24. 「今日くらいは」
戴冠の儀に続き、大聖堂ではそのまま結婚の儀が執り行われる。
大司教が厳かな声で祈りの言葉を紡ぐ中、私たちは神の御前で向かい合い、静かに手を取り合う。
堂内を満たす荘厳な静寂の中、これから交わす誓いの重みを、私は全身で感じ取っていた。
「健やかなるときも、病めるときも」
大司教の言葉に続き、彼が私の目を見つめながら、静かに誓いの言葉を紡ぎ始める。
「富めるときも、貧しきときも、エミアを、生涯にわたり愛し、守り、慈しむことを誓う」
その言葉の一つひとつに、確かな重みと真摯な想いが込められている。
感情を表に出すことの少ない彼が、これほどまでに自分の気持ちを言葉にしてくれることに、胸が熱くなるのを感じずにはいられない。
続いて、私も震える声で誓いの言葉を紡いだ。
「私エミアも、あなたを生涯にわたり愛し、支え、共に歩むことを誓います」
言葉を紡ぎ終えた瞬間、堂内に満ちる空気が、いっそう厳かに、そして温かく感じられる。
大司教が静かに祝福の祈りを唱え終えると、彼はゆっくりと私の顔を覗き込んだ。
その眼差しには、これまで見たどんな瞬間よりも深い愛情が宿っている。
「エミア」
囁くように名を呼ばれ、私は静かに瞼を閉じた。
次の瞬間、唇に温かな感触が重なる。
これまでのどんなキスよりも、深く、そして確かな想いが込められたその口づけに、堂内からは大きなため息と、それに続く割れんばかりの拍手が沸き起こった。
純白のドレスに身を包んだ私の銀髪が、ステンドグラスから差し込む光を受けて美しく輝く。
その光景を見つめる参列者たちの顔には、皆一様に感動の色が浮かんでいた。
唇が離れた後も、彼は私の頬にそっと手を添えたまま、しばらくの間、優しい眼差しで見つめ続けている。
「愛している」
低く囁かれたその言葉に、私は幸福に満ちた笑みで応えた。
「私も、愛しています」
互いの想いを確かめ合うように見つめ合う二人の姿に、大聖堂全体が温かな祝福の空気に包まれていく。
かつて絶望の淵に立たされていた自分が、今こうして、これほど深い愛に包まれている。
その事実に胸がいっぱいになりながら、この幸せな瞬間を、しっかりと心に刻みつけていた。
☆
結婚の儀を終え、祝福に包まれる中、一人の側近が静かに祭壇の脇へと歩み寄ってきた。
その表情には、どこか緊張した色が浮かんでいる。
彼が小さく頷くと、側近は声を潜め、耳打ちするように報告を始めた。
「陛下、火急のご報告がございます。ゼントロール王国についてでございます」
その言葉に、私はわずかに肩を強張らせる。
彼は静かに報告を聞き終えると、私の方へと視線を向けた。
「聞いておくか」
「はい」
私が頷くと、側近は改めて口を開く。
「ゼントロール王国は、疫病の蔓延に加え、貴族間の権力争いによる内乱が勃発し、完全に崩壊いたしました。王族としての地位を失われたライオネル様とアリア様は、現在は市井にて、貧しい暮らしを送られているとのことです」
その知らせを、私は静かな心で聞いていた。
かつて栄華を誇った王国が完全に崩れ去り、自分を傷つけた二人が、今は市井で貧しい生活を送っている。
その事実に対して、私の胸に湧き上がったのは、勝ち誇るような喜びでも、憐れみでもない。
隣に立つ彼が、冷ややかな声で呟いた。
「自業自得だ」
その一言には、一切の同情も含まれていない。
かつて聖女を軽んじ、切り捨てた報いを、今こうして受けているに過ぎない。
彼の言葉には、そうした揺るぎない確信が滲んでいた。
私は静かに微笑む。
「もう、過去です」
その一言には、憎しみでも、未練でもない、確かな清算の意志が込められている。
かつての婚約者と、彼が選んだ女性の運命は、もう自分の人生とは何の関わりもない、遠い過去の出来事に過ぎないのだから。
彼はそんな私の様子を見て、静かに目を細めた。
その眼差しには、私の変化を見守るような、確かな優しさが滲んでいる。
「もう、縛られていないな」
その言葉に、私は小さく頷いた。
追放され、絶望の淵に立たされていたあの日から、私は確かに、新しい自分として生まれ変わっていたのだ。
祝福に包まれる大聖堂の中、もう振り返ることなく、隣に立つ彼の手をしっかりと握りしめる。
これから始まる新しい人生への確かな希望だけが、胸いっぱいに広がっていった。
☆
盛大な祝宴を終え、夜も更けた頃、私たちはようやく二人きりの静かな時間を迎えていた。
皇后の寝室に足を踏み入れると、暖炉の炎が柔らかな光を放ち、部屋全体を温かく包み込んでいる。
長い一日の疲れを感じながらも、胸の内には満ち足りた幸福感だけが広がっていた。
彼は静かに歩み寄ると、私を横抱きに抱き上げる。
「あの……自分で歩けます」
慌てて言う私に、彼はわずかに口元を緩めた。
「今日くらいは、いいだろう」
その言葉に甘えるように、私は彼の首にそっと腕を回す。
ゆっくりとした足取りで寝台へと運ばれながら、彼の胸に頬を預け、規則正しい鼓動の音に耳を澄ませていた。
柔らかな寝具の上にそっと下ろされると、彼は隣に腰を下ろし、私の額に優しく口づけを落とす。
「これからは」
低く、けれど確かな温かみを持つ声が、静かな部屋に響いた。
「一生、俺が君を愛し、守り、幸せにする」
その言葉には、これまでの誓いのすべてを凝縮したような、深い想いが込められている。
彼は頬に手を当て確かめるように包み込み、まっすぐに瞳を見つめながら続けた。
「俺の聖女……いや」
わずかに言葉を切り、より確かな響きでその先を紡ぐ。
「俺の、すべてだ」
目の奥が熱を持ち、視界がわずかに歪んだ。
追放され、絶望の淵に立たされていたあの日から、ここまでの長い道のりが、鮮やかに脳裏を巡っていった。
すべての苦しみが、今この瞬間のためにあったのだと、そう思えるほどの幸福感が胸を満たしていく。
「私も」
涙を浮かべながら、私は精一杯の想いを込めて答えた。
「あなたを、愛しています」
その言葉を聞いた彼は、これまで見たどんな瞬間よりも柔らかく、幸せそうな笑みを浮かべた。
感情を表に出すことの少なかった氷の皇帝の、誰にも見せたことのないだろうその表情を、独り占めできることの喜びを、私は静かに噛みしめている。
彼は私をそっと抱き寄せ、二人の体はゆっくりと重なり合っていく。
暖炉の炎が揺れる音だけが、静かな寝室に響いていた。
かつて婚約を破棄され、聖女の位を剥奪され、すべてを失ったと思っていたあの日。
それでも今、私たちはこれ以上ないほどの愛と幸福に包まれている。
窓の外に広がる帝都の夜は、これからも変わらず穏やかに更けていくのだろうか。
そしてこれから先も、この温もりに包まれた日々が、ずっと続いていくのだと――確かな予感と共に、私は静かに瞼を閉じていった。




