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七曜の花嫁 ~嫁いだ六人は、すべて幸せであつた~  作者: 御子柴 流歌
第一章 記録

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7/14

第七話 日の花嫁



 七。日の花嫁、あさ。


 わたくしは、なをききます。




    *




 七日目の朝、わたしは硯を洗った。


 六人ぶんを読んだ。今日は、書く番だ。


 書く前に、確かめておきたいことがあった。


 六人は、七日目に何を書いたのだろう。


 わたしは冊子を開いて、それぞれの頁のいちばん上の行を見た。


 一。月の花嫁、多鶴。


 二。火の花嫁、しの。


 三。水の花嫁、芙美。


 どれも、村の手で書かれた字だった。固くて、行儀のいい、男の字。


 花嫁が自分で書いたはずの一行は、どこにもなかった。


 書かせておいて、あとから全部書き直したのだ。名と嫁名だけ残して、あとは村の言葉に入れ替えた。


 ただ一つ、芙美さまの頁だけが、本人の字だった。


 わたしは、その一行目を読んだ。


 わたくしは、およばずながら。


 それだけだった。


 およばずながら。


 自分から、へりくだっている。頁の最初の一行で、自分を小さくしている。


 この人は読み書きができて、堰のことに気づいて、それでもまず、およばずながらと書いた。


 わたしは冊子を閉じた。


 村がこの一行を書き直さなかった理由が、わかった気がした。


 直す必要がなかったのだ。




    *




 わたしは硯に水を入れて、墨を磨った。


 磨りながら、考えていた。


 何を書けば「よき花嫁」になれるかは、もうわかっている。六日かけて六人ぶんの採点表を読んだのだ。


 問わないこと。逆らわないこと。留まること。


 それを書けばいい。書けば、村は満足する。母は安心する。宮守様は、たぶん、ほっとする。


 そして三年後か三十年後に、誰かがわたしの頁のいちばん下に、幸せであつたと書き足す。


 筆を持った。


 わたしは、姉の五文字を思い出した。


 なをよぶな。


 呼ばない。呼ばないけれど。


 知らないままでいることと、呼ばないことは、違う。


 わたしは、紙に穂先を下ろした。



  わたくしは、なをききます。



 仮名で書いた。


 書いてから、しばらく見ていた。


 墨が乾いていくのを、最後まで見ていた。




    *




 宮守の家に持って行くと、宮守様は仏間で待っていた。


 支度の言いつけがあるはずだった。わたしは冊子を差し出した。


 宮守様は受け取って、膝の上で開いた。


 老いた指が、頁をめくった。


 七人目のところで、止まった。


 わたしは、その顔を見ていた。


 顔から、色が引いた。


 八十を越えた人の顔から、それ以上どう色が引くのかと思っていたけれど、引いた。唇のあたりが白くなって、瞼が上がって、はじめてこの人の目をまともに見た。


 目が、黒かった。


「書き直しなさい」


 声が、掠れていた。


「いやです」


「あさ」


「なぜですか」


 宮守様は、冊子を閉じた。閉じて、両手で押さえた。押さえる手が震えていた。


「誰に訊く」


 わたしは答えた。


「神さまに」


 仏間が、静かになった。


 蝉も鳴いていなかった。


 宮守様は、そのまま、しばらく動かなかった。


 それから、こう言った。


「あれには、名がない」


 わたしは膝を進めた。


「なぜ、ないんですか」


 答えなかった。


「神さまには、名があるものです。氏神さまにも、道祖神さまにも、名があります。御名山の神さまだけ、なぜないんですか」


 答えなかった。


「宮守様。御名山って、御名の山と書きます」


 宮守様の肩が、動いた。


「名がないのに、御名山なんですか」


 わたしは、そこで初めて、この人が泣くのを見た。


 声は出していなかった。ただ、瞼の下から、水が出ていた。拭きもしなかった。


「書き直しなさい」


 三度目だった。


 わたしは頭を下げた。


「いやです」


 わたしは、その日、この人が四度目を言わなかったことを、あとになって何度も思い出すことになる。




    *




 支度は、驚くほど簡単だった。


 白い着物を一枚。帯は白。履物は草履。荷物は持ってはいけない。櫛も鏡も、駄目だという。


 母が着せてくれた。


 黙って着せた。


 着物を広げて、袖を通させて、襟を合わせて。手つきが、ふだんより丁寧だった。


 わたしは、袂の中のものを気にしていた。


 黄楊の櫛が一つ。歯が三本欠けている。三十年、御神木の根元に埋まっていたものだ。


 荷物は持ってはいけない。櫛も鏡も駄目だという。


 わたしは、それを持って上がるつもりだった。


 足元には、姉の草履がある。父が昨日すげ替えたものだ。底が擦り切れて、爪先に黒い土が染みている。


 掟を、もう二つ破っている。


 母が、帯を回した。


 一度締めて、ほどいた。


 もう一度締めて、また、ほどいた。


 わたしは、母の手元を見た。


 母は、帯の内側の、背中に来るあたりを、指で押さえていた。


 押さえて、そこに何かを入れた。


 小さな、平たいものだった。布に包んである。母の手で隠れて、わたしからは見えなかった。


 母は、それを帯の中に押し込んで、上から三度、手で撫でた。


 それから、締めた。


 今度は、やり直さなかった。


「かあさん」


 母は答えなかった。


 帯の結びを直して、両手でわたしの肩を持って、少し離れた。


 わたしの顔を、見た。


 三年ぶりに見た気がした。


「ようできとる」


 それだけ言った。


 わたしは、背中の平たいものを感じていた。固くはない。押すと、少し沈む。


