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守るために婚約者を手放した王太子は、彼女がもう戻らないことを後から知る  作者: あめとおと


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第6話:すれ違いの完成


 婚約解消は、驚くほどあっさりと受理されました。


 形式上の確認と、いくつかの書面手続き。


 それだけで。


 長年続いた関係は、まるで最初からなかったかのように、静かに終わりを迎えたのです。


(……こんなものですのね)


 書類に記された自分の名前を見つめながら、わたくしはぼんやりとそう思いました。


 あれほど大切にしていたものが。


 あれほど守ろうとしていたものが。


 たった数枚の紙で、消えてしまう。


 ――いいえ。


 消えたのではなく。


 “手放した”のですけれど。


 それでも。


 あまりにも、あっけない。


「……よろしいのでしょうか」


 手続きを担当していた官吏が、遠慮がちに問いかけてきました。


 おそらく、形式的な確認。


 あるいは、ほんのわずかな好奇心。


「ええ」


 わたくしは微笑みます。


「問題ございません」


 それで、すべてが終わる。


 誰も深く踏み込まない。


 踏み込む必要がないから。


 それが、この関係の“最後”でした。


 ――そのはず、でした。


 数日後。


 わたくしは再び王宮を訪れておりました。


 正式な挨拶と、最終確認のため。


 呼び出されたわけではなく、あくまでこちらからの申し出。


 礼を尽くすための、最後の訪問。


「……殿下」


 扉の向こう。


 彼は、そこにいました。


 以前と同じ場所。


 同じ机。


 同じ姿。


 けれど。


 決定的に違うのは――


 “わたくしが婚約者ではない”という事実。


「来たか」


 短い言葉。


 それ以上でも、それ以下でもない。


 あまりにも、あっさりとした反応。


(……そう)


 胸の奥が、わずかに冷える。


 けれど、もう驚きはありません。


 これは、当然の帰結。


「本日は、お時間をいただきありがとうございます」


 形式通りの挨拶。


 彼もまた、同じように応じる。


「ああ」


 それだけ。


 会話は続かない。


 続ける理由が、ない。


 沈黙が落ちる。


 けれど、それはもう苦しいものではなく。


 ただの“空白”。


「……書類は確認した」


 彼が、先に口を開く。


「問題はない」


「ありがとうございます」


 それで終わり。


 本当に、それだけ。


 これが最後の会話になるのだと、理解できてしまうほどに。


 だから。


 わたくしは、ほんの少しだけ。


 余計なことを口にしました。


「殿下」


 呼びかける。


 彼が顔を上げる。


 視線が合う。


 ――ほんの一瞬だけ。


「これからも、どうかご自愛くださいませ」


 それは、婚約者としてではなく。


 ただの一貴族としての言葉。


 距離を保った、正しい言葉。


 けれど。


 彼の表情が、わずかに揺れた。


「……ああ」


 短く、返される。


 それだけ。


 それ以上は、何もない。


 何も――戻らない。


(……ええ)


 分かっております。


 これでいいのだと。


 これが、最も穏やかな終わり方なのだと。


 だから。


「では、失礼いたします」


 最後に一礼し、背を向ける。


 歩き出す。


 扉へと向かう。


 その途中で。


 ――ほんの一瞬だけ。


 足を止めたくなる衝動が、胸をかすめました。


 振り返ってしまえば。


 何かが変わるのではないかと。


 そんな、あり得ない期待が。


 けれど。


(……いいえ)


 静かに、打ち消す。


 それは、してはいけないこと。


 彼の選択を、否定することになるから。


 わたくし自身の決断を、覆すことになるから。


 だから。


 そのまま、歩き続ける。


 扉に手をかける。


 開く。


 外の空気が、流れ込む。


 そして――


「……待て」


 背後から、声がかかりました。


 低く、抑えた声。


 思わず、足が止まる。


 けれど。


 振り返る前に、理解してしまう。


(……ああ)


 これは。


 引き止めではない。


 ただの――


「……忘れ物だ」


 机の上に置かれた、小さな箱。


 わたくしの持ち物。


 以前、置いていったままのもの。


 それを指し示す声。


「お持ちください」


 その言葉に。


 胸の奥で、何かが静かに崩れました。


「……ありがとうございます」


 振り返らずに、答える。


 足音を立てずに戻り、箱を手に取る。


 それだけの動作。


 それだけのやり取り。


 それで、すべてが確定した。


 ――ああ。


 そうなのですね。


 この方は。


 最後まで。


 “正しいまま”でいらっしゃる。


 だからこそ。


(……わたくしは)


 静かに、理解する。


 彼は、わたくしを守った。


 最後まで。


 完璧に。


 だから。


 わたくしは、守られたまま――


 置いていかれたのです。


 もう、戻ることはない。


 最初から、そう決まっていたかのように。


 ――両想いだったはずの関係は。


 どちらも間違えなかったまま、終わりを迎えました。


 それが。


 何よりも、救いがないことだとも知らずに。






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