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七曜の花嫁 ~嫁いだ六人は、すべて幸せであつた~  作者: 御子柴 流歌
第二章 真実

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9/14

第九話 火の花嫁


 二。火の花嫁、しの。


 神、荒ぶりて社を焼く。しの、焼け死ぬ。


 この年より、花嫁は神に逆らふべからず。


 しのは幸せであつた。



    *



 朝が来て、わたしは自分が眠っていたことに気づいた。


 板の間に日が入っていた。戸の隙間からではない。板壁の節穴から、細い光が何本も差し込んでいる。


 起き上がって、わたしは奥を見た。


 柱があった。


 ただの柱だった。


 太くて、古くて、乾いている。昨夜あそこに濃い暗がりがあったことが、嘘のようだった。


 わたしは近づいて、手を触れた。


 温かかった。


 いる。


 昼は、こういう形をしているのだ。


「おはようございます」


 返事はなかった。


 わたしは、少し待って、それから戸を開けた。



    *



 外に出て、わたしは社を一周した。


 昨夜は暗くて見えなかったものが、たくさんあった。


 まず、地面だ。


 社の裏手に回ると、草の中に石が並んでいた。四角い石が、まばらに、けれど規則正しく。


 礎石だ。


 いまの社の礎石ではない。いまの社より、二回りほど外側にある。


 わたしは、そのひとつにしゃがんだ。


 石の面が、黒い。


 指でこすった。落ちなかった。染みついている。焼けた跡だった。


 前の社は、いまの社より大きかったのだ。


 わたしは立ち上がって、いまの社を見た。


 小さい。屋根が低い。柱の数も少ない。


 七十年前に、宮守の家が一軒で建てたものだ。村は一銭も出していない。


 出せるだけのものを出して、これだったのだ。


 わたしは、社の壁に手を当てた。


 板を張り合わせた継ぎ目に、指を入れる。奥のほうに、指の腹が何かに当たった。


 引っかいて、爪の先に木の粉がついた。


 粉が、黒かった。


 わたしは屈んで、床下を覗いた。


 暗くて、よく見えない。目を凝らすと、梁が渡っている。


 その梁の下側が、炭になっていた。


 焼けた木を、使っている。


 燃え残った梁を拾って、削って、新しい社の中に組み込んである。


 わたしは、しばらくそこにしゃがんでいた。


 金がなかったのだろう。一軒で建てるのだ。使えるものは使ったのだろう。


 それだけのことかもしれない。


 それだけのことかもしれないけれど。


 この社は、焼けた社の骨で建っている。



    *



 昼のあいだ、わたしは村を見下ろして過ごした。


 社の前は少し開けていて、そこに立つと七久里が見える。田があって、川があって、家があって、人が動いている。


 豆粒のようだった。


 あの中に母がいて、父がいて、姉がいる。


 昼の山は、静かだった。


 鳴らなかった。


 わたしは、そのことに気づいて、しばらく考えていた。


 山が鳴るのは、いつも夜だ。寝床に入ってから鳴る。村の者はみんなそう言う。


 夜にしか鳴らないものが、この世にどれだけあるだろう。


 わたしは、村のほうを見た。


 昼は、みんな働いている。


 夜は、みんな寝ている。



    *



 日が落ちて、わたしは社に戻った。


 柱のあたりの暗さが、濃くなっていた。


 わたしは板の間に座って、そちらを向いた。


「昨夜、伺いそびれたことがあります」


 返事はなかった。


「火の花嫁のことです」


 暗さが、止まった。


 昨夜と同じだった。動いていないものが、止まる。


「しのさま、という方です」


 長い間があった。


 それから、声がした。


「……しのは、七久里の者ではない」


 わたしは、息を吸った。


 吉造さんと、同じことを言った。


 過去帳にも人別にも名がない娘。よそから来た娘。


「どこから来られたんですか」


「知らぬ」


「ご本人は、言われませんでしたか」


「……買われてきた、と」


 わたしは、板に置いた手を握った。


「買った」


「そう言った」


 声が、少し変わった。


 平らな声だったものが、平らでなくなった。


「あれは、そう言った。うちは買われてきた、と」


 うち。


 わたしは、その一言を聞いた。


 この人は、いま、しのさまの言葉づかいで喋った。


 七十年、覚えている。



