない。だがやめられない」
村瀬は何も言わなかった。
「中毒だと思うか」と夏生は聞いた。
「思います」と村瀬は言った。間を置かなかった。
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しばらく、二人とも黙っていた。
ハルが村瀬の足元に来た。村瀬は見なかった。
「先生」
「何」
「委員会に報告します」
夏生は何も言わなかった。
「三時間のログを出します。戦闘データも出します。一人で入ったことも」
「わかった」
「止めてもらうためじゃないです」
夏生は少し驚いた。顔には出さなかった。
「じゃあ何のためだ」
「記録するためです」村瀬は真っ直ぐ夏生を見た。「先生が記録できなくなったとき、誰かが記録していないといけない」
夏生は何も言えなかった。
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村瀬が帰った。
ドアが閉まった。
夏生はしばらく、そのドアを見ていた。
記録できなくなったとき。
村瀬はそう言った。
なるとき、ではなかった。
なったとき、だった。
夏生はノートを開いた。
昨日のページ。
《見なかったのは、見る必要がなかったからだ。》
その下に、今日の日付を書いた。
《村瀬、ログを委員会へ提出予定。記録継続の意志あり。》
次の行。
《村瀬は私が戻れなくなると思っている。》
次の行を書きかけた。
止まった。
長い時間、止まった。
書いた。
《私もそう思っている。》
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夜、装置を見た。
触れなかった。
触れないことが、今日は難しかった。
土の匂いがした。
強かった。
昨日よりは弱かった。
ハルが来た。
夏生の膝には乗らなかった。
隣に座った。
体を寄せなかった。ただ、隣にいた。
夏生はハルを見た。
ハルは前を見ていた。
何を見ているのか、わからなかった。
夏生には見えないものを、見ていた。
「お前には匂いがわかるか」と夏生は言った。
ハルは動かなかった。
「土の匂いがする。今もする」
ハルの耳が少し動いた。
「お前に届いているか」
返事はなかった。
ハルは前を見ていた。
夏生はハルの見ている方向を見た。
壁だった。
何もなかった。
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翌朝、委員会から連絡が来た。
面談の要請だった。
夏生は承諾した。
村瀬にも連絡した。
「委員会から面談の要請が来た」
返信が来た。
「知ってます。私も呼ばれました」
「一緒に行くか」
少し間があった。
「はい」
夏生はノートを開いた。
今日の日付を書いた。
その下に何か書こうとした。
書けなかった。
代わりに、一番最初のページを開いた。
第一回の記録。
《負傷個体、放棄確認。巣内選別機能、匂い誘導による。悲しみの有無、不明。》
最後の三文字を見た。
不明。
まだ不明だった。
ずっと不明だった。
それだけは変わっていなかった。
村瀬は「なるとき」ではなく「なったとき」と言った。
夏生はノートに書いた。《私もそう思っている。》
第一回の記録を開いた。《悲しみの有無、不明。》
それだけは、変わっていなかった。




