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守るために婚約者を手放した王太子は、彼女がもう戻らないことを後から知る  作者: あめとおと


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第5話:令嬢の選択



 その噂は、静かに、けれど確実に広がっていきました。


 聖女と王太子。


 奇跡と王権。


 民が求め、教会が推し、貴族が歓迎する組み合わせ。


 それがどれほど“都合のよい物語”であるかなど、考えるまでもありません。


「やはり、婚約は見直されるべきではなくて?」


「公爵令嬢様には申し訳ないけれど……」


 そんな言葉が、遠慮なく交わされるようになるまでに、そう時間はかかりませんでした。


 以前であれば。


 わたくしの耳に入る前に、誰かが止めていたでしょう。


 あるいは、彼が。


 けれど今は違う。


 誰も止めない。


 止める理由が、ないから。


(……当然ですわね)


 わたくしは静かに紅茶を口に運びながら、内心でそう呟きました。


 誰も悪意を持っているわけではない。


 ただ、“より良いもの”を選ぼうとしているだけ。


 それが、たまたま。


 わたくしではなかっただけのこと。


 それだけの、こと。


 ――ええ。


 本当に、それだけ。


 その日の午後。


 わたくしは一通の書状を受け取りました。


 差出人は、王宮。


 内容は簡潔。


 王太子殿下との面会の要請。


(……ようやく、ですのね)


 遅い、とも思いませんでした。


 むしろ、これが適切なタイミングなのでしょう。


 すべてが“整った”後で。


 余計な感情を挟む余地がなくなったところで。


 わたくしは静かに立ち上がり、鏡の前へと向かいました。


 映るのは、いつも通りの公爵令嬢。


 乱れのない髪。


 整った表情。


 ――そして。


 何も知らない顔。


「……よろしいですわ」


 小さく呟いて、踵を返す。


 これでいい。


 これで、すべてが“綺麗に終わる”。


 王宮の一室。


 扉を開けると、そこには彼がいました。


 ――王太子殿下。


 以前と変わらぬ姿。


 けれど、その空気はやはり違う。


「……来たか」


「お呼びとあらば」


 形式的なやり取り。


 それだけで、十分に理解できてしまう。


 ああ、これはもう。


 “あの時間”には戻らないのだと。


「座ってくれ」


「ありがとうございます」


 向かい合う。


 距離は、適切。


 近すぎず、遠すぎず。


 ――まるで、他人のように。


 沈黙が落ちる。


 けれど、今回は長くは続かなかった。


「……単刀直入に言う」


 彼が口を開く。


 低く、抑えた声。


「現状は、お前も理解していると思う」


「ええ」


 頷く。


 説明など、必要ない。


「聖女の存在は、無視できない」


「存じております」


「そして、周囲の目も」


「ええ」


 すべて、正しい。


 すべて、分かっている。


 だからこそ。


 彼が次に何を言うのかも――分かってしまう。


 ほんのわずかに。


 彼の指が動く。


 言葉を選んでいるのか。


 あるいは、飲み込もうとしているのか。


 けれど、最終的に。


「……婚約について、再考する必要がある」


 その言葉は、はっきりと告げられました。


 静かで。


 揺るぎなくて。


 ――優しい。


 だから。


 わたくしは、微笑みました。


「その必要は、ございません」


 彼の目が、わずかに見開かれる。


 想定外だったのでしょう。


 けれど。


 これは、当然の結論です。


「わたくしから申し上げます」


 静かに、しかしはっきりと。


「婚約の解消を、お願いいたします」


 空気が、止まる。


 彼の表情が、初めて崩れました。


「……何を」


「殿下のご負担を、これ以上増やすわけには参りません」


 淡々と、続ける。


「聖女様の件、そして国の情勢。すべてを考慮すれば、わたくしの存在は――障害でしかありません」


「違う」


 即座に、否定の言葉。


 強く。


 思わず、といったように。


 けれど。


「いいえ」


 わたくしは、首を横に振りました。


「違いません」


 静かに。


 優しく。


 逃げ道を塞ぐように。


「殿下は、正しいご判断をなさっております」


 だから。


「その結果を、わたくしが受け入れるだけのこと」


 それが、最も自然で。


 最も美しい終わり方。


 彼の唇が、わずかに動く。


 何かを言おうとして。


 けれど、言葉にならない。


 その様子を見て、確信する。


(……ああ)


 やはり、この方は。


 最後まで、優しいのですね。


 だからこそ。


 ここで終わらせるのは、“わたくしの役目”。


「手続きにつきましては、わたくしの方で整えます」


 穏やかに、告げる。


「殿下にご迷惑はおかけいたしません」


「……待て」


 低く、押し殺した声。


 けれど。


 それ以上は、続かない。


 引き止める理由が、ないから。


 引き止めてしまえば、すべてが崩れると分かっているから。


「ご安心くださいませ」


 わたくしは微笑みます。


 いつも通りに。


 何も変わらない顔で。


「最後まで、公爵令嬢としての責務は果たします」


 その言葉に、彼は何も返せなかった。


 返せるはずがなかった。


 これは、誰のせいでもなく。


 ただ。


 選んだ結果なのだから。


「……では」


 静かに立ち上がる。


 軽く一礼する。


 そして。


「これまで、ありがとうございました」


 その一言を残して、背を向ける。


 歩き出す。


 一歩。


 二歩。


 そのたびに、何かが遠ざかっていく。


 呼び止められることは、なかった。


 振り返ることも、なかった。


 ――それで、よかった。


(……ええ)


 これで、すべてが終わる。


 綺麗に。


 誰も傷つけることなく。


 何も壊さずに。


 ただ、少しだけ。


 “手放した”だけで。


 ――そう思っていたのです。


 このときまでは。






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