第十二話 選択:誰の記録かわからなかった。
誰の記録かわからなかった。
村瀬には言わなかった。
委員会の条件は週一回だった。前回から八日経っていた。条件の範囲内だった。
それでも言わなかった。
朝、ハルに餌をやった。
ハルは食べた。それだけだった。
夏生は装置の準備をした。手が覚えていた。
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土の中に入った瞬間、体が動いた。
今回は迷わなかった。
列に混じらなかった。
最初から、奥へ向かった。
兵アリの分岐を通った。一秒。通った。
幼虫室の前を通った。入らなかった。
解体室の前を通った。今日は音がした。中を見なかった。
死体保管室の前を通った。立ち止まらなかった。
女王室の手前まで来た。
入った。
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女王がいた。
前回と同じだった。腹部が膨らんでいた。脚が床に届いていなかった。周囲の個体が支えていた。卵が出た。受け取られた。また出た。
同じだった。
何も変わっていなかった。
夏生は女王の前に立った。
触角が来た。女王の触角が、ゆっくり伸びた。夏生の体を読んだ。
長かった。
一秒ではなかった。十秒か、二十秒か。
女王の複眼が光を反射していた。
見ていた。
夏生を、見ていた。
夏生も見た。
何かを伝えようとしているのか、ただ読んでいるのか、わからなかった。
わからないまま、見た。
周囲の個体が動き続けた。卵が出続けた。部屋が動き続けた。
女王と夏生だけが、止まっていた。
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どのくらい経ったか、わからなかった。
匂いが変わった。
周囲の個体の動きが変わった。速くなった。密度が上がった。
女王の触角が引いた。
何かが来る、と体が知った。
夏生は動いた。通路へ出た。
別の巣の匂いだった。
外から来ていた。侵入者だった。
通路が変わった。働きアリが消えた。兵アリが増えた。走っていた。外へ向かっていた。
夏生の体も走った。列に混じった。外へ向かった。
地上に出た。
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光がうるさかった。
芝生の上に、別の群れがいた。
大きかった。数が多かった。
夏生の体は止まらなかった。
走った。向かった。
顎が動いた。
戦っていた。
相手の体を掴んだ。顎で押さえた。相手も動いた。脚が絡んだ。体が転がった。
痛みはなかった。
痛みに相当する信号はあった。それでも体は動いた。止まらなかった。
隣の個体が動かなくなった。
夏生は見なかった。
別の相手が来た。向かった。
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装置が切れた。
夏生は椅子の上にいた。
息が速かった。手が震えていた。
モニターがなかった。
村瀬がいなかった。
記録だけが走っていた。
窓の外が明るかった。
昼だった。
入ったのは朝だった。
三時間経っていた。
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手を見た。
震えていた。右手も左手も。
指を動かした。動いた。自分の指だった。
ノートを取った。
書けなかった。手が震えていた。
震えが止まるまで待った。
五分後、書いた。
《第九回。三時間。戦闘に参加。》
次の行。
《隣の個体が死んだ。見なかった。》
次の行。
《見なかったのは、見る必要がなかったからだ。》
ペンを置いた。
最後の一行を見た。
研究者の記録ではなかった。
夏生の記録でもなかった。
誰の記録かわからなかった。
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ハルが来た。
膝には乗らなかった。
夏生の手の匂いを嗅いだ。
右手を嗅いで、左手を嗅いで、離れた。
部屋の隅に行った。
夏生を見た。
動かなかった。
夏生はハルを見た。
ハルは夏生を見ていた。
いつもと違う目だった。
何が違うのか、説明できなかった。
村瀬に連絡しなかった。
医師にも連絡しなかった。
ノートを閉じた。
土の匂いがした。
強かった。
今まで一番強かった。
三時間。戦闘。隣の個体が死んだ。見なかった。
見なかったのは、見る必要がなかったからだ。
ハルは膝に乗らなかった。部屋の隅から、夏生を見ていた。




