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制定の儀(1)

「はあ……」


 惜しみも無く金銀の刺繍がふんだんに施された黒に近い濃藍の上質な長衣(ローブ)は、誰がどう見ても、“王立魔導学院”に所属する魔導師ウィザードにしか着用を認められていないものだ。

 様々な紆余曲折を経たといっても、結果としては念願の“王立魔導学院”に入学する事が出来たフィリアスだったが、長衣(ローブ)を身に纏うその表情は全くと言って良い程に冴えないものであった。

 今もまた、ヒソヒソと小さく囁かれる言葉に自分の名前を漏れ聞いてしまったフィリアスは、深い溜息を零した。


 あの事件を経て、緊急の編入生として入学するに至ったまでは良かった。


 だが、元々“落ちこぼれ”として悪名高いフィリアスが何故学園に、それも長衣(ローブ)を来て椅子に座っているのか――そんな好奇の視線に一日中晒された挙句、聞こえよがしにある事ない事言われ続けては、流石に辟易とするものである。

 “制定”が終わるまでは、フィリアスが精霊の愛し子であり、呪文スペルを必要としない存在であるという事は伏せるように、とのお達しが学院長直々に出ている為、裏金を使って入学しただの、先生の一人を色仕掛けでだの、事情を知らない生徒達に散々言われてしまうのは致し方ないかもしれない。


 だからといって、四六時中好奇の視線に晒されて何も感じない程に鈍感ではないのだ。

 繊細で可憐な心を持つ乙女のフィリアスにとって、顔も知らない生徒達から「あれが…」と一方的に噂されるのは心中穏やかに過ごせるわけがない。


 入学したら同じ志を持つ魔導師ウィザードの友人を沢山…と密かに思っていた野望は、早々に諦めざるを得ない気がする。窓際の席に座るフィリアスには一定の距離をあけてクラスメイト達がこわごわと遠巻きに眺めており、まるで、珍獣を囲っているかのような図が頭に浮かび上がったフィリアスは再び深い溜息を吐き出した。の、だが。


「おねえさまーーー!!」

「うぐっ…!?…み、ミルリィ…?」

「ああ、おねえさまが同じ学校にいらっしゃるというのに、飛んで行けないのは苦痛でしかありませんでしたわ…! 今後は一緒に帰ったり、つまみ食いに立ち寄ったりお洋服買ったりできるんですね!なんて素敵なんでしょうかっ…!!さあ、そうと決まれば参りましょう…って、あら?」

「……ミルリィ…そろそろ本当に死ぬかも…」


 教室の扉がスッパーンと小気味良い音と共に開かれるや否や、一陣の風と化した小柄な影がフィリアスに激突する。

 おそらく抱擁の類なのだろうが、バランスを崩して机の角に頭をぶつけたフィリアスはそれどころではない。毎度こんな熱烈な抱擁を受けていたら、いい加減魂が抜けそうである。

 頭の痛みに悶絶する落ちこぼれのフィリアスをがっくんがっくんと盛大に揺らしながら、頬を染め、うっとりと何処かに視線を飛ばしている貴族令嬢の図は酷く無気味なものに映ったに違いない。

 ただでさえ朝から腫れ物に触れるような扱いだったのに、今では完全に珍獣を見る目か、触らぬ神になんとやら状態である。泣きたい。


「…ミルフェリア君。 その猪突猛進振りは改めた方がいい」


 恐らくは一緒に顔を見せに来てくれていたのだろう、元気一杯の少女と違い、鮮やかな翠瞳を呆れたように細めて教室の入口から覗いているヴィーツェルアが佇んでいた。

 そうそう、好かれるのは嬉しいけど毎度後頭部が大惨事です。この歳でハゲはちょっと……と、曖昧な笑みを浮かべたフィリアスから慌ててミルフェリアが離れる。


「まあ、私ったら! あんまりおねえさまとお会いできたのが嬉しくて…」


 くそう!そんなにかわいい顔できゃるん、とされては許してしまうではないかっ!

 性別が男だったなら、絶対お嫁さんにして炊事洗濯やっちゃうのに…と妙に老獪した思考を巡らせたフィリアスだったが、先程から教室中が妙にざわめいている事に思い至ると可憐な少女から視線を持ち上げた。

 と、かち合うのは幾つもの視線だ。だが、どの視線もフィリアスと重なった途端さっと逸らされてしまい、後はひそひそと内輪での会話に盛り上がっている。

 何というか、ちょいと露骨すぎやしませんかね。流石にヴィーツェルアも柳眉を顰めているし、ミルフェリアに至っては可憐な顔に似合わず何やら真っ黒なオーラを漂わせていた。


「私のおねえさまに………」

「ミルリィ、大丈夫だから、ね?」


 小鳥が囀るような声が尻すぼみになって、ボソボソと呟かれる言葉に呪詛的なものを感じたのは気のせいだと思いたい。いくらすげない態度を取られたからといって、目の前でクラスメイトの安全を脅かす恐れのある存在を放っておくほど薄情ではないので、両手でミルフェリアの肩を押さえてやや強引に笑い掛けると、ようやく花のような笑顔を見る事が出来た。

 やれやれ一安心である。繊細な心を持った乙女の寝覚めが悪くなる事は勘弁して貰いたい。


 だが、知らない間に命を救われたとは思わないクラスメイト達は、益々距離を取るばかりである。

それは、落ち零れで裏口入門したと噂の一般人と、普通は高位魔導師ハイウィザード以上にならなければ与えられない二つ名――"風の詠み手"の名を持つヴィーツェルア。そして、彼の幼馴染であるミルフェリアもまた学園を代表する魔導師ウィザードの一人という何ともアンバランス過ぎる組み合わせともなれば、近付きたくないのは、わかる。