    *



 わたしは、膝を進めた。


「疫病は、その前の年に止んでいます」


 答えはなかった。


「花嫁は、疫病を鎮めるために送るものだと、村では言います。でも、しのさまが上がった年には、もう死人は出ていません」


 答えはなかった。


「なぜ、送られたんですか」


 長い、長い間があった。


 わたしは待った。


 この人の間は、迷っている間ではない。探している間だ。しまいこんだものを、暗いところから引き出してくる時間だ。


「……あれは、村が焼いたと言った」


 わたしは、動けなくなった。


「村が、何を」


「家を」


 声が、また平らになった。


「病んだ者の家を、村が焼いた。中にまだ人がいた。あれはそう言った」


 わたしは、口を押さえた。


 わからないことが、一度にわかった。


 疫病は止んだ。止んだのではない。止めたのだ。


 そのやり方を、村は知っている。知っていて、その年から死人が出ていない。


 そして次の年に、村は娘を一人買った。


 名をつけて、山へ送った。


 火の花嫁、と。


 わたしは、そこで顔を上げた。


「あなたを、火にしたんですね」


 暗さが、動いた。


 軋む音がした。


「村は、あなたを火にした。そうすれば、家を焼いたのは村じゃなくなる。山の神さまが荒ぶったことになる」


 答えはなかった。


「そのために、よその娘を買ってきて、火の花嫁と呼んだ」


 答えはなかった。


 わたしは、震える手で袖を握った。


「しのさまは、それをご存じだったんですね」


「……知っていた」


「いつから」


「はじめから」


 わたしは、目を閉じた。


 買われた娘は、なぜ自分が買われたのかを知っていた。


 知っていて、山へ上がって、七日いた。



    *



「七日目に」


 声がした。


 わたしは目を開けた。


「七日目に、火をつけた」


 わたしは、そのまま動かなかった。


「誰が」


「しのが」


 板の間が、静かだった。


「あれは、社の四隅に油を撒いた。それから、こちらを向いて、言った」


 声が、変わった。


 平らでも、低くもなかった。


 それは、この人の声ではなかった。


 この人が、七十年、何万回もくり返してきた、誰かの声だった。


「おまえは、火ではない」


 わたしは、息を止めた。


「そう言った。それから、こうも言った」


 もう一度、その声になった。


「うちが、火や」


 板戸が、風で鳴った。


 わたしは、しばらく何も考えられなかった。


 やがて、少しずつ、わかってきた。


 村は、この人を火にした。名をつけて、火にした。


 このままいけば、この人は本当に火になる。荒ぶって、焼く神になる。村がそう呼びつづける限り、そうなっていく。


 しのさまは、それを止めた。


 火を、使いきった。


 自分の手で油を撒いて、自分の手で火をつけて、火という名を、この山から燃やしてなくした。


 そして、自分で死んだ。


 わたしは、掌で顔を覆った。


「……止められなかった」


 声がした。


 この人の声だった。


「止めようとしたんですか」


「わからぬ」


 わたしは顔を上げた。


「わからぬ、というのは」


「火が、火を止められるか」


 わたしは、何も言えなかった。



    *



 その夜、わたしは眠らなかった。


 板の間に座って、暗いところを見ていた。


 村は、しのさまを悪しき花嫁だと書いた。神に逆らって焼き殺された女だと書いた。この年から、花嫁は神に逆らってはならないと決めた。


 七十年、村の娘はその掟の下で山へ上がってきた。


 逆らうな。問うな。留まれ。


 その掟のいちばん最初にあるのは、この人を救おうとした娘だ。


 村は墓石を建てた。宮守の家が建てたのだと、いまならわかる。そこに名が彫ってあったのだろう。


 村は、それを焼いた。


 字が溶けるまで焼いて、読めなくした。


 名のない娘が、名のない神のところへ来て、名を一つ、焼いて消した。


 わたしは、暗いところに向かって言った。


「しのさまは、あなたに、なんと呼びかけていましたか」


 長い間があった。


「……おまえ、と」


 名を、呼ばなかった。


 この人を火と呼ばず、神とも呼ばず、おまえ、とだけ呼んだ。


 姉の五文字が、頭の中で光った。


 なをよぶな。


 山が鳴った。


 わたしは、まだ、なにも呼んでいない。



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