 訊かなかった。


 訊いてはいけないと言われたからではない。


 訊いたら、母がそれを取り出してしまう気がしたからだ。


 この人が二十年、この村の言うとおりに生きてきて、たった一度だけ背いたものを、わたしの背中から取り上げてしまう気がした。


 だから、黙っていた。


 母も、黙っていた。


 この家で、それがいちばん近い挨拶だった。


 姉が、襖のところに立っていた。


 わたしは、袂から昨日の紙を出そうとして、やめた。かわりに、こう言った。


「姉さん。わたし、名を、きくって書いた」


 姉が、こちらを見た。


 わたしは待った。首を振られると思っていた。三度目の、あの振り方が来ると思っていた。


 姉は、振らなかった。


 立ったまま、わたしの顔を見ていた。長く見ていた。


 それから、目を伏せて、部屋へ戻っていった。


 止められなかった。


 なぜ止めないのか、わたしにはわからなかった。




    *




 村の外れの鳥居まで、村じゅうが送りに来た。


 道の両側に人が並んでいた。井戸端の三人もいた。吉造さんも、常吉さんもいた。みんな、いい顔をしていた。


 誰も泣いていなかった。


 わたしは白い着物で、その真ん中を歩いた。


 途中で、子どもの声が聞こえた。


 あめふれ あめふれ


 ふみさまが しずむ


 道端で、四つか五つの子が二人、手をつないで跳ねながら歌っていた。


 母親らしい人が、慌ててその子の口を押さえた。


 押さえてから、わたしのほうを見て、笑って、頭を下げた。


 わたしも、頭を下げた。


 下げながら、思った。


 この子は、悪くない。


 この子の母も、悪くない。


 あの唄をこの子に教えたのは、この子の祖母だ。教えたのは曾祖母だ。誰も自分では作っていない。みんな、受け取って、渡しただけだ。


 わたしが山で死んだら、この子は、わたしの唄を歌うのだろう。


 あさまが のぼる。


 そんな節をつけて。


 わたしは前を向いて歩いた。




    *




 鳥居のところに、宮守様が立っていた。


 杖をついて、一人だけ、こちらを向いていた。


 わたしは足を止めて、頭を下げた。


「行ってまいります」


「あさ」


 わたしは顔を上げた。


 宮守様は、村のほうを一度見て、それから、声を落とした。


「わしが、迎えに行く」


 わたしは、意味がわからなかった。


「宮守様」


「三年前も、わしが行った。半年たって、下ろした」


 背負って下りてきた、と母は言った。あの年で、あの道を。


「その前も、わしが行った。金の花嫁のときも、わしが下ろした」


 わたしは、息を吸った。


「では、多鶴様は」


 宮守様は、答えなかった。


 しのも、芙美も、咲も、この人は迎えに行っていない。行けなかったのだ。生まれる前か、間に合わなかったか。


 この人が下ろせたのは、二人だけだ。


 六十年の宮守で、二人。


「あさ」


 宮守様は、杖の頭を握った。


「訊いてはいけません」


 四度目だった。


 けれど、今度の言い方は、五日前とは違っていた。


 命じているのではなかった。


 頼んでいた。


 わたしは、頭を下げて、鳥居をくぐった。




    *




 参道は、来たときより暗かった。


 日が傾いていた。花嫁は日の落ちるころに上るのだと言われていた。


 石段を上がりきったところで、わたしは足を止めた。


 背中の、帯のあたりに、当たるものがある。


 歩くたびに、擦れる。


 わたしは道の脇に寄って、手を後ろに回した。


 帯の内側に指を入れて、それを探った。


 布に包んだ、平たいもの。


 指で押すと、中で細かいものが動いた。


 わたしは、そこでわかった。


 米だ。


 ひとつかみか、それより少しか。晒に包んで、口を縫って、帯の中に入れてある。


 わたしは、道の上で立ち尽くした。


 母は、山で花嫁に飯が出るのかどうかを、知らないのだ。


 二十年、この村で暮らして、三年前には自分の娘を上げて、それでも知らない。


 六人が山で何を食べたのか、村は誰も知らない。誰も訊かなかったからだ。


 だから母は、米を入れた。


 自分の娘が飢えるかどうかもわからないまま、ひとつかみだけ、掟を破って。


 わたしは手を戻して、帯を撫でた。


 撫でてから、歩きだした。


 泣かなかった。


 泣くのは、上がってからにしようと思った。


 半町ほどで、御神木の前に出た。


 わたしは足を止めて、幹に掌を当てた。


 温かかった。


「咲さま」


 答えはなかった。


「行ってきます」


 風が、枝を鳴らした。


 わたしはそれを、返事だと思うことにした。




    *




 奥宮は、思っていたより小さかった。


 山の頂きに、木立をひらいて、そこに建っている。屋根が低い。柱が新しくないのに、どこか歪んでいない。七十年前に、宮守の家が一軒で建てたものだ。


 わたしは階の前に立った。


 日が、山の向こうに沈むところだった。


 振り返ると、七久里が見えた。田があって、川があって、家が点々とあって、煙が三つ四つ上がっていた。


 いま、この村には、六人の花嫁の話がある。


 月、火、水、木、金、土。


 子どもの数え歌のように並べれば、次はわたしだ。


 日の花嫁。


 六人でひとめぐりして、七人目でひとまわり。


 わたしは、この村が七日を数えているのだと、そこで気がついた。


 誰が数えているのだろう。


 誰が、七日目を待っていたのだろう。


 わたしは向き直った。


 戸に手をかけた。


 中は、暗かった。


 山が鳴った。


 すぐ足の下だった。


 わたしはもう、それを「音」とは呼ばなかった。









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