「フォーレルランス、喧しいぞ。 アイシェールもきちんと嫌な事は嫌と、断るくらいの気概を持て」


 …うむ。しかたない。

 友達百人作戦は中断するしかあるまい。

 ミルフェリア、ヴィーツェルアの次に現れたのは銀色の髪を持つ青年だ。しなやかな身体付きに、凛々しい面差しの中には隠しきれない高貴な雰囲気が漂っている。ジェラルディアス・フォン・ロートリゲン――ジェイは、王族の次に権力を持つという、古い公爵家の次期当主であらせられる御方だ。


 なぜこういった錚々(そうそう)たる面々に囲まれているのかと言えば、話は長くなってしまうのだが。

 紆余曲折を経たといっても、今はこうやって軽口を叩き合える仲になったのだから、良しとしよう。うむ、乙女は時に寛容な心を持つ事も重要なのだ。

 と、いっても、クラスメイト達には余計混乱を招いてしまっただけのようだが。


 しっかりとフィリアスの首にしがみ付いて離れないミルフェリアを他所に、ヴィーツェルアとジェラルディアスの男性組はそれぞれに苦笑を浮かべ、その様子を見ている。

 見るくらいならちょっとばかり手伝ってくれても良さそうなものだが、陶器人形(ビスクドール)のように美しく可憐な少女は存外に気質が激しい。飛び火したくないのは一目瞭然だ。

 いえね、決して嫌な訳ではないんだけれども、ちょっとそろそろ首というか酸素がががが


「…アイシェール、御前は“制定の儀”を受ける手筈だったな。 フォーレルランス、そろそろ放してやれ」

「……そうでしたわ、ごめんなさいお姉さま」


 神様だ!

 流石に、酸素が足りず顔を白茶けさせているフィリアスを憐れに思ったらしい。

 ジェイの助け舟は絶大な効果を(もたら)した。

 渋々ではあるが、小柄な少女がフィリアスから離れると、我知らず安堵の吐息が零れ落ちる…“制定の儀”が終わった後、存分に礼を言おう。うむ。


 “制定の儀”自体は別段大層なものではないという。

 既に経験済みの三人から聞いた話では、特殊な鉱石に自分の魔力マナを注ぐ…だけ、なのだという。

 儀式というくらいなのだから、何か大仰なことでもするのかと緊張していたフィリアスは思わず拍子抜けしたものだが、次に三人が其々見せたものに改めて表情を引き締める羽目になった。


 三人の左胸部分に輝く、大粒の宝珠で作られたブローチ。

 ヴィルは水草瑪瑙モスアゲート、ミルリィは翠玉エメラルド、そしてジェイは藍玉アクアマリンとそれぞれが違う色のブローチを身に着けている。これは、"王立魔導学院"の魔導師ウィザードが身に着ける、言わば身分証明書に近いものだ。

 無色透明だという特殊な鉱石に自分の魔力マナを注ぎ込むと、目には見えない魔力マナの色を宝石にして反映する…らしい。やった事が無いので憶測だが。

 絶対という訳では無いが、魔力マナの強い者は青や緑といった色の者が多い。その為、ブローチの宝珠がそういった色であるだけで、同じ学院の生徒達からは賞賛の眼差しをもれなくプレゼントだ。

 逆に、学院に入学出来る最低ラインの魔力マナ持ちは、はっきりとした色のない、曖昧で曇った宝珠になるそうだ。ぱっと見で相手の魔力マナの程度を推し量れてしまうというのは、何というか居心地が悪い気もするのだが、このような制度があるのは大陸中を探しても"王立魔導学院"だけだというから、何とも複雑である。


「フィリアス君?」

「…あ、ご、ごめんね、何?」


 ヴィルの怪訝そうな声に、フィリアスはハッと我に返った。

 いかんいかん、考え込んでしまうと周囲を無視してしまう癖を何とかせねば!いつの間にか地面へ落としていた視線を慌てて持ち上げ、にっこりとした笑顔を向けて見せると、やや呆れたような面差しのジェイが教室の壁を指差した。


「そろそろ時間だろう。 “制定の儀”に遅刻するなぞ、歴史に名を残すぞ…嗚呼、勿論悪い意味で、だがな」


 うひいいい、と凡そ可愛らしくない悲鳴を漏らして、フィリアスは硬直した。

 壁に掛けられた時計の長針は、今日の朝に担任の上位魔導師ハイウィザードから告げられた時間まであと数分も無い。うだうだと話している暇があったのなら、もうちょっと早く教えてくれても良いではないですか!と胸中で喚いてみせるが、勿論声に出すような勇気はない。


「いっ、い、いっ、いってきますうううう!」


 フィリアスの動揺に反応したのか、教室内をふよふよと漂っていた小さな妖精(フェアリー)の姿をした風の精霊が傍に集まってきては“送っていこうか”と実に優しい言葉を掛けてくれる。本音をいうと、今すぐにでもお願いしたいのだが、フィリアスの“体質”を知らない魔導師ウィザード達の前で精霊達の“声”に頷く事は、できない。今は、まだ。

 その代わりといっては何だが、まだ着慣れないローブの裾を盛大になびかせながらフィリアスは教室から廊下をそれはもう素晴らしい全速力で走り始めた。


 理由は様々とて、精霊の愛し子であるフィリアスの元に集った三人は、それぞれの表情ながらも淡い笑みを湛えて見送っていた。


「さて、“制定の儀”の後が楽しみだね」

「あの馬鹿娘の事だ、俺は何の石だとしても驚かんな」

「あのお姉さまですもの! きっと、とってもお美しい石ですわ…うふふ」


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